0172.互いの身の上
アミエーラは左腕の腫れと熱が引き、身の周りのことを少しずつ自分でできるようになってきた。
農家の老婆は、農作業の合間に何くれとなく世話を焼いてくれる。
アミエーラのコートの内側には【耐寒】などの術が仕込んであった。それを見たのか、老婆は何の疑問もなく彼女を魔法使いだと思ったようだ。
「あの……すみません。私、魔法……使えないんです」
数日迷って決心し、消え入りそうな声で恩人に告白した。
老婆は一瞬、驚いた目をしたが、すぐに表情を和らげ、アミエーラの肩をやさしく抱いた。
「作用力がないんだね。かわいそうに」
アミエーラは「作用力」が何かわからない。だが、老婆が何か都合よく勘違いしたのはわかった。
自治区民であることを伏せて身の上を語る。
母と弟妹はずっと以前に流行り病で亡くなり、父娘二人きりになった。
その父も避難の途中ではぐれ、アミエーラは一人、炎を避けて山へ逃げた……と説明した。
老婆はアミエーラの身の上を哀れに思い、涙を流して同情した。
騙したことに胸が痛んだが、自治区民と知った上で匿うのとはワケが違う。老婆の安全の為にも本当のことは言えなかった。
完全に嘘ではない。魔力はあっても、魔法が使えないのは本当だ。
一人で山に入り、生きて人里へ戻れたのは魔法の道具のお陰だった。
クブルム山脈へ逃げた理由は、幼い頃に祖母と木の実を拾いに行って、安全な道を教えてもらったからだと説明した。
「山の中に道なんてあるのかい?」
老婆が目を丸くする。
アミエーラは、この辺りで最も山に近い家の者が知らないことに驚いた。
「えっ? ご存知ないんですか?」
「私らの村じゃ、門より上には行かないからねぇ」
アミエーラは、それで登山道の門からこの農家までの道が、きちんと手入れしてあったのだと納得した。
雑妖を発生させない為、また、山で生じた雑妖を通さない為に清掃するのだ。
「祖母の話では、ずーっと昔にクブルム山脈の西から東へ、街道が作られたそうですよ」
「何の為に山の中に道を通したんだろうね?」
「さぁ? 祖母もそこまでは……ただ、ホントに山の中なのに石畳で【魔除け】の印の入った道があって、私はそこを通って来たんです」
老婆はベッド脇の椅子に座り、アミエーラの話に何度も相槌を打って聞き入る。
「それに、朽ちてましたけど、林業組合の小屋もありました。道を使ってた人は割と居たみたいですね」
「林業組合……? あぁ、そう言や、炭を作る職人が居るらしいね」
「そうなんですか。道はその為にできたのかも知れませんね。赤いお花の咲く並木道もあってキレイでしたよ」
「へぇ。山の中にそんな夢みたいにキレイな道が通ってんのかい」
老婆は感心してみせたが半信半疑だ。
……仕方ないか。私だって、自分が歩いたんじゃなきゃ信じられないし。
アミエーラは、老婆が淹れてくれた香草茶を味わいながら思った。
骨折以外……打撲や切り傷などはかなりよくなった。
「ちょっと寒いけど、たまにゃ空気を入れ替えた方が身体にいいからね」
老婆はそう言いながら、立って窓を開けた。
肌着にも【耐寒】が掛けてある。大きく開け放たれた窓から朝の冷たい風が吹き込んでも、寒くはなかった。
「お嬢ちゃん、行く宛はあるのかい?」
椅子に腰を落ち着け、老婆が思い出したように聞いた。
アミエーラは即答する。
「はい。ネモラリス島に親戚が居るんです。祖母の姉なんですけど、長命人種だから、今も若くて元気なので……」
「そうかい。ラジオの話じゃ港があちこちやられて、ネモラリス島へは、トポリ港からしか渡れないみたいだよ」
その情報に愕然として老婆を見た。
トポリ港は、ネーニア島の北東端だ。
今居るのは、ネモラリス共和国領のほぼ最南端。どうやって行けばいいか途方に暮れる。
「お嬢ちゃんさえよければ、怪我が治った後も、ずっと居てくれていいんだよ」
老婆がやさしい声で言い、自分の身の上を語り始めた。
息子たちは、都会のギアツィント市に引越してしまった。
残って農作業するのは、老夫婦と長男一家だけだ。その長男一家も、今回の空襲でネモラリス島に行ってしまった。
……ん? ここは被害を受けてないのに?
アミエーラは引っ掛かったが、老婆の身の上話に相槌を打つ。
「じいさんと二人じゃ、淋しくてねぇ……」
老婆は、胸の奥底から漏れた溜め息で話を締め括った。
アミエーラは曖昧な表情で相槌を打って、聞いてみる。
「ご近所の方は……」
「近所ったってちょっと遠いし、まぁ、寄り合いはあるけど、空襲でどっか行った家も多いからねぇ」
再び溜め息を吐く。
一度目の空襲は免れられたが、いつ二度目が来るとも知れない。
ここがいつまで安全か、どこなら安全なのか。
今のアミエーラには何の情報もなく、判断できなかった。
「あのー……息子さんの所へは……」
「じいさんが居るし、畑の面倒もみなきゃいけないからねぇ」
首を横に振り、口許に淋しげな笑みを浮かべる。
アミエーラはここに来てから、この老婆以外の人を目にしなかった。
……おじいさん、病気か何かで動かせなくて、世話が必要なのかな?
アミエーラの世話をする分、老夫の世話が減ってしまうのは申し訳ない。だが、こんな身体では看病を手伝えそうもないのがもどかしい。
「あ、あの、おじいさんの看病で大変な時に助けていただいて、本当にありがとうございます」
「いやいや、いいんだよ。困ってる人を放っておくなんてできっこないからね。ゆっくりしてお行き」
改めて礼を言って頭を下げるアミエーラに老婆は笑って応えた。
「そうだ。そろそろ、じいさんにも会ってもらおうかね。孫たちも息子が連れてったもんで、話し相手を欲しがってるんだよ」
老婆が腰を浮かせる。
今のアミエーラでも、そのくらいならできる。
怪我人の自分でも役に立てることがみつかり、喜んで老人が寝かされた部屋について行った。
☆母と弟妹はずっと以前に流行り病で亡くなり……「0031.自治区民の朝」「0090.恵まれた境遇」参照
☆その父も避難の途中ではぐれた……「0054.自治区の災厄」参照
☆自治区民と知った上で匿う/老婆の安全の為……「0118.ひとりぼっち」参照
☆魔力はあっても、魔法が使えない……「0091.魔除けの護符」参照
☆幼い頃に祖母と木の実を拾いに行って……「0101.赤い花の並木」「0102.時を越える物」参照
☆登山道の門からこの農家までの道がきちんと手入れされていた……「0153.畑の道を行く」参照
☆林業組合の小屋……「0134.山道に降る雨」参照
☆赤いお花の咲く並木道……「0101.赤い花の並木」参照




