1676.掴まれた情報
素材屋に飛び込んだスキーヌムが、声もなく涙をこぼす。
薬師アウェッラーナは、細くゆっくり息を吐いて動揺を鎮めた。スキーヌムは眼鏡を外し、ハンカチで目頭を押さえる。
素材屋の店主プートニクが、開け放たれた扉の先をカウンターから無言で睨む。
……早く追いかけないと、行ってしまう。
アウェッラーナは深呼吸して、外を覗いた。既にクルィーロと逃亡犯ヂオリートの姿はない。
「あの、ここで少し、スキーヌム君を預かっていただけませんか?」
「構わんが、ワケを教えてくんねぇか?」
「今、手紙を託けた人、アーテルで殺人未遂事件を起こした逃亡犯なんです」
「何? 何でアーテル人がこんなとこに?」
プートニクが面食らう。
王都ラクリマリスは、フラクシヌス教の聖地だ。
アーテル共和国は半世紀の内乱後、キルクルス教国として独立した。
「あの人、キルクルス教団に恨みがあって、礼拝堂で司祭を刺したんです。逃亡中に何があったか知りませんけど、今はネモラリス憂撃隊と一緒に居るみたいなんです」
アウェッラーナは、自分の口から報告書の記述がすらすら出るのを他人が喋るような心地で聞いた。
「あ、そうだ。スキーヌム君、さっき言ってたカフェってどこ?」
スキーヌムはハンカチをポケットに捻じ込み、タブレット端末を取り出した。向けられた画面は店名入りの地図。一本向うの筋だ。
アウェッラーナは、地図と店名を頭に叩き込み、素材屋を飛び出した。
走りながら記憶を手繰る。
レノ店長とクルィーロは、秋に偶然、神殿で老婦人シルヴァと逃亡犯ヂオリートと鉢合わせした。
個室があるカフェで少し話をしたが、シルヴァはロークとアウェッラーナを再び仲間にしたいらしい。
ヂオリートとシルヴァが、互いにロークに関する情報をどこまで共有したか不明だ。
カフェはすぐみつかった。大きく深呼吸を繰り返し、ガラス越しに店内を窺う。八割方埋まった一階には見当たらない。
……前は確か、二階の個室で話したって言ってたわね。
アウェッラーナが入ると、客が一人、階段を降りて来た。
「あッ!」
クルィーロが小走りに扉へ駆け寄る。
「手紙書く間、糊と封筒を買って来てくれって頼まれました」
「二階ね?」
「階段の左側、二番目の席です」
無言で頷き、店員について階段を上る。
アウェッラーナとヂオリートは面識がない。正面の席で鎮花茶を注文した。
二階の席は通路に沿って個室が並ぶ。扉などはなく、向かいの卓は丸見えだ。狭い入口からは客の姿が見えないが、卓上には茶器が二組見える。
推定ヂオリートが、手帳から千切ったらしい紙片に何か書くが、流石にアウェッラーナの席からは内容までは見えなかった。
……シルヴァさんは別行動って、王都で? 他所で?
ランテルナ島の拠点はどうなったのか。
ネモラリス憂撃隊が何をしようとするのか。
知りたいコトは山程あるが、ロークとスキーヌムの元同級生である逃亡犯が、素直に教えてくれるとは思えない。
知ったところで、アウェッラーナたちには、武闘派ゲリラを止める力などなかった。あの時も、ただ巻き込まれただけだ。
……誰に伝えれば、止められるの?
ネモラリス政府軍か、ネミュス解放軍か、滞在国のラクリマリス王国軍か、それとも、攻撃対象のアーテル軍か。
どこに伝えても、いい結果にはならない気がした。
元神学生の逃亡犯ヂオリートは、キルクルス教団に深い恨みを抱く。
アーテル本土に土地勘がある。戻れば逮捕される可能性が高いが、【化粧】の術が掛かる装飾品を使えば、アーテル人にはまず見破れない。
……手紙を読めば、ローク君と会えるみたいなコト言ってたけど。
書き終えた手が、手帳の切れ端を小さく折り畳む。
待ち合わせ場所か連絡先を書いただけかもしれないが、言い回しが気になった。人員や物資の調達などを担当する老婦人シルヴァの目を盗んでまで、ロークに何を伝えたいのか。
「遅くなってごめーん」
クルィーロは、アウェッラーナに気付かないフリで隣の個室へ入った。ヂオリートの前に釣銭と買物を置く。
……ラクリマリスの現金を持ってるの?
シルヴァたちの資金源が気になった。
魔法文明圏では元々、貨幣より物々交換の信用度が高い。
ネモラリス共和国の通貨は、半世紀の内乱からの復興があまり進まず、開戦前から国際取引の場で信用度が低かった。
開戦後は為替レートが更に下がり、外国ではほぼ紙屑だ。アウェッラーナたちは物々交換で取引するしかない。
アーテル共和国とラクリマリス王国には国交がなく、両替できない筈だ。
ヂオリートは、手帳の切れ端を封筒に入れ、糊で厳重に封をした。封緘の署名を施し、釣銭と一緒にクルィーロに渡す。ポケットから何か出して釣銭に追加した。
「えっ? これって【魔力の水晶】……」
「報酬として、不服ですか?」
「そんなコトないけど、ちょっと高過ぎない?」
「勿論、ここも奢ります。それだけ、大切な用件なのです」
ここだけ聞けば、ヂオリートは普通の人のようだ。
「残りは獅子屋さんに預けるって言ってたけど、いつ行けばいい?」
「早ければ、来月半ばには、お受取りいただけるでしょう」
確信を持つ声だ。
「でも、ローク君がどこに居るかわかんないし、そんなすぐ獅子屋さんに行くかわかんないよ? 君が見たって言うのも、偶々何かのついでに寄っただけかも」
「彼は常連ですから、店員はすぐ渡すでしょう」
ヂオリートは伝票を掴むと、困惑するクルィーロを置き去りに一階へ降りた。
……常連? こっそり尾行とか……もしかして、呪符屋さんと宿も知られてる?
クルィーロとアウェッラーナも、呪符屋でロークと会うのをどこかから見られた可能性がある。
アウェッラーナは肌が粟立ち、両肩を手でさすった。
☆さっき言ってたカフェ……「1307.すべて等しい」参照
☆老婦人シルヴァと逃亡犯ヂオリートと鉢合わせ……「1275.こんな場所で」~「1279.愚か者の灯で」参照
☆あの時も、ただ巻き込まれただけ……「360.ゲリラと難民」「361.ゲリラと職人」参照
☆君が見た……「1119.罪負う迷い子」参照




