1673.社会の理不尽
定食を待つ間も、クルィーロとスキーヌムは、タブレット端末の相手で忙しそうだ。
薬師アウェッラーナは、西神殿の神官から聞いた話と、参拝待ちの列で小耳に挟んだ噂などを手帳に書き留める。
周囲の卓で、地元民らしき者はお喋りに興じるが、観光客風の一団は連れと話さず、俯いて小さな端末をつつくのに余念がない。
一人一人が他者との間に【真水の壁】でも建てたかのようだ。
……インターネットができたら、ネモラリスもこうなるのかな?
アウェッラーナは、新しい通信手段の登場で、人の行動がこんなにも変わるのが不思議だった。
何となく、同じ卓を囲む二人から置き去りにされた気がして、クルィーロの手許をそっと覗く。
手帳と同じくらいの画面にあるのは、神殿書庫の利用案内だ。
注意書きを読むクルィーロの手は、続きを表示させる時にしか動かないが、向かいのスキーヌムは、何をするのか、凄い速さで画面をつつく。完全に没頭して、声を懸けられる雰囲気ではなかった。
「はい。お待ち遠さま。日替わり定食三人前ね。ごゆっくりどうぞ」
クルィーロは顔を上げて受取ったが、スキーヌムは画面に向かったままだ。大衆食堂の給仕は慣れた様子で、一皿に盛られた定食を置いてゆく。
「スキーヌムさん、ごはん、冷めますよ」
アウェッラーナが声を掛けると、やっと顔を上げた。
「あ、は、はい! すみません!」
「いいよいいよ。メール、溜まってたんだろ?」
クルィーロが何やらわかった顔で言う。
スキーヌムは肩の力を抜いて、匙を手に取った。
「はい。その返信もあるのですが、辞書と参考書の寄付を依頼していました」
「寄付って?」
「先程の荷札にあったデカーヌス書店株式会社は、冒険者カクタケアシリーズの版元なのです」
「あッ!」
アウェッラーナは、スキーヌムが何をしたいかわかったが、口を挟まず、続きを待った。
「僕は、神学校に居た頃、貧しい人の存在は知っていましたが、実際にどんな暮らしを送るか、知りませんでした……知ろうともしませんでした」
スキーヌムは匙を握りしめ、料理に手を着けずに懺いを絞り出す。
「働く大変さも、ロークさんに連れ出していただくまで全く知りませんでした」
ロークの報告書によると、スキーヌムは、幼少期に力ある民だと発覚し、家族とは切離されて育ったらしい。だが、経済的には、かなり恵まれた部類に入る。
……ん? あれっ?
「でも、小説はたくさん売れてますよね? あれだって立派なお仕事ですよ」
アウェッラーナが言うと、スキーヌムは首を横に振って目を伏せた。
「直接、人助けになる仕事ではありません。時には気晴らしも必要でしょうが、おなかが空いて死にそうな人に本を渡しても、助けにはならないのです」
アウェッラーナ自身は魔法使いの医療者だ。【思考する梟】学派の薬師として魔法薬を作り、診断もする。怪我や病気から人々を救うのが仕事だ。
「餓死云々なら、魔法薬だって直接には助けられませんよ。食べ物との交換は本もできますし」
兄のアビエースなら、【漁る伽藍鳥】学派の漁師として、飢えた者に魚を与えられるが、それも、魚が棲む水辺に限られる。ラキュス湖から遠く離れた山奥では、助けられない。
スキーヌムは顔を上げたが、その目からは今にも涙が溢れそうだ。
アウェッラーナは隣を見た。
クルィーロは開戦前まで音響機器工場に勤め、スピーカーやレコード再生機、ラジオやマイクなどの製造に従事した。どの機器の組立工程かは聞かなかったが、他人の空腹を直接満たす仕事でないコトだけは確かだ。
「多分……貧しくて、知識や技術を身につける機会すらなかった人が雇ってもらえるのは、暮らしや社会に必要で、なかったら世の中回らなくなる系の仕事なのにキツい割に給料安いとか、その辺のハナシ?」
「そうです」
元神学生スキーヌムは、我が意を得たりと力強く頷いた。
「店長さんは、僕なんかにも、ちゃんと生活できるお給金を下さいます。でも、地下街で知った他所のお仕事の中には、全然足りない職場もあるみたいで、お仕事を幾つも掛け持ちする人がいらっしゃいました」
「お給料……えっと、仕事の値段って、別に作業のキツさに比例して高くなるワケじゃありませんよ」
「えっ? では、どのように計算されるのでしょう?」
アウェッラーナが言うと、怯えた目と質問を寄越された。
「ごはん冷めるから、食べながら話そう」
クルィーロの皿は残り三分の二くらいだ。
アウェッラーナは、スキーヌムが料理に手を着けるのを待って言った。
「例えば、ネモラリスでは、国が最低賃金を決めて、雇用主はそれより安くならないように計算します」
スキーヌムは何か言いたそうな目で、噛む速度を上げた。
アウェッラーナは南瓜サラダを口に入れる。蒸して潰した南瓜にみじん切りのニンジンや玉葱が入り、やさしい甘さが口いっぱいに広がる。
「どのように計算するのでしょう?」
「例えば、ここみたいな飲食店だと、店舗の家賃や光熱費、材料の仕入れ代、廃棄とかの損、税金とか社会保険料とか色々経費があって、お客さんが払った食事代からそう言うの引いて、残った分から店長と従業員の給料を出します」
なるべく簡略化したが、スキーヌムはほんの二年前まで、社会から隔絶された環境に居た。元神学生に想像できるだろうか。
アウェッラーナは鶏の串焼きを食べて反応を待つ。
「お客さんが少なくて儲からなかったら、給料が出ないと言うコトですか?」
……このコ、やっぱり頭の回転速いのね。
アウェッラーナは感心して鶏肉を飲み下した。
「実際は、働かせた分は払わないといけませんから、お店側にとっては、人件費……従業員のお給料とかも経費です」
「でも、儲からなければ、払えませんよね?」
薬師アウェッラーナは、元神学生スキーヌムの鋭い質問に再び感心した。
☆【真水の壁】……「857.国を跨ぐ作戦」「881.農村への手紙」「0931.毒を食らわば」「0932.魔獣駆除作戦」参照
☆冒険者カクタケアシリーズの版元……「1483.出版社に依頼」参照
☆ロークさんに連れ出していただく……「841.あの島に渡る」~「847.引受けた依頼」参照
☆スキーヌムは(中略)家族とは切離されて育った……「809.変質した信仰」~「811.教団と星の標」参照
☆経済的には、かなり恵まれた部類……「801.優等生の帰郷」~「803.行方不明事件」参照




