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すべて ひとしい ひとつの花  作者: 髙津 央
第五十二章 隣国

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1668.職人の後継者

 四月半ばを過ぎる頃には、第二巻の清書も緑髪の運び屋に渡り、第三巻の翻訳もほぼ終わった。

 クフシーンカは第三巻の校正、学生たちは外伝の共通語訳に忙しい。


 「忙しくても、毎日ウチに籠ってちゃ、却って能率が落ちるってモンですよ」

 新聞屋の亭主が、集金のついでだからと、数日置きにクフシーンカを連れ出してくれる。ワゴン車の窓から春の街を見ると、気分転換になった。


 シーニー緑地の若草は丈が伸び、毒のせいで摘まれずに済んだ花々に蝶や蜂が舞う。仮設住宅の植木鉢などには、野菜の芽が出た。


 ゆるく吹く風が、花の香を運ぶ。

 リストヴァー自治区東部は、数年前のバラック街からは想像もつかない程、様子が変わった。息が詰まるようなドブの臭いはもうない。


 炎に呑まれた犠牲者の数さえ把握できず、放火を指示した星の(しるべ)リストヴァー支部長は、まだ区長の座に在る。

 ネミュス解放軍が、区長を殺さなかったのは、利用価値があるからに過ぎない。末端戦闘員の多くは、ウヌク・エルハイア将軍が駆け付ける前に解放軍と鉢合わせした戦闘で、死亡した。


 信賞必罰からかけ離れた状態だが、現在のリストヴァー自治区はまだ、区長選など実施する余裕がない。



 「いつも有難うね」

 「それじゃ、また後で」

 新聞屋は、クフシーンカを東教会で降ろし、仮設住宅へ集金に向かった。


 気持ちを切替え、礼拝堂に入る。食品の仮設工場と商店街に働き口が増え、教会で手仕事をする者は、やや減った。だが、まだまだ寄付頼みで暮らす者は多い。


 数人が、星道の職人クフシーンカに気付いて挨拶した。

 応えた声で、顔を上げた者たちが、振り向いて微笑む。


 クフシーンカは、礼拝堂の入口付近の席で作業する中年女性に声を掛けた。

 「アメンツムさん、こんにちは。どう? 調子は?」

 「店長さん……どうもこうも、やっぱり刺繍ってのは難しいモンですねぇ」


 四十代半ばの女性の手には、子供用のワンピースがある。以前、(すそ)(そで)に補強と装飾を兼ね、クロスステッチを入れるよう指示したものだ。

 アメンツムが広げた裾は、縫い目が不揃いで途中から斜めに逸れ、思い出したような急角度で裾へ戻り、あまり補強の用を成さなかった。

 クフシーンカが、説明しながら縫った見本との差が、アメンツムの技術力の低さを際立たせる。


 「だんだん縫い目の大きさが揃っていますし、初めて刺繍したとは思えない上達ぶりよ」

 「でも、私は遅い上にこのザマで、材料が勿体(もったい)ないですよ。やっぱり若い人たちの方が飲み込みが早くて」

 アメンツムは、縫いかけの子供服をくしゃりと握った。

 「すみませんけど、あのお話、なかったコトにしていただけませんか?」

 「そう……無理にお願いはできないけれど、もし、気が変わったら、いつでも教えてちょうだいね」

 「すみません。私より、ナカレーンニクさんの方が、ずっと上手ですよ」

 アメンツムは目を伏せたが、すぐ顔を上げ、少し離れた席で作業する中年男性を視線で示した。


 自分の名が聞こえたのか、振り向いた彼と目が合って互いに会釈する。

 「こんにちは。拝見してよろしいかしら?」

 「へ、へぇ、あんまり、まだ、その、アレでやすが」

 おっかなびっくり、縫いかけのズボンを星道の職人に差し出す。


 彼にも、アメンツムと同じ課題を与えた。多少、(いびつ)ではあるが、縫い目が大きく逸れることはなく、充分、補強の用を成す。クフシーンカは目を(みは)った。


 「ほんの少しの説明で、もうこんなに上達するなんて」

 「目の前で実演してもらえたからッスよ。あの本、図はいっぱいありやしたけどね、どうも俺にゃ難しい字が多くていけねぇ」

 「刺繍は、型紙通りに刺すだけなのだけれど」

 「本式の聖典は、共通語なんスよね?」

 「えぇ……そう言えば、識字教室。司祭様が掛け合って下さって、小学校の空き教室を使わせてもらえるようになったそうよ」

 

 ナカレーンニクの眉が下がる。

 「そいつぁイイ話でやすが、アレだ。湖南語の稽古なんスよね?」

 「共通語も、別の時間に教えてくれるそうよ」

 「新聞で勉強するんスよね?」

 「新聞を基に教材を作るようなことを聞いたけれど、詳しくは知らないのよ」


 ナカレーンニクの顔から不安が消えない。

 「勉強がモノんなんなかったら、そん時ゃ……すんません」

 「いいのよ。焦らなくて。技術も語学も、しっかり身に着けるのが肝心なのですからね」

 「若いコの方が、覚えがいいンじゃねぇっスか?」

 あの冬の大火で負った火傷が元で足を悪くした彼が、背中を丸めて作業する女性に顎をしゃくる。



 ニトカは冬の間、他の者に編み物を教える傍ら、セーターなどを巧みに編んだ。ナカレーンニクより少し若いが、どちらも三十代で、そんなに変わらない。

 今日の彼女は、編み針と毛糸ではなく、刺繍用の針と糸を相手に四苦八苦する。

 クフシーンカが声を掛けると、ビクリと身を(すく)ませた。


 「ニトカさ」

 「あぁ、いえいえ、あぁもうこんなの、星道の職人の方にお見せできるアレじゃないんで、すみません!」

 ニトカはクフシーンカを遮り、縫いかけの服を隠した。

 「初めてなのだから、上手くできなくても怒ったりなんてしないわ」

 「あの、でも、私……」

 「こんなになるまで、投げ出さずに頑張ってくれたのね」


 クフシーンカの皺深い手が、ニトカの傷だらけの手をそっと包む。


 「困難に(ひる)まず、努力を続けたニトカの道を知の(ともしび)が照らしますように」

 ニトカは唇を震わせ、声もなく泣き崩れた。


 先日、縫い方を教えた際、彼女は難なく教えた通りにこなした。クフシーンカが何気なく掛けた「やっぱり私が見込んだ通り、筋がいいわね。期待してるわ」の一言が、重圧となって彼女を押し潰してしまったのだ。

 手が緊張で萎縮し、思うように動かなくなったのだろう。

 ニトカにとって、星道の職人後継候補の一人としてクフシーンカに選ばれたことは、重過ぎたのかもしれない。


 ……申し訳ないことをしてしまったわね。


 クフシーンカは、ニトカが落ち着くまで肩を抱いて、背中を撫で続けた。



 残る後継者候補のアルバとムリニェの姿はなかった。

 「頑張ってくれて有難うね」

 「……ごめんなさい」

 「いいのよ」

 クフシーンカは、ニトカからそっと身を離し、教会の集会室に顔を出した。

☆仮設住宅の植木鉢など……土集め「419.次の救済事業」「442.未来に続く道」「453.役割それぞれ」、栽培開始「0991.古く新しい道」「1578.炊事場の視察」参照

☆炎に呑まれた犠牲者……「0054.自治区の災厄」「0055.山積みの号外」「0212.自治区の様子」~「0214.老いた姉と弟」参照

☆放火を指示した星の(しるべ)リストヴァー支部長……「0161.議員と外交官」参照

☆ウヌク・エルハイア将軍が駆け付ける前に解放軍と鉢合わせした戦闘……「893.動きだす作戦」~「906.魔獣の犠牲者」「916.解放軍の将軍」~「918.主戦場の被害」参照

☆ネミュス解放軍が、区長を殺さなかった……「919.区長との対面」~「921.一致する利害」「0937.帰れない理由」~「0939.諜報員の報告」「0941.双方向の風を」~「0943.これから大変」参照

☆リストヴァー自治区はまだ、区長選など実施する余裕がない……「1504.陸の民の候補」参照

☆食品の仮設工場……「1453.仮設工場計画」「1454.職場環境整備」「1573.中級の技術者」参照

☆商店街……「1491.連鎖する幸せ」参照

☆あのお話/あの本/星道の職人後継候補……「1574.教えを引継ぐ」~「1576.消息を明かす」参照

☆識字教室……「1577.大人への教育」「1578.炊事場の視察」参照 

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野茨の環シリーズ 設定資料
シリーズ共通設定の用語解説から「すべて ひとしい ひとつの花」関連の部分を抜粋。
用語解説01.基本☆人種など、この世界の基本
用語解説02.魔物魔物の種類など
用語解説05.魔法☆この世界での魔法の仕組みなど
用語解説06.組合魔法使いの互助組織の説明
用語解説07.学派【思考する梟】など、術の系統の説明
用語解説15.呪歌魔法の歌の仕組みなど
用語解説11.呪符呪符の説明など
用語解説10.薬品魔法薬の説明など
用語解説08.道具道具の説明など
用語解説09.武具武具の説明など
用語解説12.地方 ラキュス湖☆ラキュス湖周辺の地理など
用語解説13.地方 ラキュス湖南 印暦2191年☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の地図と説明
用語解説19.地方 ラキュス湖南 都市☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の都市と説明
地名の確認はここが便利
用語解説14.地方 ラキュス湖南 地理☆湖南地方の宗教や科学技術など
用語解説18.国々 アルトン・ガザ大陸☆アルトン・ガザ大陸の歴史など
用語解説20.宗教 フラクシヌス教ラキュス湖地方の土着宗教の説明。
用語解説21.宗教 キルクルス教世界中で信仰されるキルクルス教の説明。
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