1666.隣国の自治区
「背に腹変えられず、臨時政府が黙認したのかもしれませんが、ディケア政府は内陸部の狭隘な自治区にフラクシヌス教徒を押し込め、劣悪な環境に置いているとの情報があります」
神官は声と顔に憤りを滲ませ、ネモラリス政府が、内戦が終結したディケア共和国と国交を回復させない理由を語る。
クルィーロが、画面中央に表示された地図をずらし、古い新聞記事の画像を開いた。号外の見出しには喜びが溢れる。
ディケア内戦終結 平和の光ふたたび
フラクシヌス教徒 新設自治区へ移住
次に表示された記事は、フラクシヌス教徒向け自治区の設立を告げる。
「魔法使いだからとの理由で、ディケアのフラクシヌス教徒自治区には電気、ガス、水道がありません」
「しかし、難民として国外へ逃れることすらできなかった人々の多くは、力なき民です」
「何故、自治区の様子をご存知か、お尋ねしても?」
神官たちは、国営放送アナウンサーの質問を待っていたかのように答えた。
「自治区内の数少ない魔法使いが、密かに【跳躍】除けの結界を脱出し、ディケア共和国外の神殿に救助を求めました」
「念の為、【明かし水鏡】で真偽を確認したそうです。その人物は危険を冒し、何度も神殿に通っております」
「どこの神殿か、お伺いしても?」
質問の声に緊張が漲る。アナウンサーのジョールチも、初耳だったらしい。
「ノチリア共和国南部のフラクシヌス神殿が主な連絡先です。神官から王都の大神殿へ連絡が行き、その人物の案内で、ノチリア人の神官が救援物資を持ってディケアの自治区へ潜入しております」
「非公式なので、毎回、神官は一人だけです」
残る二人の神官も悔しげに隣国の自治区を語る。
天井の【灯】を消した教室は、白壁に投影するプロジェクターだけが照明だ。
放課後の教室は分厚いカーテンが引かれ、日がどこまで傾いたかわからない。
ファーキルが編集した歴史動画は、通しで流せば一時間弱だが、質問などで何度も中断する。
レノ、クルィーロ、ジョールチ、アゴーニと校長は、パソコンの傍の席、村の神官三人と教員十一人、村長と家族四人は、教室中央付近の席で動画を見る。
画面が白っぽい間は、反射で視聴者の表情がうっすらわかるが、地図と新聞で明度が下がった画面では、人の顔だとわかる程度にしか見えなかった。
「フラクシヌス教団は確か、自治区への正式な援助をディケア政府に申し出ましたよね?」
アナウンサーのジョールチが聞くと言うことは、続報がなかったらしい。
「申し出ましたが、突っぱねられたので、秘密裏に小規模な援助を続けるしかないのです」
「大きな援助を行い、自治区の状態が目に見えてよくなれば、ディケア政府の知るところとなり、それこそ、自治区民が何をされるか……」
神官が拳を握る。
「王都の大神殿が、非公式に国連にも、フラクシヌス教徒への迫害と人権侵害を宗教弾圧であると伝達しましたが、動きませんでした」
「フラクシヌス教団が表立って動けば、ディケア政府が住民に何をするか……」
……何だそれ? ディケア政府は自分とこの国民、人質にしてんの?
フラクシヌス教団は、各地の神殿と緊密に連絡を取り合うらしい。
もしかすると、ラクリマリス王国がインターネットを導入したのは、それも理由のひとつかもしれない。
レノの頭の中で、幾つもの出来事が繋がってゆく。
「国を分けたところで、その狭くなった国土に残る少数派への仕打ちが、苛烈さを増すだけだ」
村長が険しい顔で地図を見詰め、旧直轄領のインテリ層に問題を突きつける。
「東の国々を見るがよい。和平の仲介と称して、国連に国を細切れにされただけで、争いは一向に治まらんではないか」
「そうですね」
カランダーシ教諭が、地図の右側に視線を向けて頷く。
村長は苦しげに言葉を吐き出した。
「分断の果ては、民族浄化に行き着き兼ねん」
……でも、それってもう、双子がやってたんだよな。
ラキュス・ネーニア家の有力家系の者が、隠れキルクルス教徒狩りを行い、数を競い合う内に激化させ、力なき陸の民を無差別に狩るようになった。
現在は、どこかに閉じ込めてあるようだが、彼らのような人物が権力を握った場合を考えると、力なき陸の民のレノとしては、神政も安心できない。
「神政だった頃は、我々湖の民も、あなた方……陸の民も、キルクルス教徒でさえ、平和に共存できたのですよ」
「しかし、当主様は、ネモラリスまで神政復古すれば、対立が深まり、却って危険だと仰せでした。私は、当主様のお考えに賛成です」
「まだ言うておるのか。今、湖東地方で諍いが続く国は、どれも民主主義の国ではないか」
校長が反論したが、村長はピシャリと言った。
「その土地のキルクルス教徒が皆で決めたなら、寄って集ってフラクシヌス教徒を迫害してもお咎めなしなのだぞ? 現実を見よ」
……どっちの言い分も一理あるんだけど。
双方が互いの意見の欠点に目を向け、その部分は絶対に許容できないようだ。
「あんまり遅くなると晩ごはん、アレなんで、続き流しますねー」
クルィーロが動画を再生させ、緑髪の村人たちが我に返る。
BGMが「神々の祝日の為のメドレー」から「すべて ひとしい ひとつの花」に変わった。字幕もグラフ内の文字も、すべて湖南語と共通語が併記される。
ファーキルは、この歴史動画をアーテル人だけでなく、アルトン・ガザ大陸のキルクルス教徒向けに作ったのだ。
半世紀の内乱が終わり、水位グラフが表示される。
レノも以前、報告書で見た覚えがあるが、何度見ても心臓に悪い。
半世紀の内乱中は低下する一方だ。
和平成立後、減少と増加が拮抗し、徐々に増加へ転ずる。だが、ディケア内戦の終結と、魔哮砲戦争の勃発で、一気に低下した。
旧直轄領の住民たちが、息を呑む。
「我々も水位を記録しておりますが、まさか他国の水域でも、これ程とは……」
村長が重い息を吐く。
クルィーロは動画の再生を止めなかった。
動画は、魔哮砲戦争によるネモラリス共和国の空襲被災地、アミトスチグマ王国が設置した難民キャンプ、アーテル共和国の湖底ケーブル破断が発生した頃の連続爆破の被害などを写した写真、そして、動画作成時点で最新の水位グラフを表示させて終わった。
教室がしんと静まる。
村のインテリ層は身じろぎもせず、再生を終えた動画の枠を見詰める。
「有難うございます。中立な視点によるた歴史、非常に参考になりました」
「今日はもう遅いので、質問などは後日、改めてお願いします」
校長が夢から醒めたように型通りの挨拶をし、ジョールチの一言でお開きになった。




