1664.記憶と重なる
ラキュス・ラクリマリス王国の共和制移行後。
キルクルス教徒のアーテル党議員が、信仰の自由を提唱し、フラクシヌス教徒の議員が同意。ラキュス・ラクリマリス共和国では、神々の祝日が廃止された。
この歴史動画のBGM「神々の祝日の為のメドレー」は、次第に忘れられ、常命人種しか居ない力なき民の記憶からは、互いの信仰を認め合う祭も消える。
小中一貫校の校長が、慣れない手つきでマウスを操作し、動画を一時停止した。
「ここまでのところで、何かご質問はございませんか?」
「キルクルス教徒の聖典に“三界の魔物がムルティフローラ王国に封じられた”と載っておると言うのは、本当かね?」
村長から鋭い質問が飛んだ。
校長の視線を受け、ジョールチが答える。
「本当です。キルクルス教の聖典は、一部の信者がインターネットで公開しています」
「信者? 教団ではなく?」
神官の一人が驚きの声を上げる。
「はい。私もつい最近、知ったのですが……」
国営放送アナウンサーのジョールチが、いつもの落ち着いた声で説明する。
キルクルス教の聖典は三種類あり、主に信者が公開するのは、星道の職人用に作られた専門分野別の聖典だ。通常ならば、一般信徒が目にすることはない。聖職者と星道の職人にのみ開示された奥儀だ。
「尤も、三界の魔物の封印の件は、一般信徒用の薄い聖典と共通する部分でしたので、信仰心の篤いキルクルス教徒ならば、常識として知っていることです」
ジョールチが説明する横で、クルィーロがパソコンを操作し、校長が手順を手帳に控える。
動画の画面を小さくし、「画像」フォルダの中身を中央に表示させる。画像ファイルのひとつが大きく展開し、壁面に聖典の見開きページが投影された。
「これも、インターネットに出ていた聖典の写真です」
すべて共通語だ。
レノには単語が幾つか拾えただけで、こんな長文は全く文意が掴めない。
緑髪の校長が、流暢な発音で原文を読み上げ、湖南語に訳す。
「“三界の魔物はチヌカルクル・ノチウ大陸西端の大いなる塩湖の北で、幾人もの偉大な魔道士の存在と引き換えに封印された。世界が再び平和を取り戻したこの年を封印暦紀元元年と定める”……とあります」
「書かれた当時、ムルティフローラ王国の建国までは、アルトン・ガザ大陸に伝わらなかったようですね」
ジョールチが言うと、神官三人と教員の半分くらいが頷いた。
「大聖堂があるバンクシア共和国や、国連本部があるバルバツム連邦などは、星の標を国際テロ組織に指定しています」
「ジョールチさん、随分とお詳しいですね」
カランダーシと呼ばれた男性教諭の声が、冷たく響いた。
国営放送のアナウンサーは、全く動じることなく応える。
「バルバツム連邦などがその件を発表した際、リストヴァー自治区選出のラクエウス議員にインタビューを行いました」
ラキュス・ネーニア家旧直轄領の村人たちは湖の民だけで暮らし、大きな街へ行かない限り、陸の民を目にする機会がない。
黒髪のジョールチは、眼鏡越しに村のインテリ層を見回した。
「移動放送局を始めてから、湖の民の長命人種の方々から、神々の祝日が廃止されてから信仰による分断が進んだとのお話を耳にしました。私は常命人種なので、当時の様子を直接には知りません。どんなお祭だったか、お聞かせいただけましたら幸いです」
「私の若い頃は、まだありましたよ。この映像に使われる曲をみんなで演奏して食事を共にするお祭りでした」
校長はまだ、二十代半ばから後半くらいにしか見えないが、長命人種だ。外見通りの年齢だった頃を懐かしむような声で言った。
「この村には居ませんが、主神派や岩山の神スツラーシ、誓いの女神クリャートウァを讃える部分や、キルクルス教の聖歌もありました」
「キルクルス教がこの地に伝来した頃、当時の当主様が各宗派の聖職者に命じて作らせた新しい祭礼です」
「映像にもありましたが、共和制への移行後、国会議員の手で廃止されました」
「キルクルス教徒がやめさせたとは、初耳です。まさか、他の信仰の押しつけと取られていたとは……」
神官三人が次々と言った。この村の聖職者は全員、長命人種らしい。
当時を知る葬儀屋アゴーニが口を開いた。
「神々の祝日のお陰で、キルクルス教に宗旨替えした力なき民とも、前と同じに仲良くやれてたんだがなぁ」
――すべて ひとしい 水の同胞
フラクシヌス教は、ラキュス湖畔に住まうこの世の生き物を仲間と看做す。
当時のラキュス・ネーニア家当主が考案した祭は、信仰の違いによって人々の心がバラバラになるのを防ぐものだったのだ。
「やめちゃいけないお祭だったんですね」
産まれてまだ二十年そこそこのレノは、初代国会議員たちの浅慮が悔しかった。
廃止の決定がなかったなら、その百年後に半世紀の内乱が起らず、レノの祖父母や他の親戚たちは、亡くならずに済んだだろう。
レノたちの両親のような戦災孤児は多い。
今も、魔哮砲戦争のせいで増える一方だ。
クルィーロが小声で説明し、校長がパソコンを操作した。
聖典の写真が引っ込んで、歴史動画の続きが再生される。
民族自決思想の台頭
宗教色の強い政党の乱立と隆盛
「ひとつの民族にひとつの国家」
ラキュス湖の畔にはなかった概念が、インクの染みのように広がってゆく。
レノは、自分が何の民族か、意識したことがない。
大地の色の髪と瞳を持つ陸の民だが、実家の近所にあったのは、湖の女神パニセア・ユニ・フローラの神殿で、主神フラクシヌスより女神への信仰が篤い。
ネーニア島民で、湖の女神派で、力なき陸の民。
レノの家族はみんな同じだが、クルィーロの家では、彼一人が力ある民だ。同じ家の中でも属性の異なる者が混在する。
ひとつの民族にひとつの国家。
そんな分け方をすれば、属性の異なる一家はどうなるのか。
当時の人々は、深く考えないまま、分断と対立を深めて行った。




