1663.もう一度学ぶ
ファーキルが編集した歴史動画には、レノの知らない情報が多かった。
フラクシヌス教の神話に科学的な裏付けがある。
この一事だけでも、レノには衝撃だ。
……科学でも、こんな大昔のコトまでわかるのか。
てっきり、【鵠しき燭台】か何か魔法の道具で調べたのだとばかり思った。
キルクルス教徒は、ラキュス湖の出現年代が、地質調査で特定されたことをどう解釈するだろう。
徐々に拡大したのではなく、一気に現在と同じ領域が水没したらしい。湖底となった低地に住む者たちは、無事に逃げられただろうか。
旱魃の龍の乾きを生き延びても、飛べない生き物は湖水の底だ。
……力ある民は【跳躍】とか【飛翔】で逃げられるけど。
フラクシヌス教は、ラキュス湖と、旱魃の龍の封印を維持する為に作られた。
キルクルス教は、兵器化した魔法生物の暴走による惨禍の反省から生まれた。
成立の経緯が全く違う。
価値観が異なるのは、当たり前だ。
レノは、白壁に投影された動画を瞬きも忘れて見詰める。
平和な頃なら、この歴史動画が退屈で居眠りしただろう。
今のレノは、ラキュス湖地方と、他地域の歴史をもっと知りたいと思う。
何が異なり、何が共通するのか。
……学校でもっとちゃんと勉強しとけばよかったな。
あまり勉強が得意ではなく、体育と家庭科以外はギリギリの成績でどうにか卒業した。聞いてもわからない授業は、何をどう質問すればいいかすらわからず、退屈で居眠りが多かったせいだ。
そっと教室を見回したが、旧直轄領の村の神官も、先生も、村長と身内も、誰も居眠りなんかしない。地図と短い文章、音楽で構成された動画を食い入るように視聴する。
三界の魔物が実戦で使われた古代の大戦争は、約四千三百年前、アルトン・ガザ大陸北部の国から始まったらしい。
だが、兵器である三界の魔物が、軍の手を離れて暴走。人間同士の戦争どころではなくなった。
……改めて説明されると、バカみたいなコトしてたんだな。
レノはキルクルス教が学問を重視する理由がわかった気がした。
三界の魔物の最初に作られた最大の一体を封印したのは、開発、兵器化したアルトン・ガザ大陸の人々ではなく、ラキュス湖周辺地域、特に湖北地方の人々だ。
最後の戦いには、当時のプラティフィラ帝国だけでなく、世界中から強力な魔法戦士や優秀な研究者が、この地域に集まった。
現在、ラキュス湖周辺地域で暮らす陸の民の肌や髪、瞳の色は様々だ。
最古にして最大の三界の魔物が、ラキュス湖北地方、現在のムルティフローラ王国に封印された件は、キルクルス教の聖典にも明記された。
レノには、それを知りながら何故、キルクルス教徒が魔法使いを白眼視するのかわからない。
困惑を置き去りにして、ファーキルが作った歴史動画は、どんどん進む。
BGMは「神々の祝日の為のメドレー」だ。
フラクシヌス教の神々を讃える曲と、キルクルス教の聖歌が、切れ目なく綴り合わされ、ひとつの流れを成す。
ラキュス湖半とアルトン・ガザ大陸で、それぞれ時代が流れ、数百年前まで年表が進む。
アルトン・ガザ大陸北部には、魔法文明国も両輪の国もない。すべて、キルクルス教を信仰する科学文明国だ。
バルバツム連邦など、信教の自由を憲法に明記する国はあるが、キルクルス教徒が圧倒的多数を占め、社会はキルクルス教を中心に回る。
アルトン・ガザ大陸南部は、三界の魔物との戦いで弱体化したものの、魔法文明圏だ。
三界の魔物との戦いで土地の魔力が減少し、魔法文明は衰退したが、まだ魔法を使えるが故に科学文明があまり発達しなかった。現在も、魔法と科学、どちらも中途半端な両輪の国が多い。
北部の国々は、科学文明を著しく発展させ、銃火器など新しい兵器による強力な武力で、南部の「劣った国々」を植民地化した。
〈民族自決〉
白壁に現れた文字を目にした瞬間、レノは胸の奥が痛んだ。
報告書で何度も目にした。
……半世紀の内乱の原因。
動画は、アルトン・ガザ大陸南部の独立戦争を語る。
植民地支配からの解放――自由と独立を求める闘争。
遠く鵬大洋を越え、ラキュス湖畔からも、独立を支援する者が現れた。
アルトン・ガザ大陸の地図が表示され、南部の各地で発生した独立戦争の名称と年代が、現れては消える。
ラキュス湖畔へのキルクルス教の伝道と、民主主義の概念の伝播は、同じ時期の出来事だ。当時は、どちらも大して問題視されず、なんとなく受け容れられた。
キルクルス教は当時、力なき民が多く居住するアーテル地方、ラニスタ王国、湖東地方で静かに広がった。
ラキュス・ラクリマリス王国は、フラクシヌス教の聖地を擁するが、力なき民の改宗を黙認する。神々の祝日には、キルクルス教徒も祭に加わり、互いの神を讃えて信仰を認め合った。
ラキュス湖周辺地域には、「植民地」の概念自体がなかった。
キルクルス教と共に伝来した〈民主主義〉と、独立戦争を支援した者たちが持ち帰った〈民族自決〉の思想は、コップの水にインクを垂らしたように広がる。
ふたつの色の内、民主主義の方が先に染み渡った。
時代の波に押され、ラキュス湖畔の王国も、次々と民主化する。
植民地支配などの隷属関係がなく、王家と民の関係が良好な国でも、熱に浮かされたように統治権が民の手に譲渡された。
ラキュス・ラクリマリス王国も、そんな無血革命が行われた国のひとつだ。
レノにとっては、産まれる遙か以前の歴史の一コマだが、五百年以上生きる葬儀屋アゴーニにとっては、若い頃に経験した思い出だ。
アゴーニの表情は動かず、どんな思いでこの動画を見るか、わからなかった。
☆ファーキルが編集した歴史動画……「1563.ふたつの歴史」~「1565.紛争の起爆剤」参照
☆旱魃の龍
現在の状態……「684.ラキュスの核」参照
神話の絵本……「671.読み聞かせる」参照
湖水との関係……「821.ラキュスの水」「874.湖水減少の害」「1391.二年目の舞台」参照
信仰上の認識……「534.女神のご加護」「542.ふたつの宗教」「579.湖の女神の名」「1307.すべて等しい」「1309.魔力を捧げる」参照
民衆の認識……「0234.老議員の休日」「487.森の作戦会議」「536.無防備な背中」「604.失われた神話」「605.祈りのことば」「670.避難者の憂鬱」参照
☆成立の経緯が全く違う……「1026.関心が異なる」参照
☆三界の魔物が(中略)キルクルス教の聖典にも明記……「1072.中途半端な事」「1073.立ち止まろう」参照
☆神々の祝日の為のメドレー……「295.潜伏する議員」「310.古い曲の記憶」参照
☆バルバツム連邦など、信教の自由を憲法に明記する国……「0203.外国の報道は」「290.平和を謳う声」参照
バルバツム連邦……「434.矛盾と閉塞感」「812.SNSの反響」「0993.会話を組込む」「1027.工業団地計画」「1033.拒絶をほぐす」「1425.掴めない糸口」参照
☆無血革命……「0059.仕立屋の店長」「370.時代の空気が」「858.正しい教えを」「1564.壊された平和」参照
☆力なき民の改宗を黙認……「588.掌で踊る手駒」参照




