1659.足りない教材
「じゃ、ピナとティス、お菓子配り頼む」
「うん。お兄ちゃんも、呪符よろしくね」
レノは翌朝、妹たちに昨日焼いた菓子の件を頼み、クルィーロと二人で旧直轄領の村を出た。行き先は、ランテルナ島の地下街チェルノクニージニク。いつもの呪符を買いに行く。
呪符屋に入ると丁度、運び屋フィアールカの姿があった。
カウンターには珍しく、ロークともう一人の店番が揃う。
「あら、おはよう。今日は早いのね」
「おはようございます。午前中に済まそうかなって思って」
緑髪の運び屋が愛想良く笑い、つい先日、アミトスチグマ王国で会ったばかりのクルィーロが応じる。
眼鏡の少年スキーヌムが、以前より慣れた手つきで紅茶を淹れる。フィアールカの前に置いた紅茶はいい色だ。
……ちゃんとできるようになったんだな。
レノの口許が我知らず綻ぶ。
スキーヌムは、薬罐からティーポットにお湯を注ぎ足し、茶器を二脚並べた。
ポットを掴んだ手をロークが止める。
「ちょっ……それ、店長さんたちに出涸らし出す気か?」
「えっ……?」
「あー、いいよいいよ。お茶っ葉ちょっと足してくれたら」
レノが言うと、スキーヌムは泣きそうな目でティーポットを置いて俯いた。
「私も今来たとこ。丁度いいから、あなたたちも彼の報告、聞いてく? 急ぐんなら後でデータだけ渡すけど」
「いえ、そんなに急がないんで、大丈夫です」
クルィーロが言って、カウンター席に腰を下ろす。レノも座って、必要な呪符のメモをロークに渡した。
フィアールカの前には、タブレット端末が二台ある。
ロークはメモを見て、呪符の棚に手を伸ばして言った。
「この間から、アーテル本土の教会と図書館を調べてるんです」
「図書館? 調べ物?」
レノが聞くと、ロークは呪符を出す手を止めず、肩越しに振り向いて答えた。
「本がどれくらい残ってるか、調べに行ったんです」
「えっ? 中身じゃなくて、本自体?」
クルィーロが青い目を丸くする。
「この紅茶、ちゃんと美味しいわよ」
フィアールカが茶器を手にして微笑むと、スキーヌムはやっと顔を上げて動き出した。ロークは一瞬、同僚に不快げな視線を投げたが、すぐ表情を消して報告を続ける。
「予想通り、受験関係の本は一冊も残ってませんでした」
「え? それって全部貸出中? それとも、泥棒?」
「貸出中でした。参考書すら買えない貧困層が、図書館で紙の本を借りて家で勉強するんです」
「あー……ん? でも、魔獣が出るから外出禁止で学校休みなんだろ?」
クルィーロが首を傾げる。
スキーヌムは、呪符を出すロークをちらちら窺いながら、茶器に紅茶を注いだ。
「教会も、学習会で人いっぱいでしたよ」
ロークの声音には、皮肉な笑いが混じる。
公衆電話の順番待ちなど、人の集まる場所は魔獣に襲われがちだ。
「食品会社から寄付された期限切れの保存食とかも配ってました」
「教会に人が集まり過ぎて、いつかルフス光跡教会みたいになりそうよね」
運び屋フィアールカが、端末を二台同時につついて言う。一台に表示されるのは地図らしい。レノの位置からは、もう一台の表示までは見えなかった。
「学習会や食糧配布は、貧困家庭が多い地区の教会だけでした。紙の教科書が少ししか残ってなくて、教科も揃ってませんでした」
「アーテルって、紙じゃない教科書、あるんだ?」
レノはロークの背中に聞いたが、答えたのは元神学生のスキーヌムだ。
「はい。電子書籍の教科書が増えました。ダウンロードせず、出版社のクラウドに読みに行く方式だと、インターネットが使えない今、勉強できなくて困る人が多いでしょう」
専門用語が多くてよくわからなかったが、レノには何をどう聞けばいいかわからなかった。
クルィーロにはわかるらしく、当たり前のような顔で話を進める。
「アーテル人って、みんな端末持ってるんじゃなかった? ファーキル君がしてるみたいに学校のパソコンに配線繋いでコピーとかできない?」
「無断複製されると出版社が困りますから、コピーできない仕組みなのです」
「それに、貧しい家は、子供の端末まで用意できませんよ。学校内では授業中だけ貸してもらえるけど、今は休校で使えなくて」
「アーテル人も勉強できないんだ?」
店番二人の答えにクルィーロが意外そうな声を出す。
……ピナたちも学校行けないけどな。
「本屋さんでは、紙の参考書が爆発的に売れてますけど」
「貧乏人置いてけぼりね。魔獣に襲われる覚悟で、教会の学習会へ通うしかないなんて」
フィアールカが鼻で笑う。
ロークが呪符を揃えて言った。
「アーテルはギチギチの学歴社会だから、イイ学校出てないと就職が難しいそうです」
「えぇッ? それって貧乏人は死ねってコト?」
レノはアーテル政府の非情さに呆れた。
「学校で教材印刷して配るとか、何かありそうなモンなのにな」
「電子化とペーパーレス化が同時に進んで、印刷の予算が足りない学校が増えているのです」
「へぇー、流石、詳しいんだなぁ」
レノが感心すると、スキーヌムはほんのり頬を染めた。
メモと呪符の現物を確認したロークが、封筒に入れながら言う。
「中小の印刷会社がいっぱい潰れた後で降って湧いた特需だから、残った業者が死にそうになりながら刷ってますよ」
「幾ら刷っても、おカネなかったら買えないよな」
クルィーロが苦笑する。
レノはふと疑問が口を衝いて出た。
「キルクルス教って、“魔法に頼らないで勉強頑張ろう”みたいな教義なのに、勉強できない子が大勢居ンの、何で?」
「学費は無料ですけど、どうしようもなく貧しい家の子は、生活費を稼ぐ為に高校や大学を中退して、軍に入ってますよ」
レノは、ロークの淡々とした説明に冷や水を浴びせられた。
出会ったばかりの頃、少年兵モーフが見せた荒んだ目を思い出す。
「もしかして、兵隊にする為にわざと?」
「そこまではわかりません」
「難民キャンプもネモラリス本国の一部も、教材がなくて勉強できない子が多いけど、臨時政府は、学校辞めさせてまで軍に入るように仕向けてないわよ」
「自主的に解放軍や憂撃隊に入る人は居ますけどね」
アクイロー基地で戦ったロークが、イヤそうに言う。
「難民キャンプ用の教材は、最近そこそこ寄付が集まったけど、アーテルの兵員増加対策もしなきゃなんないワケね」
運び屋フィアールカは面倒臭そうだ。
スキーヌムが急に思い出した顔で、紅茶を茶器に注ぐ。やや渋いが、飲めない程ではなかった。
☆アミトスチグマ王国で会ったばかりのクルィーロ……「1640.写真から読む」~「1647.島守の関係者」参照
☆以前より慣れた手つき……「1297.やさしい説明」参照
☆ルフス光跡教会みたい……「1072.中途半端な事」~「1077.涸れ果てた涙」参照
☆学習会や食糧配布……「1655.憎しみの連鎖」参照
☆アクイロー基地で戦ったローク……「459.基地襲撃開始」~「466.ゲリラの帰還」参照
☆難民キャンプ用の教材は、最近そこそこ寄付が集まった……「1592.勉強しない訳」→「1595.流出した人材」参照




