1658.忘れられた者
マガン・サドウィス・ラキュス・ネーニアの屋敷は、ほぼ城だった。
ラクリマリス王国の元貴族ドーシチ市商工組合長の屋敷より大きく、元地方領主であるカピヨー支部長の砦のような住居より堅牢な造りだ。
村を囲む土塀の中で、更に石造りの防壁で守られる。
傾きかけた春の日を浴び、石の防壁があたたかな色に染まる。
レノの視線に気付いた使用人が、呪文や呪印が刻まれた防壁を示して微笑んだ。
「イザと言う時、村人全員が避難させていただけるのですよ」
「へぇー……凄いですね」
イザと言う時がどんな状況か、考えたくなかった。
屋敷の主マガン・サドウィスは、レノが産まれる遙か以前、半世紀の内乱が始まる寸前に島守を交代し、一般人が立入れないオーストロフ島へ移住して留守だ。
彼の妻は当時、身重だったと聞いた。
しかも、荒れた時代に夫は一人で安全な島へ逃げ、長男は軍に就職したばかり。
他の親戚や使用人の助けがあっても、家族離れ離れで双子を育てるのは、気持ちの上で大変だっただろう。
迎えの馬車が防壁の門を潜る。
レノたちは建国記念パレードで何度か馬車を見たが、実際に乗るのは初めてだ。何事もなければ楽しめたかもしれないが、今はそれどころではなかった。
ピナとティスは、強張った顔で肩に力を入れ、正面に座る使用人を見詰めて動かない。
葬儀屋アゴーニが、湖の民が付き添った方が安心だろうと一緒に来てくれた。緑髪の葬儀屋はいつも通りだ。
レノはアゴーニの存在にホッとして、馬車を降りた。
木製の立派な扉を恭しく開けられ、使用人の案内で長い廊下を歩く。
「台所って、勝手口から入るんじゃないんですね」
「まずは、奥様がご挨拶なさりたいとのことです」
「えっ? わざわざそんな……」
「こちらでございます」
断る暇もなく、応接間に通された。
ドーシチ市の屋敷のようなきらびやかさはないが、庶民のレノでも一目で上等だとわかる調度品ばかりだ。
普段着にエプロンを着けた三人と、平服のアゴーニが酷く場違いに見える。
緑髪の女性が奥の椅子を立ち、来客を迎えた。呪文と呪印がびっしり刺繍された長衣が目を引く。
「初めまして。マガン・サドウィス・ラキュス・ネーニアの妻エス・スハーでございます」
運び屋フィアールカより少し年上に見える。外見は二十代後半くらいだが、長命人種の彼女は、少なくとも二百年は生きた筈だ。
女主人エス・スハー・ラキュス・ネーニアが着席を促す。
使用人が一礼して応接間を出て行った。
「お忙しいところ、お呼び立て致しまして恐れ入ります」
レノたちが浅く腰掛けると、女主人は儚げな微笑を湛えて言った。
「FMクレーヴェルのDJ……レーフさんからお伺いしましたが、パン屋のみなさんも、クーデター当時、ご覧になられた首都の様子をお聞かせ願えませんか?」
レノは一瞬、息が詰まった。横目でピナとティスを窺う。妹たちは石像のように緑髪の女主人を見詰め、レノの視線に気付かなかった。
「奥様、お菓子の生地をあんまり寝かせ過ぎると、味が落ちますよ」
「あ……あら、そうでしたの? ごめんなさいね。何も知らなくて。それでは、お話はまた今度、改めて……よろしいかしら?」
アゴーニの助け舟で肩の力が抜け、レノは思い切って言った。
「俺たちは当時、港公園の帰還難民センターに居ました。ラジオでクーデターを知って、停戦時間中にクレーヴェルを脱出したんで、街の様子とか、あんまり見る余裕がなかったんです」
「ごめんなさいね。辛いコトを……私の息子たちがネミュス解放軍に参加してしまったらしくて、少しでもあの子たちの様子がわかればと、お尋ねしましたの」
「すみません。お役に立てなくて……俺たち、西門から出たんですけど、通った時は、お巡りさんと政府軍の兵隊さんが検問してて、解放軍の人は見掛けませんでしたよ」
嘘ではないが、真実のすべてでもない。
女主人は、首都の詳細な惨状や、伝聞で消息を伝えていい相手に見えなかった。双子の我が子が揃って人狩りを行ったと知れば、心が壊れてしまいそうな危うさを感じる。
「そう……とても恐ろしい目に遭われたのですね。辛いコトをお尋ねしてごめんなさいね」
「あ、いえ、こちらこそ、お役に立てなくてすみません」
「いえ。街へ出入りする神官や村人たちに何度聞いても、息子たちのコトは何もわからなかったと言われるばかりなんですの。もしかしたら、もう……」
「奥様、ネミュス解放軍の大将は、ウヌク・エルハイア将軍です。ご子息は将軍にとってもお身内ですし、何かあれば、知らせて下さいましょう」
葬儀屋アゴーニが、やんわり生存を仄めかす。
首都から逃げ帰った学生たちが、双子の生存を確認できたのは、昨年一月までだが、その後は別の親戚シャウラが身柄を預かる。
もし、双子が死亡したなら、流石に葬儀くらいはするだろう。
「有難う。私には村全体を護る要の役割がありますので、滅多に遠出できないのですよ」
「あ、あの、奥様。もし、よろしければ、気晴らしにお菓子焼くの、ご覧になります?」
ピナが慣れない敬語でたどたどしく言うと、女主人エス・スハーは弱々しく微笑んだ。
「お言葉に甘えて、お邪魔させていただこうかしらね」
一言で、応接間の扉が音もなく開いた。
台所は、魔獣を解体した直後とは思えないくらいキレイだ。霊的な穢れもなければ、肉眼で見える汚れもない。
レノの実家全体より広い厨房で、作り付けのオーブンが何台も備わる。
今朝から休まず作った生地の木箱は、窓から差し込む西日が当たらない調理台の傍に積んである。
時ならぬ女主人の登場で、料理番たちが恐縮する。
「焼菓子は少し日持ちしますから、子供たちに配るのは明日にしましょう」
レノたちは何とも言えない緊張感の中で、仕上がった生地を木箱から【炉盤】が組込まれたオーブンの天板へ移した。
☆ラクリマリス王国の元貴族ドーシチ市商工組合長の屋敷……「0230.組合長の屋敷」「0255.魔法中心の街」参照
☆元地方領主であるカピヨー支部長の砦のような住居……「0960.支部長の自宅」参照
☆一般人には立入れないオーストロフ島へ移住……「1486.ラクテア神殿」~「1488.水呼びの呪歌」、オーストロフ島「1393.遠い島の墓所」参照
☆レーフさんからもお伺いしました……「1648.奥様のご希望」参照
☆港公園の帰還難民センター……「574.みんなで歌う」「576.最後の荷造り」参照
☆ラジオでクーデターを知って……「600.放送局の占拠」参照
☆通った時は、お巡りさんと政府軍の兵隊さんが検問……「733.検問所の部隊」「734.野原での別れ」参照
☆双子の我が子が揃って人狩りを行った……「1622.高校生の報告」~「1627.生存の罪悪感」参照
☆台所は、魔獣を解体した直後……「1649.菓子生地生産」参照




