0170.天気予報の歌
日没まで時間がない。
魔法使い二人とメドヴェージがニェフリート河へ走った。
彼らが魚獲りと水汲みをする間、力なき民たちは、ふたつに増えた【魔除け】の護符で身を守りながら、トラックの荷台から必要な物を持ち出す。
レノは、クルィーロが魔力を注いでくれた護符を持ってトラックに近付いた。
荷台の下から雑妖の群が這い出し、道路脇に積んだ瓦礫の山に逃げ込む。
「油断も隙もないな……」
レノはロークと二人で荷台の周囲を回り、残った雑妖を追い散らしてトラックの荷台を開けた。
中は【結界】に守られ、何も居なかった。
レノはホッとして、入口に【灯】のボールペンを置く。塩とアルミホイル、紅茶と砂糖を取り、急いで下りた。
……俺にも魔力があれば、雑妖くらいやっつけられるのに。
図書館の玄関で待つピナに渡し、レノはトラックに駆け戻った。
小学生たちは念の為、談話室で待たせる。
情報収集する三日間は、図書館に泊まる。
護符を持つレノとロークが布団と毛布を談話室に運び、移動する度に雑妖が宵闇へ退いた。
作業を終え、荷台を閉めたところで、河へ行った三人が戻って来た。
図書館の前庭で手早く調理する。
魚が焼き上がる頃には、すっかり日が落ちた。魔法使いの二人が【退魔】を唱えて雑妖を蹴散らし、レノたちは図書館に逃げ込む。
談話室に十人が揃うと、苦笑が漏れた。
「明日はもうちょっと早く晩ごはんにしような」
あたたかい焼魚を頬張って腹が落ち着くと、どっと疲れが出た。
甘くした紅茶を啜りながら、今日の収穫を話し合う。
「知ってる術でも、私の知らない便利な使い方が色々載ってました。朝になったらそれを少し試してみますね」
アウェッラーナの言葉にクルィーロが頷く。同様の情報を得たのだろう。
レノたちは、【霊性の鳩】の本から呪文の説明部分を書き写した。
力ある言葉で書かれた箇所は空け、後で魔法使いたちに書いてもらうように栞を挟んだ。
ソルニャーク隊長と高校生のロークは、ネーニア島の地図を書き写した。
現在も通行可能か不明だが、全く道がわからないよりずっといい。
ラジオで何度も出てくる避難所の位置も、書き写してあると言う。
ここにいる十人は、自分たちの地元のゼルノー市やリストヴァー自治区以外の土地を知らない。
ソルニャーク隊長だけは半世紀の内乱中、他所で暮らした経験があるようだが、内乱後は区画整理などで街の様子が大きく変わった。
少年兵モーフは、天気予報の歌で文字の練習を終え、明日からはメドヴェージと共に地図の手伝いをすると言う。
「坊主に付き合わされて、すっかり覚えちまったぞ」
メドヴェージは笑って一節を口ずさんだ。
よく知る旋律に詞が加わる。
運転手は意外に歌が上手く、腹の底に響く声が心に浸み込んだ。
「おいおい、お前ら、何、黙ってんだ?」
メドヴェージが、俺ぁそんな下手か? と半笑いで軽口を叩く。
ティスが首を横に振った。
「おじちゃん、上手。すっごく上手」
「もっと聴きたーい」
アマナも続きをねだった。
見ると、少年兵モーフも小学生二人と同じ眼差しを向ける。
メドヴェージは、お前らしょうがねぇなぁ、と照笑いを浮かべながらも、最初から通しで歌い始めた。
「降り注ぐ あなたの上に
彼方から届く光が
生けるもの 遍く照らす 日の環 溢れる 命の力
蒼穹映す 今を認めて この眼で大空調べて予報
空 風渡り 月 青々と
星 囁けば 雲 流れ道
おひさまの 新しい光
昨日から今日に移ろう
順々に 黄道廻り 季節 渡って 一年巡る
大きな流れにこの身を委ねて 大空みつめ天気を予報
春 穏やかに 夏 輝いて
秋 清らかに 冬 夢の中
雨 傘の花 虹 橋架けて
雪 深々と 霜 真直ぐに
空 穏やかに 月 輝いて
星 清らかに 雲 夢の中
雨 傘の花 虹 橋架けて
虹 七色に 空 晴れ渡る」
朗々とした声が、夜の図書館にゆっくりと流れた。
◆
翌朝、アウェッラーナは、ステンレスのバットに油性マジックで円を描いた。
「すごく簡単な事なんですけど、案外、気付かないものなんですね」
クルィーロがその円を挟んで煉瓦を置き、【炉】の呪文を唱える。
レノは煉瓦にフライパンを乗せ、魔法使いたちに言った。
「これなら、いつでもどこでも火が使えていいよな」
「この術は円の外に火が出ないから、トラックの中でも使えるんだ」
クルィーロが、バット内で燃える火を見詰めて笑う。
アウェッラーナが顔色を変えて、早口に付け足した。
「換気には、くれぐれも気を付けて下さいね」
朝食後、レノは調べ物に加わらず、パンの仕込みをした。
図書館の受付カウンターで生地を捏ねる。
ドライイーストは取っておき、少し残したパン種を混ぜて作った。気温が低く発酵に時間は掛かるが、保存もできるのでそう悪いことばかりでもない。
すぐ食べるふっくらしたパンと、保存用の堅パン。二種類の生地を用意して二階に上がった。
今日は少年兵モーフとメドヴェージも地図を書き写す作業に加わり、筆記具を走らせる音だけが響く。
レノは昨日の続きで「【霊性の鳩】活用法 快適な旅編」を書き写す。
主に移動に関する術の使い方で【操水】の術で橋を架ける方法も載る。
アウェッラーナが先日、運河を渡る際に実践した使用法だ。
他にも水を梯子や階段にして崖などを登る方法、霧にして夏の暑さを和らげる方法など、【操水】の使い方だけでもたくさん掲載される。
要点だけを抜き出して書き留めた。
この本に載る呪文は、【操水】【浮遊落下】【跳躍】の三つだけだ。【操水】は、二人とも使えるので省略して応用編のみ。
他の二つは、呪文の唱え方などの基礎もメモした。たった三つでも応用範囲が幅広く、これだけで分厚い本になる。
昨日の今日で、もうペンダコができた。それでも、誰も書くのを止めない。
……ちょっとしたコトでも、知ってるのと知らないのじゃ大違いなんだよな。
何もかも失った今、初めて「知識」と「情報」の重要性に気付かされた。
こんなことなら、もっとちゃんと色々なことを勉強すればよかったと胸の底に後悔が澱む。
そんな思いに囚われながらでも、レノはせっせと手を動かし、夕飯前にはなんとか一冊の要点を写し終えた。
「みんなが写してくれた本、力ある言葉の呪文が結構あるから、そろそろ終わりにして、明日は地図にしてくれないか?」
食後、クルィーロが肩を解しながらみんなに言った。各々、自分が挟んだ栞の数を思い出してコクリと頷く。
「みなさん、頑張ってたくさん書いてくれましたから、後で読むのも時間が掛かりそうですし……」
湖の民の薬師アウェッラーナがホッとして微笑んだ。




