0017.かつての患者
湖の民の呪医は、水の壁越しにテロリストの集団と対峙していた。
治療で疲弊した上、壁の維持にも魔力を消耗する。既に自身には余力がなく、葬儀屋に渡された【魔道士の涙】を使い潰していた。
呪医の手の中で、ひとつ、またひとつと力尽きた【涙】が砕ける。
テロリストの中に、かつて彼が治療したトラックの運転手が居た。
重傷の労災だった為、中央市民病院に受け容れ要請がきたのだ。
キルクルス教徒の多くは、治癒の術を「魂が穢れる」「自然の摂理に反する」と忌み嫌い、呪医による治療を拒絶する。
トラックの運転手はあの時、呪医に懇願した。
「先生、助けて下さい。俺が死んだら、女房子供が飢え死にしちまうんです。お願いします」
後天的な外傷は、患者が生きてさえいれば、復元できる。
重傷ではあったが、患者の意識があり、切断部位が揃っている。何の後遺症も残さず、元通りに治すことなど造作もなかった。
呪医は穏やかな微笑で患者を落ち着かせ、傷口を洗った。
麻酔は掛けなかったが、興奮状態だからか、痛がる様子はない。処置台に横たわり、不安げに目を泳がせていた。
呪医は千切れた足の切断面を合わせ、力ある言葉に魔力を乗せた。事故で千切れた足が、紐でも結ぶかのように組織を再生させ、あっさり復元した。
「動かしてみて下さい」
確認の為に呪医が声を掛けると、運転手はしばらく躊躇っていたが、恐る恐る膝を曲げた。
膝のすぐ上で切れた足が、元通りになったことに驚き、運転手が跳ね起きた。途端にぐったりと身を屈め、動かなくなる。
酷い出血の後、いきなり起き上ったせいで、目眩を起こしたのだ。
「出血が酷かったので、一週間は入院して、安静にして下さい。血液が充分増えたら、退院してすぐに働けますよ」
声を掛け、看護師と三人掛かりでストレッチャーに移した。
入院中、運転手は一人だった。
負傷者本人はともかく、家族は自治区から出られない。
寂しいのか、呪医が科学の内科医と二人で日に一度の診察に行くと、人懐こい笑顔であれこれ話し掛けられた。
退院し、ネモラリス軍の護送車が迎えに来た時も、運転手は呪医に何度も礼を言い、涙を流して別れを惜しんだ。
あの人の良さそうな自治区民が、今は自動小銃と手榴弾で武装し、中央市民病院を襲っている。
束の間、信仰を捨ててまで家族の為に命乞いをした彼に一体、何があったのか。
事情を聞いてみたい気もするが、術を解いた瞬間、撃たれるか、手榴弾を投げられるか。
……私は、命を助ける為に医者になったんだ。どうして、こんな……ッ。
湖の民の呪医の手の中で、またひとつ【魔道士の涙】が砕けた。
このままぐずぐず様子見を続けては、犠牲者の【涙】が無駄になってしまう。
呪医は、廊下の奥へ目を遣った。
物資の運搬で職員が点した【灯】が、廃墟となった院内をぼんやり照らす。生きた人間はもう、一人も居なかった。
病院がこれだけの被害を受けながら、隣の警察署からは警官が来なかった。先に落とされたのだろう。
このままここに留まっては、【灯】を目指してテロリストの第二陣が来るかも知れない。
全員が外へ出たことを確認した呪医は、壁を少し下げた。
天井付近に隙間が開く。
「君たちが、武器を捨てて、これ以上、人を殺さないなら、私も、君たちの命までは奪わない。銃を水に捨ててくれないか?」
呪医は言葉を区切り、水壁の向こうに呼び掛けた。
二階での処理を終えた葬儀屋が、呪医の傍らに戻って来た。
挿絵は【青き片翼】学派の徽章。外科領域の呪医の証。命を縫いとめる無限の針に巻き付く片翼の蛇。
 




