1656.新しい参考書
次の日曜、ロークはクラウストラの【跳躍】でアーテル共和国の首都ルフスの拠点へ移動した。
クラウストラは、鏡を見ながら【化粧】の呪文を唱え、自力で「女子高生ファクス」の顔を作る。
今日の【化粧】の首飾りは上位の物だ。ロークは、以前作った「ファクスの従兄ガレチャーフキ」の顔にしてもらい、アパートを出た。
ショッピングモールの安いカフェで、一番安い代用珈琲を注文する。
以前よりかなり客足が遠のいたが、先日のスピナ市やサリクス市に比べれば、まだまだ人出が多く、活気があった。
オープンカフェの通路に面した席を取り、タブレット端末をつつく。先日、教会で撮った教科書を表示させ、ノートを広げて勉強するフリで網を張った。
……神学生のファーキル・ラティ・フォリウス君じゃなくてもいいんだよな。
よく考えたら、全寮制のルフス神学校は、休校措置の対象外だ。神学生は、こんな時にも一般の子供たちと差が付く。
女子高生ファクスに扮したクラウストラが可愛く頼めば、本名不詳のカクタケアファン光ノ剣と影ノ盾も、それぞれの友人に話を広め、古本屋を回ってでも紙の教科書を掻き集めるだろう。
インターネットが使えない今、待つしかないのがもどかしかった。
……休校中、子供はなるべく外出すんなって、新聞に毎日載るし、会えない可能性高いんだよな。
わざわざオープンカフェで勉強するのは、不自然な気がして来た。
クラウストラは「ずっと家に閉じ籠ってたら息が詰まっちゃう。久々に気分転換しに来たの」で誤魔化すと笑ったが、大丈夫なのか。
教会や図書館へ勉強しに行っていいなら、襲撃事件が発生したことのないショッピングモールも大丈夫だろう……などと言う楽天的な発想なのか、カフェで思い思いの時間を過ごす若者は、意外と多かった。
少し離れた席の少年が買ったばかりの本を広げる。
光ノ剣たちも、参考書を買いに来るかもしれない。
「本屋さん行っていい?」
「気を付けてねー」
ロークは、オープンカフェと通路を挟んで向かい合う書店に入った。
店頭の一番目立つ位置には、紙の参考書がずらりと並ぶ。今週の新刊コーナーは人集りで棚が見えない。デカーヌス書店株式会社の復刻版と、新しい参考書の広告が、買物客の頭上に見えた。
会計へ動き、人垣が薄くなる。
「祝! 十五年振りの復刊!」との煽り文句の下にあるのは、教科書準拠の共通語会話、文法、作文の三分冊になった参考書だ。その山の隣は、「冒険者カクタケア」の台詞を共通語訳した新刊らしい。
大人たちは、迷いなく復刻版を三冊重ねて会計へ移動し、中高生はカクタケア版の見本誌を捲る。だが、多くは内容にニヤけた後、裏表紙を見て真顔に戻り、そっと売り場に戻した。
ロークは、登場人物の絵があしらわれた派手な表紙の見本誌を手に取った。
本文は、登場人物の絵の横に湖南語と共通語の台詞が上下に並べて書かれ、次のページから五ページずつ、単語の詳細な説明と文法の解説が載る。
ヒロインの服装が親にみつかると面倒なコトになりそうだが、台詞自体は、日常会話でそのまま使えるものや、共通語の聖典を原語で読む際の参考になるものだけを選抜したらしい。
章の区切りには聖典コラムまであって至れり尽くせり。語学の参考書としては、到って真面目な構成だ。
……なんだ。割とちゃんとした参考書じゃないか。
ロークは手首を返して裏表紙を見た。
アーテル本土の書籍は、一般的な価格を調べたことがない。隣の「復刻版! 共通語文法」を手に取った。
カクタケア版の価格は復刻版の三倍。教科書準拠の復刻版を三冊買った方が断然お得だ。
ロークは両方をそっと売り場に戻した。
「あッ! ……こ、こんにちは! 今日、ファクスさんは?」
「こんにちは。今日は影ノ盾、一緒じゃないんだ?」
ロークは「ファクスの従兄ガレチャーフキ」の声を作って応えた。
今日の光ノ剣は、普通のネルシャツに春物のジャケットを羽織った「一般的な男子高校生」の恰好だ。夏休みに見たカクタケア公式バッジはどこにもない。
「うん。俺も最近、全然会ってないんだ。親が出してくんないんだろうな」
「そうなんだ。どこも一緒だな」
「俺も、参考書買いに行くって説得して、やっと出してもらえたし」
光ノ剣が疲れた顔に弱々しい笑み浮かべた。ロークも相手に合わせて笑う。
「俺はファクスの付き添い。今、カフェの席取ってもらってる」
光ノ剣は勢いよく振り返り、ロークそっちのけでファクスを捜し始めた。
横顔がパッと明るくなり、無言で手を振る。気付いたクラウストラが小さく振り返すと、耳まで真っ赤になって激しく振り返した。
書店員が台車を押して来る。ロークが肩をつつくと、光ノ剣は一歩退がった。
カクタケア版の参考書が補充され、山積みになる。横から次々手が伸び、山はすぐ低くなった。
……値段気にしないで買える家のコ向けか。
勉強の為より、公式グッズの面が強そうだ。
光ノ剣も当然のようにカクタケア版を手に取る。
「もう買った?」
「いや……思ったより高くて……」
「じゃ、一緒に読もう!」
光ノ剣が会計の列へすっ飛んでゆく。
ロークは苦笑して、クラウストラの待つ席へ戻った。
「よかった。元気そうで」
クラウストラが「女子高生ファクス」の顔でにっこり微笑むと、光ノ剣は空をも飛びそうな勢いで舞い上がった。返事の声が上ずって聞き取れない。
「こ、ここここ、これ! これ、よかったら!」
ふたつ持って来た書店袋のひとつをファクスに差し出す。手が震えるあまり店のロゴすらブレて読めない。
「え? 何? 何?」
「か、かカクタケアの新刊ってか、参考書!」
「あ! えっ? いいの? 高いんでしょ?」
「いいからいいから! みんなで勉強した方が捗るし!」
「じゃあ、ここは俺が奢るよ。何がいい?」
ロークが立つと、光ノ剣はちゃっかりクラウストラの正面に陣取り、一番安い代用珈琲を頼んだ。
ロークは“二人きりのひととき”を参考書代とするべく、注文カウンターにのろのろ向う。
春の日曜だが、客は疎らだ。食材の高騰もあり、ショッピングモール内の飲食店にも、幾つかシャッターが降りたままの所がある。
代用珈琲とパンケーキを一人前だけ注文した。
……上手く乗せればイケるかな?
ロークはフォークと取り皿を三組持って、クラウストラと光ノ剣が参考書を広げる席へゆっくり戻った。
☆【化粧】の首飾りは上位の物……「1406.ファクスの涙」参照
☆ファクス/ガレチャーフキ/光ノ剣/影ノ盾/神学生のファーキル・ラティ・フォリウス……「1104.隠せない腐敗」「1105.窓を開ける鍵」「1134.ファンの会合」~「1136.民主主義国家」参照
☆デカーヌス書店株式会社……「1483.出版社に依頼」参照




