1652.空疎な図書館
アーテル共和国本土の各都市では、魔物や魔獣による捕食対策として、学校閉鎖が続く。
ロークは、クラウストラと共にスピナ市立中央図書館に来た。
首都ルフスの北東、イグニカーンス市との中間に位置する小都市だ。近くにテールム基地があるが、原因不明の爆発からの復旧工事が続く。
戦争がアーテル経済をじわじわ浸食し、企業や個人商店などの倒産、廃業が相次ぐ。潤うのは、国費を投入される軍需関連の産業ばかりだ。
それでも、スピナ市はテールム基地復旧作業が失業者の受け皿になる分、地方都市の中ではまだマシな方らしい。
……これでマシだって?
以前、調査した首都ルフスの下町やイグニカーンス市に比べ、火が消えたような活気のなさだ。元の様子は知らないが、長い商店街にはシャッターが連なり、営業中の店舗の方が少ない。
スーパーマーケットだけが、派手な看板に灯を点す。他に買物できる場所を失った住民が、蛾や羽虫のように群がり、五人の警備員が出入口で交通整理する。
長距離バスのロータリーから中央図書館までの道では、子供の姿を全く目にしなかった。
スピナ市でも、大人たちは業務の連絡で公衆電話に列を成す。
クラウストラが、アーテル共和国在住の同志から得た新聞の画像によると、スピナ市でも、公衆電話の行列が魔獣に襲われた。
地元警察と陸軍の部隊が駆けつけたが、一足遅く、一度に五十六人もの犠牲者を出した上、魔獣を取り逃がした。
現在も、アーテル本土の各地で被害が散発する。
通りすがりに見たスーパーの警備員の一人は、【鎧】の上に「警備」の腕章を巻いた魔法戦士だった。ランテルナ島の魔獣駆除業者が、こんな所にまで出張して、キルクルス教徒の群の中で堂々と働く。
……成り振り構ってらんないんだろうけど。
キルクルス教団アーテル支部は、ランテルナ島の魔法使いを雇う件について、一切コメントを出さない。
報道機関も、その件には敢えて触れないようだ。
回答を得られなかったなら、黙殺されたと言う事実もニュースとしての価値を持つが、ノーコメントを伝える記事すら載らない。
……記者が護衛を雇ってるからかもな。
スピナ市立中央図書館は、予想以上に利用者が少なかった。
書架の間をクラウストラと手分けして歩いたが、窓辺の閲覧席にホームレスらしき男性が数人、雑誌を捲るのが見えただけだ。
新聞のデータベース検索専用のパソコンは、ディスプレイに貼紙があった。
インターネット回線の不調により、ご利用いただけません。
復旧の見込みは不明です。
市民の皆様にはご不便をお掛け致しますが、悪しからずご了承ください。
聖者キルクルス・ラクテウス様。
闇に呑まれ塞がれた目に知の灯点し、一条の光により闇を拓き、我らと彼らを聖き星の道へお導き下さい。
日付は昨年十一月で、キーボードの隙間には綿埃が詰まる。
文学の書架は、古典や現代小説がほぼ全て貸出中だ。
清掃員がスカスカの段を羽箒でさっと掃いて次の書架へ移る。
神学の書架は絵本すらなく、別の清掃員が丁寧に雑巾掛けする。
「あのー、すみません。この棚の本って、掃除でどっか、よけてるんですか?」
「いえ、みんな貸出中なんですよ。その間に心掛けの護りをと思いましてね。ニスも塗り直そうかって話も出てるんですよ」
「そんなに長く借りる人が居るんですか?」
「いえいえ、予約がもう、今年いっぱい埋まってるそうですよ」
「えぇッ? あの、今、まだ、四月なんですけど?」
ロークは本気で驚いた。
清掃員は泡立つバケツに灰色の雑巾を入れ、キレイな水が入ったバケツから白い雑巾を取って絞りながら言う。
「子供を神学校へ中途入学させたい人が増えてますからね」
「あー……やっぱ、みんな考えるコト、一緒なんですねー」
ロークは礼を言い、数学の書架へ移動した。
棚には、倒れた文庫が一冊だけ残る。
半世紀の内乱前に出版された証明問題の論文と解説の復刻版だ。ぱらぱら捲ってみる。とっくに陳腐化した理論で、現在はもっと効率のいい解法が主流だ。
……受験に関係ないから、誰も借りないんだな。
棚に立てて置いたが、薄い文庫は自立できず、パタリと音を立てて倒れた。
生物、化学、地学、天文、物理、電子工学……理科の書架もほぼ空だ。
インターネットの遮断により、教科書に電子書籍を採用し、クラウドを利用する学校では、自学自習すらできなくなった。
魔獣対策の休校が長引き、塾へ行く経済力のない家庭では、図書館を利用するしかない。
本屋は、紙の参考書が爆発的に売上を伸ばすが、親の失業などで買えない子も多かった。
経済格差が原因で、学力の格差が固定しつつあった。
アーテル共和国軍は、募兵制を採用し、入隊試験は十六歳から受けられる。
キルクルス教の教義に基づき、学費は小学校から大学まで無料だが、生活費までは支給されない。高校や大学を中退して軍に入隊する若者が、親が失業した家庭を中心に激増した。
ネモラリス共和国領への攻撃は、基地がまだ機能を回復できず、予算の都合で無人機の補充も進まない為、休止状態だ。
だが、アーテル本土では昨秋の通信遮断以降、魔獣の出現が続く。
爆発に巻き込まれた遺体からの発生だけでなく、何者かによる召喚、その使役も含まれるのは間違いない。
ロークたちにはまだ、召喚者や使役者が何者か掴めなかった。
……ポーチカさんとゲリラの件は、ネモラリス憂撃隊だったけど。
現在、アーテル陸軍の新兵は、魔獣駆除に派遣される。
訓練を受け、自動小銃などを扱えるようになったとは言え、力なき民が無傷で魔獣に勝てる可能性は低い。
陸軍の一般兵の部隊は、ランテルナ島から呼んだ魔獣駆除業者が、現場に到着するまでの時間稼ぎにもなからなかった。
魔獣は、人間など“魔力を持つこの世の生物”を喰らう度に強くなる。殉職者や重傷で退役する者が後を絶たず、常に新兵募集がある。
ロークは空の書架を幾つも過ぎ、反対側から調べるクラウストラと合流した。
☆魔物や魔獣による捕食対策として、学校閉鎖……「1260.配布する真実」「1636.代理者の考察」参照
☆テールム基地があるが、原因不明の爆発……「839.眠れる使い魔」「840.本拠地の移転」「864.隠された勝利」参照
☆以前、調査した首都ルフスの下町やイグニカーンス市
首都ルフスの下町……「1290.工場街の調査」~「1296.虚実織り交ぜ」参照
イグニカーンス市……「0999.目標地点捕捉」「1000.廃病院の探索」「1138.国外の視点で」「1139.安らぎの光党」参照
☆業務の連絡で公衆電話に列……「1519.学習機会喪失」~「1523.庁舎前の惨事」「1636.代理者の考察」参照
☆一度に五十六人もの犠牲者……「1635.報道から読む」参照
☆アーテル本土では昨秋の通信遮断以降、魔獣が多数出現……「1218.通信網の破壊」「1219.白色の闇作戦」「1223.繋がらない日」~「1225.ラジオの情報」「1297.やさしい説明」「1442.大繁盛の理由」参照
☆心掛けの護り……「0069.心掛けの護り」「764.ルフスの街並」「0958.聖典を届ける」「1043.アーテルの歪」参照
☆ポーチカさんとゲリラの件は、ネモラリス憂撃隊……「1074.侵入した怨念」~「1077.涸れ果てた涙」参照




