1648.奥様のご希望
「ウチは代々森番なので、もしかしたら、父が祖父から何か聞いてるかも知れません」
ザパースが言うと、ジョールチは隣に立つラゾールニクと顔を見合わせた。
「時間あったらでいいんだけど、お父さんに会わせてもらっていいかな?」
「今なら大丈夫ですよ」
「ホント?」
「さっき僕と一緒に戻って、今日はもう森へ行きませんし、呼んで来ます!」
ザパースは元気な声を残し、誰も居ない校庭を駆けてゆく。
ジョールチは後ろ姿を視線で追い、男子高校生が小中一貫校の門を出ると、女子大生アーラに向き直った。
「これからお話しする内容は、今はまだ、アーラさんお一人の胸に仕舞っていただきたいのですが、お願いできますか?」
「何でしょう?」
村娘が表情を引き締め、国営放送のアナウンサーを見詰める。
「アーラさんは、タブレット端末の使い方をご存知ですか?」
「いえ……先輩が使うのを少し見たコトがあるだけです」
「インターネットに接続できない状態でも、タブレット端末の中に入れた新聞や写真は見られますし、映像や音声も再生できます」
「えぇ。先輩に面白いショートフィルムを見せてもらったコトがあります」
「それなら話が早いや」
ラゾールニクがニカッと笑い、話を引き取る。
「タブレット端末に外国のニュースとか入れたの、見たい?」
「私は見たいです。でも、長老とかにバレたら……」
アーラは顔を曇らせ、校舎を窺った。まだ授業中で、校庭は静かなものだ。
「バレたら、どうなりそう?」
ラゾールニクが聞くと、アーラは校門に視線を転じた。まだ、低学年を送り迎えする他村の保護者の姿もない。
「多分……端末を取り上げられて……以前なら、サル・ウル様かサル・ガズ様の手に」
「今は首都のどっかで捕まってるよね?」
ラゾールニクが言うと、アーラは僅かに表情を緩めて頷いた。
「でも、村長とか年配の人たちは、解放軍に協力的で、シェラタン様かウヌク・エルハイア将軍が統治者になってくれればいいのにって、しょっちゅう言ってますし、あんまりいい結果にはならない気がします」
……解放軍にとって不都合な情報が入ってたら、キレられそうだな。
そうでない情報も、星の標や隠れキルクルス教徒に対抗する為、ネミュス解放軍の都合に合わせて曲解し、ネモラリス共和国各地へ広められるかもしれない。
解放軍幹部が、首都クレーヴェルとラクリマリス王国領を行き来し、既に実行済みかもしれない。
だが、平和を望む同志が集め、ファーキルがまとめた情報をそんなコトに使われるのは、別の問題だ。
クルィーロはジョールチを見たが、眼鏡の奥の瞳からは、ベテラン報道人の考えが見えなかった。
「この村の人たちって、みんな共和制に反対?」
「私は、旧王国時代を知りません。でも、もし、サル・ウル様やサル・ガズ様のような方々が、今より強い権力を持つなら、旧王国時代と同じ仕組みに戻るのはイヤです」
クルィーロが聞くと、アーラはきっぱり拒絶を示した。
ラゾールニクが質問を重ねる。
「じゃあ、大人で共和制の方がいいって人、どのくらい居そう?」
「校長先生はご長男様と同年代ですが、民主制に賛成で、社会の授業で、もう神政に戻さない方がいいってハッキリ言ってました」
「ご長男様って、ラキュス・ネーニア家……島守のご子息だよね? 幾つくらいの人?」
ラゾールニクが聞く。
ついさっき、アミトスチグマ王国のマリャーナ宅で、呪医セプテントリオーから「半世紀の内乱の直前、島守の息子が軍に就職した」と聞いたばかりだ。
少なくとも百歳以上の長命人種なのだろう。
「さぁ……? 校長先生に聞けば、教えてくれると思います」
アーラは知らないことを憶測で答えなかった。
「あれっ? そう言えば、レーフさんは?」
クルィーロはトラックの荷台を覗いた。
生地を捏ねるレノたちの奥で、係員室の扉は全開だが、金髪のDJは見えない。
「今朝、どこかのお屋敷の人が迎えに来たんだ。クルィーロたちが行ってすぐくらいに」
「えっ? レーフさん一人で来いって?」
父は蔓草を三ツ編にする手を止めずに言う。
「ジョールチさんも来て欲しかったそうだけど、行き違いになったからな」
「あー……」
「その時に材料をたくさん持って来て、お屋敷の奥様のご希望で、村の子供たち用のお菓子作りも頼まれて、レノ君たちは朝からずっと生地を捏ねてる」
「え……えぇッ?」
どこから突っ込めばいいかわからない。
クルィーロは、DJレーフがしばらく行方不明になった件を思い出し、足下からじわじわ寒気に似た不快感が這い上がった。
アーラが遠慮がちに口を挟む。
「この村の“お屋敷”は、マガン・サドウィス・ラキュス・ネーニア様のご自宅だけです」
「亭主の留守に他所の男引っ張り込むたぁ、大した奥方様だな」
葬儀屋アゴーニが、編み上がった把手に幅広の革紐を巻きながら、呆れた声を出すと、アーラは疲れた声で抗議した。
「奥様はそんなお方じゃありません」
「おっと、すまねぇ」
「まぁ……普通はそう思いますよね。でも、クレーヴェルの……双子のご子息のコトを知りたいだけだと思います」
……島守が独占欲強い奴だったら、【強制】とかで浮気や離婚を禁止してから行くよな。
クルィーロは、何十年も夫に会えず、一人で三人の息子を育て上げ、家を守り続ける夫人が少し気の毒になった。
「嬢ちゃんたちゃ、奥方様に教えてやんなかったのかい?」
「あんなコト……おやさしい奥様にはとても……」
アゴーニが聞くと、アーラは目を伏せた。
ラゾールニクが軽いノリで言う。
「もしかして、村の大人は、君たちが言わなくてもみんな知ってたりしない?」
「……都会へ食材や素材を卸しに行く人たちは、色んな噂を拾って来ますから」
「でも、奥方様には、内緒なんだ?」
「奥様は、ご子息のクレーヴェル行きに強く反対なさったらしいんです。でも、ラキュス・ネーニア家に権力を取り戻すまでの辛抱だからと、振り切られてしまったそうなんです」
ラゾールニクが大袈裟に肩を竦めてみせる。
「他所の村じゃ、双子のご子息は母上をお守りする為に魔法戦士の修行をしたって聞いたけど?」
「昔のコトはわかりません。……奥様はそれからずっと、塞ぎ込んでおられるそうです」
アーラは苦しげに息を吐いた。
「レーフさんなら、空気読んで、ホントにヤバい件は言わないと思いますよ」
「レーフは、隠れキルクルス教徒狩りの現場に居合わせませんでした。仮に【強制】で目撃情報を求められたとしても、話せるコトなど何もありませんよ」
クルィーロが慰めを口にし、アナウンサーのジョールチが力強く保証する。アーラは僅かに表情を和らげ、二人に淡い微笑を返した。
「クルィーロ、どっちか手伝ってくれないか?」
「ちょっとレノにも聞いてみるよ」
父の一言で空気が変わり、クルィーロはトラックの荷台にひらりと上がった。
☆低学年を送り迎えする他村の保護者……「1617.帰郷した学生」参照
☆半世紀の内乱の直前、島守の息子が軍に就職……「1647.島守の関係者」参照
☆DJレーフがしばらく行方不明になった件……ここから「884.レーフの不在」→ここまで不在「0937.帰れない理由」参照
☆あんなコト……「1618.直後の混乱期」~「1629.支配者の命令」参照
☆双子のご子息は母上をお守りする為に魔法戦士の修行をした……「1552.首都圏の様子」参照




