0169.得られる知識
図書館は、ロークたちが探索に来た半月前と何も変わらない。
空襲後、初めて立入る者たちは、入口の貼り紙に複雑な表情を浮かべた。
一階ロビー脇の談話室へ行く。
割れた窓が、段ボールとガムテープで塞がれ、薄暗い。クルィーロがボールペンに【灯】を点した。
ここで数日、人が過ごした痕跡がある。
中は片付けられ、床の一部に敷かれた段ボールが残る。
安物のソファに腰掛けて昼食にする。子供たちが焼いた甘くないクッキーと水で簡単に済ませ、一行は二階に上がった。
「じゃあ、ここから手分けしよう」
クルィーロが言い、各自、書架の間に散る。
ロークとソルニャーク隊長は地図の棚へ行き、ネーニア島の国道路線図を手に書き物台へ向かった。
先に書き物台に着いたクルィーロが、せっせと本の内容を書き写す。
前回、隊長の指示で出しておいた「誰でも使えるシリーズ 第五巻【霊性の鳩】護身」だ。
アウェッラーナも、置いたままにした引越しの本で、今後も使えそうな箇所を確認する。
呪文を書き写すのは、子供たちがミスプリントの紙を束ねて作ったメモ帳だ。
食糧など、色々な物を持ち出したが、何でもかんでもと言うのは流石に気が引ける。放送局にとって要らない物があれば、それを優先した。
局員が戻ったとして、どれだけの物をそのまま使うかわからないが、他に必要な物は、最低限だけトラックに積んだ。
メドヴェージと少年兵モーフは、少し離れた席でレコードのジャケットを読み上げる。
ロークは地図を書き写しながら、メドヴェージが野太い声で棒読みする歌詞に耳を傾けた。
降り注ぐ あなたの上に
彼方から届く光が
生けるもの 遍く照らす 日の環 溢れる 命の力
蒼穹映す 今を認め この眼で大空調べて予報
空 風渡り 月 青々と
星 囁けば 雲 流れ道……
ロークも、天気予報のBGMにそんな歌があったとは知らなかった。
平和な頃は、何となく聞き流した曲だが、今は無性にきちんと聴きたいと思う。
この歌詞が、いつ頃作られたのか知らないが、少し古い言葉が混じる。
ロークは、少年兵だけでなく、普通に通学できた中学生のピナティフィダにも難しそうだと思った。
地図から顔を上げ、少年兵モーフを見た。懸命にメドヴェージのぶっきらぼうな説明に聞き入る。
ロークは、ネーニア島東岸の地図に視線を移し、書き写す作業に戻る。
主要道の繋がりと大体の地形、地名、よく目立つ目標物を書くだけだが、思った以上に時間が掛かる。
コピー機が動けばいいのだが、一階受付の横にあったそれは、爆風で飛ばされて壊れてしまった。
隊長は何も言わず、せっせとネーニア島北岸の地形を描く。
ロークより整った文字だ。
普段の言動も合わせると、元々はそれなりの家の子だったのだろう。
ロークは胸の奥がチクリと痛んだ。余計な考えを振り払い、黙々と手を動かす。
◆
クルィーロは、一般人向けの初歩的な魔道書を読み、出て来る呪文を片っ端から書き留めた。
呪文だけでなく、効果と注意点、掛ける手順、必要な補助具なども書き写す。
寒さに手がかじかみ、なかなか進まない。
子供の頃に教わった呪文も、改めて読み返して書き取る。
「誰でも使えるシリーズ 第五巻【霊性の鳩】護身」には、クルィーロが知らない知識も多かった。
例えば、【簡易結界】は、足下の地面に円を描くだけでなく、机の下の空間や乗用車の内部など、限られた空間を魔力で満たしても、発動させられる。
その際は、空間の床と天井に相当する各四隅に印を描いて唱える。
それも、ペンなどで実線を描くだけでなく、魔力を籠めた指先で宙に描いても発動する、と書いてあった。
但し、机や乗用車が破壊されれば、【簡易結界】の効果が失われる、との注意書きもある。
クルィーロは苦笑した。
乗っている自動車が形を失う程壊れたら、無事でいられる筈がない。
図書館には、少年兵モーフの質問と運転手メドヴェージのぶっきらぼうな答えを縫って、筆記具を走らせる音と、時折ページを捲る音だけが聞こえる。
ここにある膨大な知識を全て書き写すのは不可能だ。
あれもこれもと欲張っても仕方がない。期限を三日と定め、その間にできるだけの知識を紙に書き留め、自分の頭に詰め込む。
「そろそろ食事にしよう」
ソルニャーク隊長の声で顔を上げる。割れた窓の外は、すっかり黄昏ていた。
寒い中、休まず書き続けたせいで肩がガチガチに凝った。
クルィーロはボールペンを置いて首と肩を回した。アマナは隣の席でまだ書き続ける。
「アマナ、ごはんだ。明日にしよう」
クルィーロに促され、妹はやっと顔を上げた。コピー用紙の切れ端を栞にして本を閉じる。
「鷦鷯の歌 その心」
書名が気になり、クルィーロは見返しの説明に目を通した。【歌う鷦鷯】学派の呪歌の発動機序を解説した本だ。
裏の見返しで、著者紹介を見る。【舞い降りる白鳥】学派の学者と【碩学の無能力者】の学者の共著とある。
クルィーロは、敢えて【可能性の卵】ではなく【碩学の無能力者】と表記した著者の意図が気になった。【可能性の卵】は、知識があれば【魔力の水晶】などの補助具で魔力と作用力を補い、術を行使できることから付けられた名称だ。
元々は、純粋な魔法文明国で、稀に生まれる力なき民を保護する為の目印だったらしい。
現在は、魔道を研究する学者を讃える称号だ。
力なき民でも、一定以上の知識を持ち、学術的な研究で成果を上げ、魔術の発展に寄与した者には【可能性の卵】の徽と称号が与えられる。【可能性の卵】に対して、【碩学の無能力者】は「知識はあっても、それを行使する能力がない」との自嘲や蔑みを含む。
クルィーロは、パラパラとページを捲った。
力ある言葉の呪文はないが、旋律と魔力の流れの関係、力ある言葉での誘導などが図入りで解説される。
「アマナ……こんな難しいの読んでたのか……」
驚いて妹を見る。アマナは眉根を寄せた。
「音楽の先生がね、お歌だったら誰でも歌えるし、力ある言葉の歌詞で魔力のある人と一緒だったら、少しだけ魔法になるって言ってたから」
A4のコピー用紙には、拙い文字で、びっしり書き込んであった。小学生なりに考えて本を選び、わからないなりに丸写ししたらしい。
「そっか。頑張ってくれてたんだな。ありがとう」
クルィーロは、妹の努力を心から労い、階下へ促した。




