1646.新しい国境線
「国を分割して、その中でも、リストヴァー自治区とランテルナ島は、ネモラリスとアーテルから切り離されて孤立して……どんどん細切れに……」
考えがまとまらないまま、クルィーロの口から言葉がこぼれる。
ファーキルが、白壁に投影した写真を地図に切替えた。
半世紀の内乱終結直後、新しい国境線が決まった頃のものだ。
「ラクリマリス王家とラキュス・ネーニア家、それぞれを支持する庶民は、ネーニア島の領有で揉めたが、最終的にクブルム山脈を国境と定め、南北二分割で決着した」
ラクエウス議員の説明を聞きながら地図を見る。
「ラクリマリス王家とアーテル地方のキルクルス教徒……主にアーテル党の者たちは、ランテルナ島の領有を争った」
長い論争は、フラクシヌス教徒の庶民や、キルクルス教徒に死者を出す程、激しかったが結局、両国に残る異教徒を交換する場として、現在の形に落ち着いた。
ランテルナ島の力なき民は、大部分がアーテル本土へ移住したが、力ある民と湖の民は、地下街チェルノクニージニクと地上のカルダフストヴォー市に残った。
アーテル政府は現在まで、ランテルナ島民に行政サービスを一切提供せず、選挙権も与えない。
地下街の長命人種は、腥風樹との戦いで孤立状態に慣れた者が殆どだ。棄民扱いをものともしなかった。
ラクエウス議員が、クルィーロに視線を寄越す。
「今のランテルナ島は、君たちの方がよく知っておるだろう」
「一昨年、二カ月か三カ月くらい居ましたけど、森に隠された別荘でネモラリス人ゲリラとしか会いませんでしたし、今も、ちょっと買物とか行くくらいじゃ、地元の人の詳しいコトまではわかりませんよ」
クルィーロが言うと、同じくネモラリス人ゲリラの拠点で過ごした呪医セプテントリオーが、難しい顔で頷いた。
「フィアールカさんの方が詳しいでしょう」
湖の民の元神官は、地下街チェルノクニージニクの呪符屋を拠点に運び屋の活動をする。彼女が運ぶのは、主に「アーテル本土で生まれた力ある民」だ。
客が彼女をみつけたのか。
彼女が客をみつけるのか。
……どうやって、魔法の国に引越したいアーテル人と出会うんだ?
クルィーロはなんとなく、理由を知ってはいけない気がして、ずっと聞けなかった。今も、曖昧な微笑の彼女と目が合うと、何も言えなくなる。
元神官の目には、言葉にできない凄味のようなものがあった。
「私も、街全体を知ってるワケじゃないし、陸の民とは付合い薄いし、光の導き教会も行ったコトないから、微妙な立場の人たちの動向は詳しくわかんないのよ」
「そう言うものかね」
「そもそも、本土の街へ行けないから、ロークさんたちに頼んだのよ?」
運び屋フィアールカが鮮やかな緑髪を左手で掻き上げると、情報を取りまとめるファーキルが、硬い表情で頷いた。
「そうでしたな」
ラクエウス議員はすんなり引き下がった。
アナウンサーのジョールチが、ずり下がった眼鏡を中指で押し上げ、白壁に投影された地図に険しい視線を向ける。
「アーテルの政界には、そうして策定された新しい国境に満足できなかった者が多いのですね」
「アーテル地方南端のカニェーツ山脈では、旧ラキュス・ラクリマリス共和国時代まで、銅、鉛、亜鉛、錫、タングステン、ビスマス……確か、鉄とマンガンも少し採れましたが、独立後、鉱山は全く稼働しておりません」
総合商社パルンビナ株式会社の役員マリャーナが、湖南地方南西部の鉱業事情をすらすら並べる。
カニェーツ山脈は、東はポリキクニス王国から西はアーテル共和国に及ぶ長大な山脈だ。二千メートル級の山々は、多種多様な鉱物を産出するが、魔物や魔獣も多い。
魔法文明国寄りの両輪の国ポリキクニス王国と、魔法文明と科学文明を同程度に発達させるマコデス共和国は、鉱工業が盛んだ。
ラニスタ共和国は、僅かに居住する力ある陸の民や湖の民を警備員として雇い、軍も投入して細々と採掘を続ける。数年前、遠隔操作できる小型採掘機を導入し、作業員の捕食被害が大幅に減少した。
アーテル共和国も独立直後に軍を投入したが、すぐ撤退し、現在も全く採掘できないでいる。
一介の工員でしかないクルィーロは、彼女の記憶力に感心したが、それが領土の不満と何の関係があるかわからない。
「クブルム山脈の銅鉱床は、ピスチャーニク区の比較的採掘しやすい標高にあります。採掘機を投入する時だけ魔物などをどうにかできれば、麓の工場に遠隔操作室を設置して、力なき民だけでも採掘可能になると判断したのかもしれません」
疑問を見透かされたようでギョッとしたが、幾つもの情報がクルィーロの頭の中で繋がった。
独立直後、世界中のキルクルス教徒から多額の義捐金が寄せられ、アーテル共和国は復興特需に沸いた。だが、落ち着いた頃から、建設、土木、製造、不動産業界などが急激に冷え込み、彼らの消費を当て込む小売や飲食も、やや遅れて下降を辿る。
かつては豊かだった鉱物資源は現在、全て輸入に頼らなければならない。
バルバツム連邦などの企業が、アーテルの首都ルフスに工業団地を作る計画が持ち上がった。
「それってつまり、採掘しやすい銅山……ゼルノー市が欲しくて、戦争吹っ掛けたってコトですか?」
「確証はありませんが、銅は食器や電線などの他、湖の民向けの医薬品や食品添加物としても、需要が高いですからね」
緑髪の薬師アウェッラーナと、呪医セプテントリオーが、マリャーナの答えに頷く。
「自治区の拡大……あるいは解放と言う信仰上の理由と、経済的な事情……仮に来月の選挙でポデレス氏が大統領の座を降りたとしても、後任はおいそれと路線変更できんかもしれんな」
ラクエウス議員は重い息を吐いた。
☆ラクリマリス王家と(中略)アーテル党の者たちは、ランテルナ島の領有を争った……「0174.島巡る地下街」参照
☆アーテル政府は現在まで(中略)選挙権も与えない。……「0176.運び屋の忠告」「1135.島民の選挙権」参照
☆腥風樹との戦い……「382.腥風樹の被害」参照
☆森に隠された別荘……「0254.無謀な報復戦」「316.隠された建物」参照
☆ネモラリス人ゲリラ……「360.ゲリラと難民」参照
☆どうやって、魔法の国に引越したいアーテル人と出会う……「0173.暮しを捨てる」~「0175.呪符屋の二人」参照
☆光の導き教会……「841.あの島に渡る」「843.優等生の家出」参照
☆本土の街へ行けないから、ロークさんたちに頼んだ……「847.引受けた依頼」参照
☆クブルム山脈の銅鉱床は、ピスチャーニク区……「0044.自治区の生活」参照
☆独立直後(中略)アーテル共和国は復興特需……「0164.世間の空気感」「1088.短絡的皮算用」参照
☆アーテルの首都ルフスに工業団地を作る計画……「0966.中心街で調査」「1027.工業団地計画」~「1029.分断の阻止へ」「1088.短絡的皮算用」「1161.公害対策問題」参照
☆自治区の拡大……あるいは解放……「723.殉教者を作る」参照




