1645.分断の三十年
ラクエウス議員はネモラリス共和国の独立後、三十年余りの長期に亘って、リストヴァー自治区代表の国会議員であり続けた。
報告書によると、半世紀の内乱末期には、ネーニア島在住のキルクルス教徒を束ね、国を分割することで平和を目指す政治運動を展開したらしい。
実際、国連の介入で、国を分割する案を元に和平交渉が始まったのだ。
まず、かつて陸の民を統治したラクリマリス王家と湖の民の旧統治者ラキュス・ネーニア家の重立った者が呼ばれた。
フラクシヌス教徒の庶民からは、神政復古派と民主派、各派閥の主神派、湖の女神派、力ある陸の民、力なき陸の民、湖の民の各代表者。キルクルス教徒も、アーテル地方、ネーニア島、ネモラリス島在住者と、それぞれの神政復古派と民主派の代表者が集められ、数十人で何度も協議を重ねた。
現在の三カ国も、旧ラキュス・ラクリマリス共和国も、前身の王国も、多様な属性の民が共に暮らす多民族国家だ。
人種、魔力の有無、信仰、思想、政治的な立場、職業や属する社会階層……様々な要素が複雑に絡み合い、モザイク状にひとつの国家、国民を成す。
国を分けようと言うのは容易いが、どう分けるかで新たな軋轢が生じる。
……そう言や、中学ン時、社会の先生が言ってたな。
毎年、建国記念日の前後には、新聞で半世紀の内乱時代を振り返る連載特集が組まれる。
その年は、建国十五周年で、例年より特集がたくさんあった。
年配の社会科教諭は、ネモラリスの二大有力紙である緑陰新聞と湖水日報の他、湖南経済新聞のネモラリス版、ラクリマリス版、アミトスチグマ本社版も教材にした。流石に、キルクルス教徒の星光新聞までは、入手できなかったようだ。
陸の民と湖の民、主神派と湖の女神派、国内と国外。
視点や立場が異なれば、同じ過去を語っても、全く違った意味を持ち、別の出来事のような印象を受けた。
クルィーロの記憶に残ったのは、それだけだ。中身は全く思い出せない。
子供の頃……いや、開戦後、武力に依らず平和を目指す活動に参加するまで、政治にも近代史にも国際関係にも、全く興味がなかった。
教科書にはなく、試験にも出ない。
退屈なだけで、テキトーに聞き流してしまった。
……魔法も、学校の勉強も、何でもっとちゃんとしなったんだろう。
先生が、教科書ではなく、新聞をわざわざ教材にしたのは、それが教科書の勉強や学校の成績より大事なコトだからだ。
大人になった今なら、この活動に参加して国の在り方や平和について考えられるようになった今なら、わかる。
クルィーロは、何度目になるかわからない同じ後悔を噛み潰し、政治家や半世紀の内乱時代を知る年長者、国境を越えて活動する者たちの言葉に耳を傾けた。
今日この席を見回しただけでも、人種、年齢、性別、職業、信仰、魔力の有無、国籍などの属性はバラバラだ。
――この願い 叶うなら
この命など 惜しくはない
あの歌の断片が、脳裡を過る。
父は半世紀の内乱中、呪符を使って戦ったらしい。
……俺は、平和の為に命を懸けられるのか?
「儂は、信仰や政治的な信条などで住み分ければ、平和を取り戻せると思い、半世紀の内乱を終わらせる為、国を分けようと奔走した」
和平交渉は、何度も決裂の危機に瀕し、代表が殺害されたことさえある。
三年余りの歳月を費やし、多くの命を喪い、ようやく手に入れた平和だ。
「それが、ほんの三十年で破られようとはな……」
「全員を文句なしに納得させるなんて、不可能に決まってるでしょ。分けた国それぞれが、不満を隠した不穏分子を抱えるなんて、わかりきってたコトじゃない」
運び屋フィアールカが、老いた議員を鼻で笑う。
「私は、アーテル領から力ある民を穏便に脱出させる活動をしてたんだけど、逆効果だったみたいね」
呪医セプテントリオーが、会議机で囲まれた空間に向かって言う。
「確かに、多様な属性の民がモザイク状に入り混じって暮らす多民族国家で、キレイに住み分けるなど、到底不可能です」
「でしょ?」
「しかし……かつては、平和に共存できたではありませんか」
「できないから、五十年も内戦状態が続いたの、忘れたの?」
「それで可能な限り移住を行い、国を分けたにも拘らず、こんな……」
たくさんの命を見送ったであろう長命人種の呪医が、言葉を失って俯く。
「住み分け……とは、裏を返せば、分断に他なりません」
国営放送アナウンサーのジョールチが、いつもの放送と同じ声で言う。
……分断。
クルィーロは、針子のアミエーラが時折見せる控えめな笑顔を思い出した。
テロと大火と空襲、それに続く巨大な魔獣の出現がなければ、クルィーロは彼女の存在すら知らずに一生を終えた筈だ。
ソルニャーク隊長、メドヴェージ、少年兵モーフ、今、目の前に居るラクエウス議員も、ゼルノー市の隣にずっと居たが、高い塀と検問所に遮られ、別世界の住人だった。
三十年間。
クルィーロとアミエーラとモーフが産まれる前から、リストヴァー自治区は、フラクシヌス教徒が暮らす地域から切り離されてきた。
工場の仕事などで、顔の見えない関係が細々とあっただけだ。
トラック運転手のメドヴェージに言われるまで、クルィーロは、組立ての最終工程を担当する機器の部品と、リストヴァー自治区との繋がりを全く想像したことすらなかった。




