1644.阻害する理由
「ネモラリス領内に散らばる星の標が、貧困層の不満の矛先をそれとなく政府に向けさせれば、政情不安に陥れられます」
アサコール党首が、さらりと恐ろしいことを言う。
……いや、実行済みなんだ。
クルィーロが以前、ファーキルからもらった情報にあった。
アサコール党首と運び屋フィアールカは、バルバツム連邦の同志と協力し、アーテル共和国の小麦相場にデタラメな介入をしたらしい。
多額の資金を注ぎ込み、実際の需要とはかけ離れた暴騰と暴落を繰り返した。
ラクリマリス王国による湖上封鎖の影響もあり、食品関連を中心に多数の中小企業が倒産。大企業も雇用調整を行い、大量の失業者が発生した。
アーテル本土の各地でデモや暴動が発生。自殺や一家心中もかつてない水準で増加し、高止まりが続く。
ネモラリス共和国では、各地に潜む星の標……隠れキルクルス教徒が煽動した結果、湖の民を中心に神政復古派がネミュス解放軍を結成。首都クレーヴェルでクーデターを起こした。
更に言えば、カピヨー支部長らがリストヴァー自治区を襲撃したのも、星の標が口コミで情報を流したからかもしれない。
「情報統制もしやすくなりますよね」
クラピーフニク議員が、会議机に置いたタブレット端末に視線を落とした。ラクエウス議員が白い眉根を寄せる。
「そうだな。報道を検閲し、不都合な記事を差し止めるなど、赤子の手を捻るようなものだ」
「インターネットで検閲しても、抜け道は幾らでもありますからね」
ファーキルが何でもないコトのように言う。
ロークたちが、アーテルで仕掛けた情報工作は、大体が狙い通りに広がった。
……怖いくらい上手く行ってるよな。
クルィーロは、クレーヴェルの帰還難民センターで、自分が何者であるか明かした時のロークを思い出し、何とも言えない気持ちになった。
この戦争が終わったら、ロークはどこで、何者として生きてゆくつもりなのか。
クルィーロには想像もつかなかった。
「安全保障上も不利になるが、防衛予算に通信設備の増強が盛り込まれたコトなど一度もない」
断言したラクエウス議員の在任期間と、ネモラリス共和国の分離・独立後の期間は一致する。
両輪の軸党のアサコール党首が、眉間の皺を深くした。
「軍を統括するアル・ジャディ将軍は、ラクリマリス王国がインターネットを導入して以来、開戦までの十年間、毎年予算を要求しましたが、復興予算を盾に突っぱねられました」
「えッ? そうだったんですか? そんな話、全然……」
「秦皮の枝党では、若手のクラピーフニク君の前、もっと上の方で情報を止められたのでしょう」
ベテランのアサコール党首が当然のように言う。
クラピーフニク議員は、前回の選挙で初当選した新人で、秦皮の枝党内では下っ端だ。魔哮砲の件もあまり知らされず、自分で調べたらしい。
クルィーロは、クラピーフニク議員に同情した。
……会社でも政党でも、似たようなモンなんだな。
「私の所に何件か、民間企業から相談があり、両輪の軸党として法案を上げたのですが、審議すらされず、流されました」
アサコール氏が党首を務める両輪の軸党は、建設業など岩山の神スツラーシの信者が多い業界と関係が深い。インターネットがないせいで、資材の輸入などで困ったのだろう。
「しかも、その件は全く報道されませんでした」
「どうしてです?」
ラゾールニクが聞くと、アサコール党首は当時を思い出したのか、頬をヒクつかせた。
「知り合いの記者に聞きましたが、審議入りしてからでなければ載せられない、と目を逸らされました」
「引き下がったんですか?」
「それではと、我が党の機関紙に載せようとしたのですが、印刷会社にこの部分は刷れないと断られましたよ」
「理由、何か言ってました?」
「言えないそうです」
党首が自嘲する。
先手を打って、懇意の印刷会社にまで手を回されたのでは、言論を封殺されたも同然だ。この上、演説などで大勢を前に言おうものなら、何をされるか知れたものではなかった。
……実際、魔哮砲の件じゃ、何人も殺されたしなぁ。
「それだけ、秦皮の枝党……の隠れキルクルス教徒には不都合なのですね」
「あ、そっか」
アナウンサーのジョールチが悔しげにこぼすと、ファーキルがノートパソコンから顔を上げた。薬師アウェッラーナが目を丸くする。
「どうしたの?」
「ロークさんが、星の標の支部長たちが、ディケアとかの回線を使ってアーテルやバルバツムと連絡してるって言ってたの、思い出しました」
「あ! もしかして、それがバレたら困るから、ネモラリス軍や警察の捜査を邪魔する為に?」
「一体……いつから……?」
アウェッラーナの声が閃き、クルィーロは呆然と呟いた。
アサコール党首が溜め息混じりに答える。
「印刷会社に断られたのは、ラクリマリスがインターネット導入を報道発表した翌年です」
「内憂外患……ずっと、隠れキルクルス教徒が国家転覆の機を窺っていたと? 同時に魔哮砲の軍用化を研究して?」
呪医セプテントリオーが、魂の抜けたような声を漏らす。
ラゾールニクが軽いノリで言った。
「ま、その辺はちゃんと調べなきゃわかんないけど、彼らの教義からしたら矛盾だらけだよな。本人たちは、辻褄が合ってるつもりかもしれないけど」
「俺が言ったの、ちゃんとした根拠があるワケじゃなくて、単なる想像ですし」
クルィーロは、何の慰めにもならないと知りつつ、言わずにはいられなかった。
全てが事実だとすれば、目的は、ネモラリス共和国に住む力なき民のキルクルス教化と、アーテル共和国によるネモラリス領の併呑だろう。
キルクルス教徒の一部も、旧ラキュス・ラクリマリス共和国の分割と三カ国の独立に納得しなかったのだ。
三十年間。
平和の為に国家を分割した筈が、それこそが、新たな紛争の火種となる。
クルィーロはそっとラクエウス議員を窺った。
☆アーテル共和国の小麦相場にデタラメな介入……「424.旧知との再会」「440.経済的な攻撃」「588.掌で踊る手駒」参照
☆湖上封鎖の影響……「0144.非番の一兵卒」「0154.【遠望】の術」「0161.議員と外交官」「285.諜報員の負傷」参照
☆星の標が口コミで情報を流した……「834.敵意を煽る者」「875.勝手なハナシ」参照
☆情報統制/不都合な記事を差し止める……「0241.未明の議場で」「864.隠された勝利」参照
☆帰還難民センターで、自分が何者であるか明かした時のローク……「637.俺の最終目標」参照
☆魔哮砲の件もあまり知らされず、自分で調べた……「0247.紛糾する議論」「0248.継続か廃止か」参照
☆両輪の軸党は、建設業など岩山の神スツラーシの信者が多い業界と関係が深い……「402.情報インフラ」「602.国外に届く声」参照
☆魔哮砲の件じゃ、何人も殺された……「277.深夜の脱出行」「402.情報インフラ」参照
☆星の標の支部長たちが、ディケアとかの回線を使ってアーテルやバルバツムと連絡……「721.リャビーナ市」「0938.彼らの目論見」「0997.居場所なき者」参照




