1643.商社のお仕事
「ネモラリスに携帯電話やインターネットがないのって、秦皮の枝党に紛れ込んだ隠れキルクルス教徒が、わざとやってるんじゃないかなって」
「何故、そう思うのだね?」
ラクエウス議員の白い眉が動く。クルィーロは、背筋を伸ばして答えた。
「想像ですけど、ネモラリスが復興しないように邪魔してるのかなって」
「復興の妨げ? 自分の住む国でかね?」
「実際、何考えてるかわかりませんけど、周りの国、みんな携帯電話やインターネットが普及してるのにウチだけないのって、変だと思いませんか?」
「確かに……」
「貿易とか仕事の面で、科学の通信手段が使えないのって、凄く不便で困ると思うんですよね」
「あー……今、アーテルの会社、困ってますもんね」
ファーキルが頷く。
クルィーロ自身、タブレット端末とインターネットの回線網なしで、現在の活動を続けられる気がしない。
みんなの視線が、マリャーナに集まった。
総合商社パルンビナ株式会社の役員が、壁に投影されたネモラリスの首都クレーヴェルの航空写真を見て言う。
「弊社は開戦後、アミトスチグマ人の社員を帰国させ、ネモラリス支社を縮小しました。ネモラリス人社員の一部を【跳躍】でアミトスチグマ本社やラクリマリス支社に通わせ、ネモラリス企業との取引を継続しております」
……力なき民の社員は……ネモラリス支社に留まるしかないのか。
こんなところにまで、力ある民と力なき民の差が出る。クルィーロは、苦い思いでマリャーナの話に耳を傾けた。
「元々通信が不便なので、商談の進め方などに大きな変更はございません」
ネモラリス企業との商談は電話と対面が主だ。市外通話は、開戦前から複数の都市間で接続がなく、【跳躍】で直接会う方が早かった。
重要書類は、郵便の不着対策で、都内発着便以外は原則、対面手渡しだ。
ネーニア島の営業所は、トポリ市、マスリーナ市、クルブニーカ市、ガルデーニヤ市、エージャ市の五カ所あったが、一昨年の空襲で壊滅。ネモラリス人の社員と家族の生き残りは、ギアツィント市とレーチカ市の営業所で引取った。
アミトスチグマ王国の本社に異動を希望した者は、ラクリマリス支社に移した。
トポリ市と、比較的被害が少なかったエージャ市の復旧・復興は進んだが、アーテル軍がいつ、攻撃を再開するか予測できない為、ネーニア島内の営業所再開は、話題にも上らない。
「戦争が終われば、復興特需が起きるでしょう。現在も、トポリ市などの復興事業で建材の需要が伸びています。難民キャンプから伐り出した木材の一部は、ネモラリス臨時政府が買上げて下さいますので、弊社はその売上で、難民キャンプに食糧などをお届けしております」
「我々は現在、ネモラリス島に居て、ネーニア島の情報が薄いのですが……」
アナウンサーのジョールチが、申し訳なさそうに言う。
薬師アウェッラーナはハンカチを下ろし、泣き腫らした目でマリャーナを見た。
「リストヴァー自治区や、トポリ市の情報をたくさんお寄せいただいて、大変助かっておりますよ」
マリャーナが微笑むと、クラピーフニク議員が明るい声を出した。
「自治区にある工場の稼働状況が分かれば、原材料の需要が読めて、製品の販売先とかその辺も……と言うコトですか?」
マリャーナは微笑を湛えて頷いた。
アサコール党首が投影画像の前から席に戻って言う。
「それでしたら、秦皮の枝党に巣食う隠れキルクルス教徒の目的も、見当がつけられます」
「何の目的があって復興の妨げを……?」
呪医セプテントリオーが訝る。
アサコール党首は、タブレット端末を手に取ったが、すぐ会議机に置き直した。クルィーロの手許でも、まだまだダウンロードが終わらない。
「今の時代にインターネットを導入できなければ、情報の遅れや不足で、軍事と経済に甚大な不利益をもたらします」
「ネモラリスは実際、アーテルがインターネットで展開したプロパガンダで、国際的に孤立してるものね」
運び屋フィアールカが頷く。
アーテル共和国が流した偽ニュースのせいで、ネモラリス共和国は「和平交渉の呼掛けを無視する言葉の通じないならずもの国家」のレッテルを貼られた。
特にキルクルス教文化圏と重なる「公用語が共通語の国々」では、酷い言われようだ。
「ネモラリス企業は、商談成立に要する日数が周辺国と比べて多く、それだけ経費や労力が嵩みます」
「貿易の鈍化で、半世紀の内乱からの経済的な復興が遅れて当然ですよ」
マリャーナに続き、アサコール党首が悔しげに眉を顰めた。
ラクエウス議員が頷く。
「就労場所が増えず、困窮世帯が増えれば、福祉予算で財政が圧迫され、復興が更に遅れる」
リストヴァー自治区は急造された為、急激に流入した人口に対して就労場所が全く足りず、多くの絶対的貧困層を産み出した。
中央政府の予算から切り離され、福祉予算が全く足りず、自治区成立から三十年余り、人口の増加と生活困窮者の増加が正比例し続ける。
二年前の大火で東部のバラック街が焼失し、生存者の住環境が大幅に改善したのは、皮肉としか言いようがない。
「通信が不便なネモラリス企業とは取引が困難です。その多くは、周辺国に支社や営業所を設置して対策していますが……」
「なんとかならないんですか?」
ファーキルが聞くと、マリャーナは目を伏せた。
「それでも、ネモラリスの本社と調整が必要な場合は、どうしても遅れが生じます。その間に相場が動き、大きな損害が発生したことは、一度や二度ではありません」
ネモラリス企業とパルンビナ株式会社のどちらが損害を蒙ったか言わない。
……両方で起きてそうだよな。
一介の工員でしかないクルィーロでも、ここまで説明されれば、なんとなくわかる。
例えば将来、ネモラリスがインターネットを導入した時、付合いの長い方が信頼が厚く、パソコンやタブレット端末の大口契約を有利に結べる可能性が高くなるだろう。
先行投資として、旧態依然とした面倒な取引先を切らないのだ。
……それに、国の政策のせいで、会社のせいじゃないもんな。
クルィーロは、平和な頃に読んだ雑誌を思い出し、そっと息を漏らした。
☆科学の通信手段が使えないのって、凄く不便で困ると思う……「0041.安否不明の兄」参照
☆今、アーテルの会社、困ってます……「1293.ずれた解決策」参照
☆市外通話は、開戦前から複数の都市間で接続がなく……「410.ネットの普及」「883.機材の取扱い」「1215.目的の再確認」参照
☆難民キャンプから伐り出した木材……「729.休むヒマなし」参照
☆アーテルがインターネットで展開したプロパガンダ……「411.情報戦の敗北」「1118.攻めの守りで」「1214.偽のニュース」「1215.目的の再確認」「1291.庶民の恨み節」「1295.住宅街で聞く」「1346.安定には遠く」参照
☆アーテル共和国が流した偽ニュース……「1214.偽のニュース」「1215.目的の再確認」参照
☆急激に流入した人口に対して就労場所が全く足りず……「0026.三十年の不満」参照
☆二年前の大火で東部のバラック街が焼失……「0054.自治区の災厄」「0055.山積みの号外」「0212.自治区の様子」~「0214.老いた姉と弟」参照
☆生存者の住環境が大幅に改善……「276.区画整理事業」参照
☆平和な頃に読んだ雑誌……「0041.安否不明の兄」参照




