1637.気になる隣国
魔装兵ルベルは、駐在武官の結論に呆然とした。
大使館に所属する彼は、駐在するルニフェラ共和国から急遽呼び戻され、入院したルベルの代理でアーテル領に派遣された。
……アーテルの民衆が蜂起するとか?
実際、開戦直後は空軍基地周辺などで反戦デモが行われ、湖上封鎖の経済的な影響が出始めた頃には、アーテル本土の各地で暴動が発生した。
それでも、アーテル政府の方針は変わらない。
多額の血税を投じ、多数の兵員も失われたが、現在も基地の再建と大規模な募兵が続く。
アーテル軍がバルバツム連邦から格安で仕入れた中古の無人機は、ネモラリス軍の迎撃と、ルベルと魔哮砲の攻撃で大部分を破壊できた。アーテル共和国の技術力では、まだ自力では生産できない。
残存する無人機は、内陸のテールム基地とベラーンス基地へ移送されたが、それも、ルベルと魔哮砲の攻撃で灰燼に帰す。
再びバルバツム連邦から提供を受ける可能性があり、戦争が終わらない限り、ネモラリス共和国にとって脅威は残る。提供された場合、操縦システムの再構築にどれだけの時間と費用を要するか不明だ。
また、アーテル陸軍が保有する可搬式のミサイル発射装置とミサイルは無傷だ。
インターネットの遮断でどれだけ、GPS誘導を妨害できるか未知数だが、発射しないところを見ると、それなりの効果はあるらしい。
スークス通信衛星アンテナ基地の復旧も、ウートラ班長率いる工兵隊の爆破工作で、遅々として進まない。
官公庁や民間企業などは、小型の衛星移動体通信システムを入手し、細々とではあるが、インターネットに接続できた。
アーテル軍が導入しないとは考えられないが、その動きは、ラズートチク少尉らにも、未だ掴めないようだ。
現在、ネモラリス領に対する直接の武力攻撃は休止状態だが、在外公館によるインターネット上のプロパガンダは続く。
アーテル共和国の大統領選挙本選は、五月に延期された。
結果によって、軍がどう動くか、和平の道筋がどうなるか、全く読めない。
既に二回実施された予備選の結果では、アーテル党の現職ポデレス党首の再選が有力視される。
残る対立候補は、音楽家のヒュムヌス氏と最年少のミェーフ氏だ。
ヒュムヌス氏は、音楽家と、そのファンが支持母体の「安らぎの光党」が擁立した。大統領選と同時期に行われた国政選挙では、安らぎの光党が議席を伸ばし、平和を願うアーテル国民の存在を世間に印象付けた。泡沫政党でしかない安らぎの光党にとっては大躍進だが、与党であるアーテル党の足下にも及ばない。
ミェーフ氏は無所属新人ながら、インターネットを駆使した独自の戦略を打ち出し、主に半世紀の内乱時代を知らない若年層の支持を得た。インターネットが使えない現在、活動状況は不明だ。
駐在武官は、隣のラニスタ共和国にも足を伸ばした。
アーテル共和国に本社がある大企業の多くは、友好国であるラニスタに支社や営業所を置く。
……あ、そっか。同じキルクルス教国で地続きだし、そりゃ行きやすいよな。
特に貿易商などは、ラニスタの支社や営業所に人員を移し、体制の維持を図る。
急な上、期間の見通しが立たないことから、多くは単身赴任だ。ラニスタ共和国の都市部では、昨年十一月以降、単身者向けの賃貸物件が軒並み埋まる。一部でインターネット回線の増強工事が行われ、家賃が上昇した。
地元民から不満の声は上がったが、目立った混乱は見られない。主にSNSで呟かれる独り言めいた投稿だ。
ルベルはふと、ラニスタの国境付近で銃撃された件を思い出した。
魔装兵ルベルたちの【鎧】は霧のない夜間、強力な【魔除け】が真珠色に発光して見える。あの淡い光を遠距離から狙撃されたのだ。
狙撃手が【暗視】か【索敵】で光源を捕捉したとしか思えない。
……ラニスタの国教もキルクルス教なのに?
新聞やラジオで時折、ラニスタ共和国で魔法使いを狙った星の標のテロが発生したと報じられる。ラニスタにも、力ある民が居るらしいが、ルベルは彼らの暮らしぶりまでは知らなかった。
ラニスタ軍が魔法戦士を採用するだろうか。
国民の大部分を占めるキルクルス教徒や、星の標の反応を想像すると、実現は難しいように思えた。
ラニスタ軍はアーテル政府の宣戦布告後、アーテル軍と共にネーニア島のネモラリス共和国領を爆撃したが、ラクリマリス王国による湖上封鎖以降は、全く出撃しない。
水面下で武器弾薬の調達などを行う。
ルベルたちがアーテル空軍の基地を破壊してからは、目立った動きがなかった。
湖上封鎖による経済的な影響は、ラニスタ共和国にも及ぶ。隣国への軍事援助どころではなくなったのかもしれないが、正確な理由は不明だ。
ルベルは、リハビリ用のボールを書き物机に置いた。
こんな軟らかいものをしばらく揉んだだけで、手首から肘にかけて筋肉が突っ張り、軽く痛む。
左手で右腕をゆっくり揉み解し、大きく息を吐く。
タブレット端末の電源を切り、充電器の太陽光パネルを日当たりのいい位置にずらした。
強張った右腕を解しながら、個室内を一周する。
退院当日は、それだけで息切れがして足がふらついたが、一週間目の今日はふらつかずに歩けた。
なるべく寝台に横たわらず、起立か座位の時間を長くするよう指示された。
今日は午前中と昼食後、ずっと座って報告書を読み続けたせいか、腰が痛い。
ゆっくり息を吐きながら前屈し、腰を伸ばす。床に手を着いてそろりと身を起こしたが、立ち眩みがした。
……夕飯まで休もう。
今日は頑張り過ぎた気がする。
ルベルは頭の中で言い訳を並べながら、寝台に潜り込んだ。
☆開戦直後は空軍基地周辺などで反戦デモ……「0162.アーテルの子」参照
☆湖上封鎖の経済的な影響(中略)アーテル本土の各地で暴動が発生……「265.伝えない政策」「440.経済的な攻撃」参照
☆アーテル軍がバルバツム連邦から格安で仕入れた中古の無人機……「325.情報を集める」「331.返事を待つ間」「363.敵国の背後に」「752.世俗との距離」「0957.緊急ニュース」「1023.特番への反応」「」参照
☆ネモラリス軍の迎撃……「307.聖なる星の旗」「309.生贄と無人機」参照
☆ルベルと魔哮砲の攻撃……「816.魔哮砲の威力」「862.今冬の出来事」参照
☆無人機は、内陸のテールム基地とベラーンス基地へ移送……「862.今冬の出来事」参照
☆既に二回実施された予備選の結果……「1157.国会に届く歌」「1161.公害対策問題」「1162.足りない信任」「1164.信任者の実数」「1344.投票所周辺で」~「1346.安定には遠く」参照
☆音楽家のヒュムヌス氏……「1139.安らぎの光党」参照
☆最年少のミェーフ氏……「1138.国外の視点で」参照
☆国政選挙では、安らぎの光党が議席を伸ばし……「1157.国会に届く歌」参照
☆ラニスタの国境付近で銃撃された件……「1221.予期せぬ襲撃」参照
☆ラニスタ共和国で魔法使いを狙った星の標のテロが発生したと報じられる……「0005.通勤の上り坂」参照




