1636.代理者の考察
ルベルの入院中、代理でアーテル共和国に潜入した駐在武官は、フリージャーナリストのフリをして、公衆電話の順番待ち行列襲撃事件の現場を回った。
行き先別で、予め用意した偽造の身分証を持ち替え、証明写真に合わせて【化粧】の術で顔を変えてゆく。
魔装兵ルベルには、まずできない芸当だ。
ラズートチク少尉にも、大柄で目立つ容姿の初心者には、市中での調査を期待しないと言われた。
アーテル共和国の一般人や警察官には、【化粧】を見抜く目も、術を破る手段もない。
魔装兵ルベルはルフス光跡教会に潜入する際、ラズートチク少尉に【化粧】の首飾りを渡された。だが、街中で行う調査でも、必要との発想はなかった。
駐在武官は、新聞記事の僅かな記述と、役所の広報紙のバックナンバーに掲載された防災地図を元に事件が発生した公衆電話を割り出した。
……何でそんなものでわかるんだ?
初心者の疑問を見透かしたような註記があった。
ネモラリス共和国では、電話のない世帯が多い為、公衆電話は店先や路上など到る処に配置される。
アーテル共和国では、各個人が携帯電話やタブレット端末などを所持する為、公衆電話の必要性が薄い。充電器を忘れた際の代替手段か、災害などの非常用だ。
公衆電話は、災害などによる回線輻輳時、住宅や事業所の一般回線より、発信が優先接続される。
アーテル共和国に於いて、公衆電話は一般的な連絡手段ではなく、防災設備の一種なのだ。
この為、防災拠点となる公共施設、避難所の指定を受けた学校、文化施設や体育館などに重点配備され、防災地図には公衆電話の位置が掲載される。
ルベルは、初めて示された視点に愕然とした。
溜め息を吐いて振り返る。
トポリ基地に与えられた部屋は殺風景で、簡素な寝台と、この書き物机の他に家具はない。私物は全て寝台の下だ。
寝台の上には、理学療法士から「これで柔軟体操をするように」と渡された中途半端な大きさのリハビリ用タオルが、ぐんにゃり横たわる。
リハビリ用ゴムボールを右手に持ち替え、掌の中で揉んだ。ふにふにとやわらかな感触は、魔哮砲より頼りなく、手を離せばすぐぬくもりを失う。
あたたかな闇の塊が恋しかった。
魔装兵ルベルはまだ、日常動作にも支障が多い。
軽い柔軟体操ですら、途中で息が上がる始末だ。
負荷が大きい本格的な筋トレは禁止されたが、言われるまでもなく、できなかった。今日の体調では、柔軟体操をするのも億劫だ。右手の握力を回復させながら、左手でタブレット端末をつつく。
公衆電話の位置を割り出した駐在武官は、フリージャーナリストに成り済まし、周辺で聞き込みを行った。
多くは門前払いだが、各現場に数人は、恐ろしい経験を誰かに聞いてもらいたい者が居る。彼らに同情と労りを示しつつ、魔獣の種類や被害者が襲われた状況、駆除の様子などを聞き出す。写真や動画があれば、端末に表示させて撮影した。
……データの授受、できるんだ。
震える手で「目撃者」の画像フォルダを開く。
原本を複写して送信したのではなく、画面越しの撮影の為、画質はやや劣る。不明瞭で小さいが、魔獣の種類や攻撃の様子は充分、判別できた。
別の職業に成り済ます演技力も、こんな方法で当時の証拠写真を入手する柔軟な発想も、ルベルには持ち合せがない。
駐在武官は、証言と入手したデータを元に報道を洗い直し、考察を重ねた。
彼の所感では、使い魔を使役する術者は三人。一人が双頭狼、後の二人は四眼狼を操る。写真の比較によって個体を識別した。
……四眼狼の顔を見分けただって?
ルベルには、全部同じに見える。
だが、軍用犬の係員が同じ犬種を何頭も担当し、それぞれの個性を区別できることを思えば、わかる者にはわかるのだろう。
ルベルの本分は、【飛翔する蜂角鷹】学派の術を用いる哨戒兵だ。【索敵】の術で遠方の魔物や敵軍の動きを探り、警戒に当たる。
見るべきものは種類と動き。なるべく早く気付き、実動隊への正確な伝達が求められる。
必要な情報は、魔物や魔獣なら種類と数、飛行機なら民間機と軍用機の区別、その所属までだ。戦闘中ならば、動きと数、新手への警戒も求められるが、個体識別までは要求されない。
駐在武官の任務は、ルベルとは全く異なる観察眼を求められるらしい。
……俺が真似したら、絶対、失敗するな。
ラズートチク少尉から、【索敵】とインターネット以外での情報収集を求められなかった理由を改めて思い知らされた。
気持ちを切替えて報告書の続きに目を通す。
魔獣は、公衆電話の順番を待つアーテル人を次々と殺害した。いずれも、犠牲者の頭部や頚部などを一撃で食い千切り、逃げる者の足を噛み砕いただけで、肉を食われた者は居ない。
被害者の多くは、社用で他社に連絡する会社員だ。
この一カ月余り、アーテル全土で休校措置が取られ、一般の人々には外出の自粛が要請された。許されるのは、仕事や通院、食料品の買出しなど、必要最低限の外出のみだ。
だが、「業務用の通話の為、公衆電話の順番待ちで長時間、屋外に居る」状態に関しては、その是非が曖昧だ。
魔獣の犠牲者に対する責任の所在もうやむやで、事件が報道される度に議論が噴出する。
駐在武官は、バス停や飲食店、スーパーマーケット、教会などで情報収集した。
責任の所在は、ポデレス政権、電話を命じた事業所、公衆電話を設置する施設の管理者、電話会社、利用者を守れなかった警備会社、いずれにあるのか。
それとも、危険な命令を出す非常識な会社をさっさと辞め、まともな会社に転職しなかった犠牲者自身にあるのか。
視点は立場で異なり、議論はいつも平行線だ。
意見を異にする者は、所構わず、いがみ合う。
魔獣の契約者三人は、遠隔地で同時に襲撃を実行することから、連携し得る程度の関係があると看做してよい。
所属については、更なる調査を要する。
ネモラリス憂撃隊の可能性が高いが、銀鱗の虫魚の件を含めれば、個人的にゲリラ活動を行う者による緩やかな繋がりも排除できない。
魔獣を用いたテロ活動は、科学文明国となったアーテル共和国に於いては、明確な証拠を掴めない。
経済活動の萎縮と、アーテル人に不和を生じさせた点も、高く評価できる。
ポデレス政権崩壊の日は近い。
☆ラズートチク少尉にも(中略)調査を期待しないと言われた。……「0957.緊急ニュース」「1070.二人の行く先」参照
☆戦闘中……「0136.守備隊の兵士」「0154.【遠望】の術」「0221.新しい討伐隊」「0233.消え去る魔獣」「757.防空網の突破」「758.最前線の攻防」参照




