1635.報道から読む
魔獣による公衆電話の順番待ち行列襲撃事件は、アーテル共和国の首都ルフスで発生したものの報道件数が多い。
回線復旧率の低さと、人口の多さ、首都であるが故の注目度の高さが、記事数の偏りの主な原因だろう。
アーテル共和国全体の発生状況や、地域別の集計などは発表がない。
地方で発生した同種の事件は、犠牲者が多ければ新聞紙面に載った。
湖底ケーブルの切断など、魔装兵ルベルらの特命部隊が行った通信遮断工作で、アーテル領では現在も、インターネットがほぼ使用不能だ。
衛星移動体通信システムの価格が高騰、官公庁の他、大企業や富裕層以外は手が届かない。
入手できたところで、通信容量が小さく、ページ内の広告が重いニュースサイトなどは、なかなか表示できないだろう。
国民の情報源は、新聞、雑誌、ラジオ、テレビジョンで、これでもまだ、ネモラリス人より多い。
だが、アーテル人は、インターネットで無料公開されるニュースに慣れ過ぎた。戦争と湖上封鎖による経済の失速もあり、新聞や雑誌の購入に二の足を踏む世帯が多い。
昨年十一月の湖底ケーブル切断直後から、大統領選第二回予備選の投票結果発表までは、新聞が飛ぶように売れた。
ラズートチク少尉の調べによると、現在は、夕刊の発売時刻を過ぎても、朝刊の大部分が売れ残ると言う。
駐在武官の調査では、ラジオとテレビジョンのニュースでは、魔獣による襲撃事件を一切、言わないらしい。
これも報道規制の一種かもしれないが、新聞を購入できる経済的な余裕のある層の口から伝わるだろう。例えば、社長などが朝礼で、こんなことがあるから、公衆電話周辺では気をつけるように云々……と。
勤め人の口から配偶者ら家族にも伝われば、規制の意味を成さない気がした。
それでも、アーテルの力なき民が、公衆電話に列を作るのは、他の通信手段がほぼ使えず、経済活動の支障が大きいからだ。
他の者が食われる間に自分だけは逃げ切れるなどと、根拠のない自信を持つ楽観論者も居るだろう。
魔獣の行動が捕食ではなく、単なる殺戮であるとの報道があれば、人々の行動を変えられるかもしれないが、そのような記事はひとつもなかった。
パニックや更なる経済の萎縮を恐れたのかもしれない。
……でも、よく考えたら、たったの一頭で一遍に何十人も食えないって気付きそうなもんだけどな。
その場で人を喰らうなら、その隙に他の者は逃げられそうなものだ。群を作る草食動物は、捕食者に対してその生存戦略を採る。
襲撃は毎回、屋外で、一度に出現する魔獣は一頭。報道された事件では、一度に複数が出現したことはない。
同じ時間帯にアケル市とウンダ市など、複数の場所に出現した日はあるが、魔獣の種類が異なる。
……使い魔だとしたら、契約者は二人?
双頭狼に一人、四眼狼に一人。示し合せて離れた場所で同時に人を襲わせ、アーテル陸軍対魔獣特殊作戦群の戦力を分断させようとしたのかもしれない。
もしそうなら、契約者はネモラリス憂撃隊の可能性が高い。
ネモラリス政府軍の通信遮断作戦と揆を一にして、小型基地局を爆破し、召喚した魔獣をビルの屋上へ固定して修理を妨害した。
ラズートチク少尉ら政府軍による憂撃隊の復讐派殲滅後、穏健派に【渡る雁金】学派の術者が加わった可能性も考えられる。
穏健派の警備員についた【編む葦切】学派の術者だけでは、魔物召喚に大量の呪符が必要だ。
湖上封鎖の影響によって、素材の調達には政府軍ですら苦心する。だが、【渡る雁金】学派の召喚術ならば、幽界から一度に大量の魔物を呼び寄せられる。
通信遮断作戦当時に起きた魔物や魔獣の大量出現は、【召喚符】ではなく、召喚術によるものかもしれない。
公衆電話絡みの犠牲者数は、二十人前後の日が多く、時折、地方都市で五十人を越える事件が発生した。
インターネットが使える状態なら、SNSで現場に居合わせた者の投稿画像や動画を収集し、もっと詳細な分析ができただろう。
現在は、ポデレス政権の意を酌む報道機関を通した情報しか得られないのがもどかしい。
政府軍が、ネモラリス憂撃隊の残党を殲滅するか、支配下に置くか、それとも、放任するのか。判断にはもっと情報が必要だ。
これ程の被害が発生しても、アーテル人は公衆電話に群がるのをやめない。
ルベルは昨年、首都ルフスの商店街で見た貼紙を思い出した。
シャッターに貼られた閉店のお知らせ、重ねて貼られた債権者の罵詈雑言。電柱には「子供たちにパンを!」と血を吐くような叫びがあった。
商店主の無念も、借金取りの苦労も、食事にさえ事欠く庶民の嘆願も、ポデレス政権やアーテル党には届かない。
ラクリマリス王国による湖上封鎖で、物資不足から物価の上昇が止まらず、個人商店や中小企業を中心に倒産が相次いだ。
経営陣は赤字の拡大や経営破綻を恐れ、従業員は失業と経済的困窮を恐れて仕事を続ける。
ラズートチク少尉は魔哮砲の給餌場所として、廃病院や廃ビルだけでなく、一家心中の現場となった個人商店や工場などへ、何度もルベルを案内した。
この戦争のどこに国民の人生を食い潰してまで遂行すべき大義があるのか。
ルベルは薄暗くなった画面をつつき、駐在武官の考察ファイルを開いた。
☆魔獣による公衆電話の順番待ち行列襲撃事件……「1523.庁舎前の惨事」参照
☆魔装兵ルベルらの特命部隊が行った通信遮断工作/ネモラリス政府軍の通信遮断作戦……「1218.通信網の破壊」~「1222.水底を流れる」参照
☆衛星移動体通信システムの価格が高騰……「1293.ずれた解決策」参照
☆新聞が飛ぶように売れた……「1223.繋がらない日」「1294.フツーに仕事」参照
☆小型基地局を爆破し、召喚した魔獣をビルの屋上へ固定して修理を妨害……「1218.通信網の破壊」参照
☆政府軍による憂撃隊の復讐派殲滅……「911.復讐派を殲滅」参照
☆穏健派の警備員についた【編む葦切】学派の術者……「837.憂撃隊と交渉」「838.ゲリラの離反」参照
☆商店街で見た貼紙……「800.第二の隠れ家」参照
☆一家心中の現場となった個人商店や工場……「0957.緊急ニュース」参照




