1628.翌朝の訪問者
ラジオのおっちゃんジョールチが、背筋を伸ばして学生たち五人を見回す。
「あなた方が生き延びて、今日ここに居て下さったから、我々に首都クレーヴェルで何が起こったか、伝わったのです」
「でも……」
「放送は致しません。しかし、あなた方からいただいた貴重な情報は、武力に依らず平和を目指す同志にお伝え致します」
「今すぐ状況を動かす力はありませんが、首都の様子がわからなければ、対策も善後策も立てられません」
ラジオのおっちゃんがレフラーツスを遮り、アマナの父ちゃんが畳みかけた。
葬儀屋のおっさんが鎮花茶を淹れ直して言う。
「まだ、もう一人の坊主のハナシを聞いてねぇ」
みんなが、最後の一人……眼鏡の男子高校生に向き直った。
休み時間になり、子供らが校庭に出て来たが、今度は誰も移動放送局の車に近付かない。先生に何か言われたのだろう。
「僕は、クレーヴェル高専で【巣懸ける懸巣】学派の勉強を……あっ、呼称はザパースって言います」
「ザパース君、ゆっくりでいいよ、ゆっくりで」
ラゾールニクはいつもの軽いノリで言ったが、ザパースは硬い表情で眼鏡を掛け直した。
「父と長兄が狩人で、僕も【飛翔する鷹】学派を少し教わりました。でも、戦いとか苦手なので、建築の勉強をすることにしたんです」
「あれっ? 呪符とか呪具とか作る術もなかったっけ?」
魔法使いの工員クルィーロが意外そうに突っ込むと、ザパースは俯きながら首を横に振った。
「ちゃんと修行してしまったら、物作り専業ではいられなくなるんです」
「えッ? 何で?」
「魔物や魔獣が出たら、退治に動員されます」
「あッ……」
……向いてねぇ魔法は、習わねぇ方がいいのか。
親兄弟に教えてもらえるのは得な気がしたが、そうでもないらしい。
少年兵モーフは、学ぶ機会を自ら蹴った眼鏡の少年を見た。確かにひょろくて弱そうだが、魔法使いの強さは外見からはわからない。
「現に……クーデターの次の朝、下宿にサル・ガズ様が来られて……」
ザパースの下宿は、レフラーツスの下宿から歩いて三分の所だ。電話したが、誰も出なかった。
この家屋に組込まれた術は【魔除け】【耐震】【耐火】【耐暑】【耐寒】だ。手持ちの呪符素材は【頑強符】用が三枚分と、【耐火符】用が一枚分しかない。
「でも、一枚あれば、何日かはイケるんだろ?」
ネーニア島サカリーハ市出身の大学生が、みんなの不安を代弁する。
ザパースは泣きたくなったが、どうにか正直に説明した。
「呪符だと、一枚で守れる範囲が狭いんです」
大家のお婆さんが、手の中で前掛けの裾を揉みながら聞く。
「どのくらい守れるの?」
「……この食堂くらいがギリギリです」
十二人掛けの大きな食卓と食器棚、雑誌用の小棚と共用の本棚、それに長椅子が置かれ、談話室を兼ねる。
それなりの広さだが、下宿人全員が寝起きするには狭い。
カーメンシク市出身の大学生が、食堂を見回して呟いた。
「個室だと二部屋……と、半分くらい……か?」
現在の入居者は八人で、お婆さんが一人で切り盛りする。
いつもはシャキシャキ元気な大家さんは、遠くから爆発の轟音が届く度に身を竦ませ、落ち着かない目で周囲を窺った。
下宿人は湖の民が五人、力ある陸の民が三人、大家さんも湖の民で、魔力は充分な気がする。
「神殿へ避難した方がいいんじゃないか?」
「待て待て! 夜に出歩くのは危ないって」
「今! 正に! 戦闘の最中なんだぞッ!」
「でも、この辺まで来たら、留まるよりは」
「流れ弾が飛んでくるかもしれないのに?」
「身体に直撃するより【耐震】だけでも、ないよりマシじゃないかな?」
下宿のみんなは食堂に集まって一睡もできず、結局、結論も得られずに夜明けを迎えた。
ザパースは黙々と、クレーヴェル高専で学んだばかりの【巣懸ける懸巣】学派の呪符【頑強符】と【耐火符】を作った。
日の出と共に戦闘の音が小さくなり、近くの街路樹で雀が囀る。
やや気が緩み、何人かがうとうとし始めた頃、下宿の戸が乱暴に叩かれた。
徹夜明けの心臓が跳ね上がり、誰も動けない。
更に戸が叩かれ、聞き覚えのある声で呼称を呼ばれた。
「ザパース! ザパース! 居ないのかッ?」
故郷の村を支配する双子のいずれか、ザパースには区別がつかない。
みんなの視線が刺さった。
「ザパース君、おうちの人が迎えに来てくれたんじゃないの?」
「いえ……村の……近所の人……です」
口がカラカラに乾き、舌が上顎に貼り付いたが、何とか大家さんに応えて席を立つ。銀のペンを握ったまま、左手を廊下の壁につき、なかなか言うことを聞いてくれない足を辛うじて前へ進めた。
呼称を叫ぶ支配者の声に苛立ちが混じる。早く出なくてはと思うが、震える足は鉛のように重い。
掠れた囁きでも、扉に掛けられた【鍵】は反応した。
双子のどちらでも、たかが庶民の魔力で掛けた【鍵】くらい、容易く解除できる筈だが、そうしないだけの分別はあるらしい。
あるいは、彼にとってザパースは、そこまでして会う程の価値がないか。意識の片隅で考えながら、物体の戸を開ける。
「お……お待たせ致しまして、申し訳ございません」
「お前も来い」
有無を言わさず、手首を掴まれた。
支配者の背後に控えるのは、魔法の【鎧】を纏った緑髪の魔法戦士たちだ。七人とも、旧王国時代の剣を佩く。
「あ、あの、サル・ガズ様……?」
「お前も【飛翔する鷹】学派の端くれ。頭数程度にはなるだろう」
イチかバチか呼んだ名は、当たりだった。
ザパースの手を引くサル・ガズを先頭に部隊が動く。
「あ、あの……もし……どちらへ?」
大家さんが手の中で前掛けを捏ねながら、玄関先で声と勇気を振り絞った。




