1627.生存の罪悪感
「それで……俺……ずっと……アペルたちが迎えに来てくれるまで、怖くて地下室から出られなく……」
レフラーツスの声が、震えて途切れる。
漁師の爺さんが魔法で鎮花茶を淹れた。
一杯だけだが、いつもより濃いお茶が紙コップに収まり、甘ったるい香りが催し物用の簡易テントに行き渡る。
肩を落として項垂れたレフラーツスは、徽章があっても頼りなげに見えた。
他の学生たちも初めて聞いたのか、驚きと恐れが入り混じり、信じたくなさそうな目で男子高校生を見る。
「その、サル・ウル様ともう一人の、えー……似た呼称の人って誰?」
ラゾールニクが、もう何回もあちこちの村で聞いた癖にすっとボケて聞いた。一番年上のレーコマが、年少の四人をチラ見して答える。
「この村を含む一帯の地主マガン・サドウィス様のご子息です」
「地主? この辺って昔、ラキュス・ネーニア家の直轄領じゃなかった?」
……何で知らねぇフリすんだ?
少年兵モーフは、聞きたいのをぐっと堪えて見守る。
この兄貴は、警備員オリョールたちが「ネモラリス憂撃隊」と名乗る前は、あいつらと一緒に居て、警察などに忍びこんで情報収集する役だった。
諜報活動のコツなのかもしれない。
「そうです。ラキュス・ネーニア家の本家筋の方々です」
「昨日、村長さんからも先祖代々ラキュス・ネーニア家にお仕えする村だとお伺いしました。つまり……」
「ラキュス・ネーニア家の当主シェラタン様の弟マガン・サドウィス様は、島守なのでずっとお留守で、私たちはお目に掛かったコトがありません。代わりに双子のご子息サル・ウル様とサル・ガズ様が、この村を治めておられます」
アマナの父ちゃんが言い掛けるのを遮って、薬科大生レーコマはイヤそうに言った。
モーフも、大丈夫そうなコトを聞いてみる。
「昨日の爺さん……えっと、村長? ……って何する奴?」
「村長は俺の曽祖父ちゃんで、ラキュス・ネーニア家を補佐する役目なんだ」
レフラーツスの顔は、何故か苦しそうだ。
モーフはさっき聞いた話が頭の中で繋がった。
「要するに……島守の奴の代わりの双子の代わりが、兄ちゃんの祖父さん?」
「曽祖父ちゃん」
訂正に首を傾げる。
「ひーじいちゃん?」
「お祖父さんのお父さんってコト」
ピナに小声で教えられ、モーフは辛うじて頷いた。
知る限り、リストヴァー自治区のバラック街には、そんな年寄りは居なかった。
湖の民だけが暮らすこの村なら、昨日の爺さんの歳まで生きられて、しかも、あんなヨボヨボになっても、まだ働けるのだ。
モーフは、自分が年寄りになった姿を想像できなかった。
祖母が何歳だったか知らないが、ここの村長よりずっと年下だろう。
モーフの物思いを置き去りにして、大人たちの話は進む。レフラーツスの顔は相変わらず暗い。
「……陸の民の大学生たちは、その日から地下室へ降りずに暮らしました」
サル・ウルはある程度、話が通じそうな印象だが、街の噂によると、隠れキルクルス教徒を庇う者は、力ある民でも、見せしめに殺したと言う。それを聞いて、逃げ場のない地下室に居られなくなったのだ。
とうとうレフラーツスが泣き崩れ、ラジオのおっちゃんが【操水】の術で鎮花茶を煮出す。
薬効のある甘ったるい匂いに頼ってでも、首都クレーヴェルから逃げて来た学生たちから、話を聞き出さなければならないらしい。
二番手の女子大生アーラが、大きく息を吐いて言った。
「庶民が、ラキュス・ネーニア家の本家筋のお方の魔力に逆らえるハズないし、助けられなかったのはレフラーツスのせいじゃないよ」
「逆らったってレフラーツスも一緒に始末されて、もしかしたら下宿の辺りが戦場になったかもしれないんだ」
男子学生アペルが、泣き止みつつあるレフラーツスの背を軽く叩いた。
モーフが聞くより先に葬儀屋のおっさんが訝しげに首を捻った。
「何でそのコが居なくなったら、下宿が戦場になるんだ?」
「推測って言うか、希望的観測ですけど、俺たち、寮や下宿がみんなバラバラなんです。でも、五カ所とも戦闘区域になりませんでした」
「下宿などがあるのは大抵、大学付近の住宅街です。近くに制圧対象の施設がなければ、戦闘に巻き込まれる可能性は低いでしょう」
二回も戦闘に巻き込まれたラジオのおっちゃんが、低い声で突っ込んだ。
国営放送の本局もAM放送の民放局も、ネミュス解放軍に攻撃されて乗っ取られた。命からがら首都を脱出したDJの兄貴が、眉間に皺を寄せて、隣に座るラジオのおっちゃんを見る。
「解放軍の部隊の潜伏場所や、移動中の鉢合わせで、国の施設とかがない住宅街でも、あっちこっち戦闘があったから」
薬科大生レーコマが、アーラの書いた日記の山を怖そうに見た。
「地主代理の双子が、あなた方を戦闘に巻き込まぬよう、大学や下宿付近を移動経路や休息場所から除外した、と?」
ソルニャーク隊長が学生たちを見回すと、大学生三人は頷いたが、高校生二人は動かなかった。
みんなの目が、二人に集まる。
「俺たちが、ただそこに居るだけで隣近所みんなが助かるんなら、帰らない方がよかったんじゃないか?」
レフラーツスが喉の奥から絞り出した声は小さかったが、耳に刺さった。モーフは何故、そんなコトを言うのか聞きたかったが、喉の奥がヒリついて声が出ない。
ソルニャーク隊長も、ラジオのおっちゃんも、葬儀屋のおっさんも、何も言ってくれなかった。
「レフラーツスさんが後悔しても、罪悪感で苦しんでも、キルクルス教徒狩りをした人たちはきっと……何とも思いませんよ」
ピナの声が、手で触れそうな重みを持って、静まり返った簡易テントに現れた。
高校生のレフラーツスが、また泣きそうな目をしてピナを見る。
「そうだよなぁ」
固まった空気をラゾールニクの軽い声が破った。
モーフには、ピナの話も、ラゾールニクが頷くのもわからない。
目が合った諜報員の兄貴は、口の端を僅かに上げた。
「彼らは正しいと思って武装蜂起して、正しいと思って隠れキルクルス教徒狩りをしたんだ。君らがクレーヴェルに留まって、彼らの方針に逆らって力なき陸の民を庇ったら、村で待つ家族も、連帯責任で処刑されたかもしれない」
「偶然、戦闘区域から外れただけかもしれないし、君たちが脱出した去年の一月以降、戦闘がどう展開したかもわからない」
DJの兄貴が静かに仮定と不明点を並べると、男子学生アペルは頷いたが、レフラーツスたちは黙って金髪の魔法使いを見た。
「君たちが無事に帰って、家族が喜んだなら、それでいいじゃないか」
クーデターの戦闘で家族を失ったDJの兄貴は、泣きそうな震え声で言った。
☆あいつらと一緒に居て、警察などに忍びこんで情報収集する役……「285.諜報員の負傷」参照
☆昨日、村長さんからも(中略)お伺い……「1616.三番目の村で」参照
☆国営放送の本局もAM放送の民放局も、ネミュス解放軍に攻撃……「600.放送局の占拠」「611.報道最後の砦」「661.伝えたいこと」参照
☆命からがら首都を脱出したDJの兄貴……「662.首都の被害は」参照




