1625.横行する密告
「そのおばさん、どうしてそんなに詳しいの?」
「神殿に避難してた時に色んな人から聞いたんだってさ」
ピナの妹が聞くと、高校を卒業しそびれたレフラーツスは、話の腰を折られてもイヤな顔をせずに教えてくれた。
警察は、やっとのことで裁判所に捜査令状を発付させ、被疑者宅へ向かう。
だが、既に引き払った後だった。
隣近所への聞き込みで、よく出入りする知人宅は突き止められた。
被疑者の所在を尋ねたが、知らぬ存ぜぬの一点張りで通され、その日の内に自爆テロが発生した。
隠れキルクルス教徒の一家は避難民に紛れ、湖の女神パニセア・ユニ・フローラの神殿で自爆テロを決行。主な犠牲者は、力なき民のフラクシヌス教徒だ。
ネミュス解放軍は、神政復古を掲げて決起した。
キルクルス教徒による神殿爆破と、フラクシヌス教徒の弱者に対する無差別大量殺人が、怒りに火をつけたらしい。
ネミュス解放軍の一部隊が件の知人宅に侵入。爆発物の材料を発見し、この一家の身柄も警察に引き渡した。
戦闘の轟音をついて夜の闇に響く「不当捜査!」「不当逮捕だ!」との叫びを多数の都民が耳にする。
警察は「戦闘からの保護」名目で署に留め置いたが、令状のない違法な拘束では裁判自体が無効になる為、朝の休戦時間に一家を解放した。
だが、一家は警察署を出てすぐ、ネミュス解放軍に拘束される。
解放軍は【強制】の術で、彼らが隠れキルクルス教徒であることと、都内に散在する協力者宅を聞き出し、見せしめに殺害した。
ここから、ネミュス解放軍による隠れキルクルス教徒狩りが始まる。
ふたつの部隊が、それぞれ別の拠点を急襲。
一部で銃や自爆による抵抗があったものの、六ケ所を一日で制圧。翌日から三日ですべての協力者宅を襲い、住民を殺害した。
その間も、ネミュス解放軍の本隊は、ネモラリス政府軍との戦いに明け暮れる。
テロ事件の生存者や遺族らの一部が、ネミュス解放軍に合流。信仰を偽るキルクルス教徒が首都クレーヴェルに潜伏し、爆弾テロを起こした件を喧伝した。
政府軍と解放軍の板挟みだった都民は、わかりやすい「共通の敵」に飛びつく。
当初は、力なき民が解放軍に密告されても、【明かし水鏡】で身の潔白を証明してもらえたらしい。だが、急増する密告にすぐに調査が追いつかなくなり、都民による私刑が横行する。
問答無用で家を破壊され、見せしめに殺されるようになった。
隣近所の力ある陸の民や湖の民が、「神殿に参拝した」との証言で庇っても、先の神殿爆破テロの印象が強く、私刑の勢いは止まらない。
首都を脱出できない力なき民からは、自分が疑いの目から逃れる為に密告する者や、私刑に加勢する者、解放軍に身を投じる者が現れた。
「お隣さんが密告されて、解放軍の部隊がふたつ駆けつけて、裏のご主人が毎年一緒に参拝するって庇ってくれたんだけど、どっちの家も力なき民が居るから、アレで……」
「奥さんは? 裏の奥さんは力ある民だったじゃない」
下宿屋のおかみさんが食卓に身を乗り出すと、斜向いのおばさんは俯いて両手で顔を覆った。おかみさんは湯気が消えかけた茶器を見詰めて待つ。
「お子さんを助けようとして、解放軍に逆らって……みんな……一緒に……」
魔法使いたちの視線がゆっくりと、この場で唯一の力なき民に移る。
食卓に置かれた大学生の手が小刻みに震え、何か言おうとする形で唇が動きを止める。大粒の涙が手の甲に落ち、食いしばった歯の間から嗚咽が漏れた。
「ウチは、それから神殿に避難したんだけど、住むとこなくなった人でいっぱいだし、他の神殿も次々爆弾テロに遭ってるって噂を聞いて、三日前に戻ったのよ」
神殿に居たほんの五日間で、破壊された家が増え、近所の人々が別人のようによそよそしくなった。
斜向いの一家は湖の民で、隠れキルクルス教徒だと疑われることはない。それでも、おばさんは強張った顔で自分の両肩をさすった。
下宿の七人が地下室に居た僅か一カ月で、世界が一変した。
「このコ、逃がしてあげたいんだけど」
「ウチは車がないし、俺は他所の街を知らないからなぁ」
下宿のおかみさんが亭主を見ると、夫は頭を抱えた。知らない場所には【跳躍】できない。力なき民の大学生は言葉もなく震えた。
「あ、えっと、俺の実家、マチャジーナの近所の村なんだ。イケそうだったら村まで送ってくんで、そこからヒッチハイクか何かでリャビーナの親戚んちまで行くの……どう……かな?」
提案したレフラーツスの声は、自分でも意外な程大きく、自分の声とは思えないくらい震えた。
「ここから【跳躍】許可地点まで行く途中で、戦闘に巻き込まれるかもしれん」
「そうよ。この辺はまだ、隠れキルクルス教徒狩りの部隊しか来てないけど、公園の辺りは大変なコトになってたのにムチャよ」
学生が返事をするより先に亭主が懸念を口にすると、斜向いのおばさんは、神殿へ避難する途中で目にした惨状を早口に並べた。
「道も通り沿いのお店も【光の槍】の直撃で大穴が開いて、公園の木もたくさんヘシ折れて、爆発した車の残骸がそのままで車が通れないし、瓦礫の中にまだ遺体が埋まってんのかもしれないけど、雑妖がいっぱい居」
ノックの音でピタリと声が止む。
誰もが息を止め、耳に集中した。
亭主が妻に目配せして席を立つ。おかみさんは、手を引いて力なき民の学生を立たせ、怯えて足がもつれる青年に肩を貸して奥へ連れてゆく。
亭主が「はい、どなた」と声を掛け、大きな足音がゆっくり遠ざかる。
魔法使いの学生と斜向いのおばさんは、震えながら玄関に耳を向ける。
レフラーツスは、おかみさんを手伝いたかったが、足が震えて力が入らず、立ち上がれなかった。




