1621.得た手掛かり
「船の中で聞いたお話とかも手帳にメモして、実家に着いてから清書しました」
二番手の女子大生アーラが、心配そうに薬師のねーちゃんを見る。
地元民と同じ緑髪のねーちゃんは、女子大生のノートを後ろのページから捲る。
手が震えて一気に何ページも進んでは戻し、戻り過ぎてはまた捲り、なかなか目当てのページがみつからない。涙を溜めた目にはノートしか見えないらしく、金髪のクルィーロが淹れ直した鎮花茶に見向きもしなかった。
漁師の爺さんも同じで、ノートの左側を手で押さえ、息を詰めて妹の手許を見詰める。
首都クレーヴェルから逃げ帰った学生は質問したそうだが、視線を交わすだけで何も言わない。ラジオのおっちゃんジョールチが五人を見回し、ニュースを読み上げるのと同じ声で答えを言った。
「お二人のご家族は、漁師です」
地元に生還できた五人が、ラジオのおっちゃんに注目する。
「解放軍を手伝うと、漁船でクレーヴェルに向かい、消息不明なのだそうです」
「えっ、じゃあ、もしかして……」
男子高校生ザパースが口許を緩め、眼鏡の奥で緑の瞳を輝かせる。
男子学生アペルは、日記を書いた女子大生アーラを肘でつついた。
「船長さんの呼称とか、思い出せない?」
「待って待ってムリ! 一回しか会ってない人の顔とか呼称とかムリだからメモしたのよ」
アペルは自分を棚に上げて露骨にがっかりした。
「みなさん、その後、首都の方へは?」
「親に止められてて、マチャジーナにも行かせてもらえないんです」
ラジオのおっちゃんが聞くと、薬科大生レーコマが答え、残りの四人が同時に頷く。モーフは、息ぴったりの旧直轄領の若者たちに感心した。
いつの間にか、校庭から子供の姿が消えた。授業が始まったらしい。
薬師のねーちゃんの目から大粒の涙がこぼれ、慌てて袖で拭う。催し物用簡易テントの空気が一気に張り詰め、モーフは掌に滲んだ汗をズボンの腿で拭いた。
漁師の爺さんが、節くれだった太い指で何度もノートの一行をなぞる。日に焼けた皺深い顔は、笑顔にも泣き顔にも見え、爺さんの気持ちがわからなかった。
ラゾールニクが席を立ち、緑髪の兄妹の間に立った。二人の肩越しに覗き込んで読み上げる。
「港公園から東の荷役用の港湾施設に向かう。一般人立入禁止のフェンスは開けてあった。先輩のご両親が約束した漁船はもう来ていた。魚屋さんの保冷トラックが、魚を受取るところ。今日最後の網の分だと先輩のお父さんが教えてくれた」
鮮魚店の名称と保冷トラックのナンバーに続いて、船名が読み上げられた。
「で、“約束の船は光福三号”……これ、間違いない?」
「はい。魚の取引が終わるのを待つ間、手帳にメモしたので大丈夫です」
女子大生アーラは、ラゾールニクに自信満々で頷いた。
「船長は、ヘロディウスと言う湖の民のおじさん。魚屋さんと仲良さそう……呼称は船長が名乗った? それとも誰かに呼ばれて?」
「両方です。魚屋さんが呼んだのをメモして、後で自己紹介された時に確認しました」
アーラはラゾールニクに頷いて、薬師のねーちゃんを見た。
ラジオのおっちゃんより年上だが、長命人種のねーちゃんの見た目は、ピナと同い年くらいだ。最近は、ピナが大人っぽくなってきて、ねーちゃんの方が年下に見えた。
今のねーちゃんは、もっと小さい子みたいに泣きじゃくる。
ねーちゃんの兄貴……漁師の爺さんは、難しい顔で妹の肩を抱いた。もう一回、ノートを見て、書いたアーラに言う。
「有難うございます。船長のヘロディウスは、我々の従兄で、この“呼称を聞きそびれた三十代くらいの船員”は多分、ヘロディウスの息子ナウタでしょう」
「あ、い、いえ、こちらこそ、お役に立てたみたいで嬉しいです。会ったの、去年の一月に一回きりなんで、今どうしてるかわからないんですけど、魚屋さんに聞いたら、わかるかもしれません」
女子大生アーラは無理に笑おうとしたが、声が震えて今にも泣きそうだ。
首都クレーヴェルでクーデターが起きたのは、戦争が始まった年の九月だ。
学生たちが漁船に乗ったのは、四ヶ月くらい経った翌年一月。その年の夏にネモラリス島北部で麻疹の流行が始まり、小さな農村が幾つも廃墟になった。
首都で、政府軍と解放軍の戦闘がいつまで続いたかわからない。麻疹はどうだったのか。
……いや、でも、解放軍がクレーヴェルで薬作って北の街に医者の集団送ってどうにかしたっつってたし、病気は大丈夫だよな?
病人の治療をした薬師のねーちゃんには移らなかった。漁師の爺さんも魚獲り以外に病室の掃除などを手伝ったらしいが、無事だ。
薬師のねーちゃんの身内なら、きっと予防注射をしただろう。
モーフの口に薬臭い魚肉団子のスープの味が蘇った。
ウハー鮮魚店。
モーフは、さっきラゾールニクが読み上げた名を心に刻んだ。
葬儀屋のおっさんが鎮花茶の出涸らしを【操水】で煮詰め、香気を簡易テントに巡らせる。薬師のねーちゃんが泣き止み、漁師の爺さんの眉間から縦皺が消えた。
爺さんは妹の肩を軽くとんとん叩いて離し、背筋を伸ばして女子大生アーラに礼を言う。
「お陰様で、身内の手掛かりを得られました。何とお礼を申し上げれば……」
「あぁあぁ……いえいえそんなッ! こちらこそ助けていただいたのに漁師さんにぜんっぜんお礼できなくって、こちらこそすみませんってお伝え下さい」
「少なくとも、去年の一月には生きて、人助けまでしていたとわかって、少し気が楽になりました」
学生たちが、疑問と困惑いっぱいの顔で、同族の爺さんを見る。
湖の民の爺さんは、ひとつ深呼吸して、鎮花茶の残り香を胸いっぱいに吸い込むと、身内に漁船を乗っ取られた顛末を語った。
話が終わると、男子学生アペルがぎこちなく笑って慰めを口にした。
「漁師さんだから、食糧支援に行ったんだと思いますよ。実際、魚屋さんにたくさん卸してましたし」
「そ、そうですよ! 隠れキルクルス教徒狩りの件でウヌク・エルハイア将軍に捕まったのって、サル・ウル様とサル・ガズ様の直属部隊だけだって聞きましたから、悪いコトなんてしてないと思います」
「その噂、もうちょっと詳しく聞かせてもらっていい?」
ラゾールニクが長机に身を乗り出すと、四番手の男子高校生レフラーツスは、表情を引き締めて頷いた。




