1616.三番目の村で
三番目に訪れた旧直轄領の村は、森を南へ出てすぐの平野にあった。
村の周囲はだだっ広い牧場と麦畑だ。
移動放送局見落とされた者のトラックが、急に止まる。
係員室の小窓からフロントガラス越しに外を窺うモーフは、小さく舌打ちした。もこもこした白い生き物が何頭も現れ、トラックの前を我が物顔で横切る。
「ンだよ、アレ?」
「何って……羊よ」
「ヒツジ? あれが?」
「そう。モーフ君、初めてだっけ? 羊飼いさんが居ないから、勝手に移動してるんでしょうけど」
薬師のねーちゃんが助手席で身を捻り、肩越しにモーフを見た。
「えッ? ヒツジって勝手にウロウロすんの?」
「坊主と一緒だな」
メドヴェージのおっさんの目がバックミラーでにやける。
最初に「ヒツジ」と言う生き物を知ったのは絵本だ。
何度か肉を食べたし、ネモラリス島北部の農村で遠目に見たコトならあるが、こんな近くで見るのは初めてだ。
雲が地上に降りたような白い塊が、もこもこぞろぞろ切れ目なく、トラックの前を右から左へ移動する。
「轢いたら大変だから、待つしかないわね」
「大変って、そりゃあ、死ぬだろうけどよ」
メドヴェージのおっさんが、運転席で苦笑するのがバックミラーに映る。
「羊も可哀想ですけど、弁償が大変ですよ」
「あいつら、そんな高値が付くのかい?」
おっさんも知らなかったらしい。鳩が豆鉄砲を食らったような顔で助手席のねーちゃんを見る。
「私も詳しくは知らないんですけど、毛を刈って糸を紡いで服とか作れますし、乳でチーズとか作れて、お肉が美味しくて、腸から取った糸は丈夫だから魚を獲る網に加工しますし、皮で鞄とか作れて、地域によっては糞も捨てないで肥料や燃料に使うそうですよ」
薬師のねーちゃんが、羊の使い途を次々並べる度におっさんが指折り数える。
「かぁー……羊って奴ぁそんな役に立つのかい」
モーフは、驚きを代弁するおっさんの横顔を呆然と眺めた。その向うでは、いつ果てるとも知れないもこもこの横断が続く。
四月下旬の青空の下、どこまでも続く牧草地と穂が出始めた麦畑、道をゆく白いもこもこの集団。そのどれも、少年兵モーフが生まれ育ったリストヴァー自治区のバラック街にはなかった。
この道は【魔除け】と普通の石が交互に敷かれ、雨が降ってもぬかるまない。バラック街にはこんな見通しのいい道が、工場の前にしかなかった。
煤煙と排ガスでくすんだ風はかなり遠くなったが、ふとした弾みに記憶の鼻先をかすめる。
移動放送局のトラックとワゴン車は、十五分くらいでエンジンを再始動した。
畑のあちこちで、緑髪の人々が農作業に精を出す。ネモラリス島北部の村では、モーフも少し手伝ったが、見た目以上に大変だった。
カーラムたちを思い出し、鼻の奥がツンとする。
村の近くは野菜畑で、葉の色の違いで何種類も育てるらしいのが見て取れた。
村の手前で若者が手を振る。門前には、若者の他、腰の曲がった爺さんと、フラクシヌス教の聖職者が二人居た。
前の村の奴が魔法で先回りして、移動放送局の件を伝えてくれたのだ。
メドヴェージが門の十メートルくらい手前でトラックを停める。
「こんにちはー。俺ら、移動放送局のモンだが」
「話は聞いております。どうぞ、お入り下さい」
村長らしき爺さんに言われ、おっさんはエンジンを掛け直した。
手を振って迎えた若者と聖職者の案内で、移送放送局のトラックとワゴン車を小中一貫校の校庭に停める。先に訪れたふたつの村には、立派な神殿があるだけで、学校らしき建物はなかった。
緑髪の子供たちが、コンクリート造り三階建ての窓から顔を出す。北部の農村にあった学校よりずっと立派だ。
トラックとワゴンからみんなが降りて、村の顔役たちに一通り挨拶する。
聖職者の一人は、市民病院のセンセイと同じ羽のある蛇の徽章を首から提げ、もう一人の徽章は葬儀屋のおっさんと同じ蝶だ。
「私は校長です。ご滞在中、何かありましたら、お気軽にお知らせ下さい」
手を振って案内した奴は、DJの兄貴と同年代に見えるが、もしかすると長命人種かもしれない。
「それでは、厚かましいですが、お言葉に甘えさせていただきます」
「報せを受けた時はまさかと思いましたが、本当にジョールチさんがご無事だったとは……」
村長が皺だらけの顔をもっと皺くちゃにして涙ぐむ。
ラジオのおっちゃんは淋しそうに笑った。
「ここには首都の混乱が全く届かなかったのですね。ご無事で何よりです」
「クレーヴェルの高校や大学へ進学した者たちは、命からがら、村へ帰ってきましたよ」
村の顔役四人の中で一番若く見える校長が、緑色の眉毛を下げて肩を落とす。
ラジオのおっちゃんとラゾールニク、アマナの父ちゃんの目の色が変わった。
「学生さんたちにお話を聞かせていただきたいのですが……」
「首都で何があったか、聞いてもだんまりなのですが、それでもよろしければ、話を通しましょう」
ラジオのおっちゃんジョールチが遠慮がちに言うと、村長は色の薄くなった髭をもそもそさせて校長を見た。若い校長が胸を張って答える。
「小中学生の弟妹を通じて連絡します」
「今日は畑へ出ております。明日の朝、祭壇へ来た子には、私どもからもお伝え致します」
葬儀屋のおっさんと同じ蝶の徽章を持つ神官が言うと、蛇の徽章の神官は何も言わずに頷いた。
モーフの口から疑問が飛び出す。
「この村の奴ってみんな湖の民だよな?」
「先祖代々、ラキュス・ネーニア家にお仕えする村ですからな。特段、陸の民の方々を除け者にした覚えはありませんが、食べ物が違うせいか、ずっと湖の民だけで暮らしております」
村長が、移動放送局のみんなを見回して、長々と言い訳めいたコトを口にした。
こっちの湖の民は、葬儀屋のおっさん、薬師のねーちゃんと漁師の爺さんの三人しか居ない。
「湖の民は隠れキルクルス教徒狩りに遭わねぇのに何で帰って来たんだ?」
「クーデータの直後は戦闘が激しくて家とか壊れまくったんだろ? 学校どころじゃないだろうし、そりゃ帰るだろ」
ラゾールニクに半笑いで小突かれたが、少年兵モーフは釈然としなかった。
☆坊主と一緒だな……「0974.行方不明の子」~「0976.議員への陳情」「0978.食前のお祈り」~「0980.申請方法調査」参照
☆最初に「ヒツジ」と言う生き物を知ったのは絵本……「671.読み聞かせる」参照
☆何度か肉を食べた……「493.地下街の食堂」参照
☆ネモラリス島北部の農村で遠目に見た……「1053.この村の世間」参照
☆ネモラリス島北部の村では、モーフも少し手伝った……「1165.小説のまとめ」「1252.病で知る親心」参照
☆カーラムたち……「1054.束の間の授業」参照
☆前の村の奴……「1549.先に着く情報」~「1557.来た道を思う」参照
☆北部の農村にあった学校……「1051.買い出し部隊」「1052.校長の頼み事」「1056.連絡の可否は」参照
☆隠れキルクルス教徒狩り……「746.古道の尋ね人」「793.信仰を明かす」「806.惑わせる情報」「0969.破壊後の基地」参照
☆クーデータの直後は戦闘が激しくて家とか壊れまくった……「614.市街戦の開始」「662.首都の被害は」参照




