1615.癒し手の偏り
梁に点された【灯】が丸木小屋の呪歌処置室をぼんやり照らす。
看護師が閉めた戸には、呪文と呪印が刻んである。四方の壁にも足首の高さと腰の高さ、天井近くの丸太に様々な呪文が彫り込まれ、集会室より護りが厳重だ。
看護師は太い閂を掛け、少年を隅の壺の前に立たせた。
モルコーヴ議員が【操水】で負傷者の傷とハンカチを洗い、水に含まれた患者の血液を隅の屑籠に捨て、煮沸して壺に戻す。
腕章を巻いた呪歌の係は、応対に出た女子高生の他、小学生の女の子が三人待機する。中央の小さな机には透明のマットが敷かれ、呪歌【癒しの風】の楽譜が挟んであった。
「呪歌、俺も手伝います」
「有難う。男の子も二人居るんだけど、声変わりで抜けちゃって」
ファーキルと同年代の少女が弱々しく微笑む。
看護師が、壁際に並ぶ丸太を切っただけの椅子に患者たちを座らせた。
小学生の三人が机を囲み、互いに目配せして、最年長の少女に視線を送る。彼女は隣に立つファーキルに軽く顎を引いてみせ、ファーキルは頷き返して息を大きく吸い込んだ。【魔力の水晶】を握り、最初の一小節を口にする。
「青い翼 命の蛇呼んで 無限の力 今 ここに来て……」
力なき民のファーキルは普段、魔力の制御符号である力ある言葉を口にする機会がない。だが、ランテルナ島の隠れ家で呪医セプテントリオーから教わり、命が掛かった状況で繰り返し練習したこの呪歌は、忘れようがなかった。
「……痣と火傷 この痛みすぐ消える 魔力を注いで癒すから……」
口遊むに従って【魔力の水晶】から力が引き出される。五人の歌声がぴったり重なり、丸木小屋に満ちる。あたたかな風が五人を中心に吹き上がり、呪歌処置室を駆け巡るが、誰の髪もそよがなかった。
軽傷患者たちが自分の手足を見詰め、頬を緩める。
「……翼 はたはたと 癒しの風を送る ひとつの風を」
呪歌が終わると、三人の患者はすっかり顔色がよくなった。
「あ、あのぉ、つっつつ爪、剥がれたんですけど……」
少年が、指先からこぼれた爪を掌に乗せて震える。
隣に座る中年男性が、看護師より先に笑って言う。
「それ、気にしなくていいよ。新しいのできて、割れた分が取れただけだから」
「ほ、ほほホントに……」
「あぁ。俺も工事手伝ってる時にやっちまってな」
「そ、そうですか」
少年が看護師を上目遣いに窺った。男性看護師は少年の手を取り、指と爪の具合を一本ずつ確認する。さっきハンカチを外した時は、左手の爪が親指以外、大変な状態だった。
「うん。問題ない! 帰っていいよ」
「あっ、あぁあぁ有難うございます」
少年は何度も礼を言いながら立ち上がった。ふらついた少年を隣のおじさんが支える。彼は泣きそうな顔で繰り返し礼を言い、キレイに治った手で閂を外して出て行った。
黄金色に染まった光が斜めに差し込み、床に四角い輝きを作る。
「お二人の火傷も、もう大丈夫ですね。お大事にー」
患者を見送った看護師が、ポケットに手を突っ込んで机の上で手を開く。
「喉飴どうぞ」
女の子たちが歓声を上げ、お礼の言葉と同時に包みを開いて口に放り込む。
「君もどうぞ」
「えっ? 一回しか手伝ってないのに……」
「いいっていいって。貴重な癒し手なんだから、こんくらい役得だって」
看護師は強引に飴を握らせると、隣の療養病棟へ走った。
「食べ物は多めに分けてもらえるけど、大工さんのお手伝い程じゃな」
「お兄ちゃん、いらないんなら、もらっていい?」
女子高生を遮って小学生の一人が手を出すと、残る二人も負けじと手を出した。
「ずるーい!」
「私だって朝からずっと謳って喉痛いのにー!」
「そんだけ大声出せるんだっ……ケホッ」
一旦咳込むとなかなか止まらない。
「あなたたち、朝からずっとここで治療を?」
モルコーヴ議員の案じる声で、小学生たちが黙る。
年上の少女は三人を見回して溜め息を吐くと、代わりに答えた。
「今朝、小火があって、ちょっと火傷の人が多かったんで、みんなで謳いましたけど、いつもは交代なんで、そんな大変じゃないですよ」
「いつもは何人で交代するの?」
「二人ずつ二交代です。男の子たちが抜ける前は、二人ずつ三交代でしたけど」
……人数減ってキツくなってんのか。でも、声変わりなら一時的なものだし。
呪歌【癒しの風】の歌い手が多い地区でも、減る可能性を想定できなかった甘さに唇を噛む。死亡と婚姻以外の減少は盲点だった。
モルコーヴ議員が質問を続ける。
「四人とも力なき民?」
「いえ、私とこの子は魔力あります。普段は力ある民と力なき民で二人一組なんです」
「そう。工夫してるのね。偉いわ。今朝の小火はもう大丈夫なの?」
「はい。第八集会所の近くでゴミ焼きしてたら風に煽られて、おうちに燃え移ったそうです」
「おうちの横に棚を作って、薬草とか干してたとこに燃え広がって大変だったって、おじさんたちが言ってました」
力ある民の小学生が付け加えると、残る二人も負けじと言った。
「湖の民のお兄さんが魔法で消して、冷やしてくれたから助かったって」
「その人が、火傷したおじさんたちを魔法で連れて来てくれました」
「そう。大きな被害が出なくてよかったわ」
モルコーヴ議員が微笑むと、女の子たちは頷いた。
丸木小屋本体には、火災予防に【防火】や【耐熱】などの術を施してあるが、住人に力なき民が多い小屋は、魔力不足で術の効果が弱くなる。早めに消し止められなければ、全焼もあり得るのだ。
「えっと、おばさん、誰?」
「私は国会議員のモルコーヴよ。難民キャンプの人たちから困り事を聞いて、アミトスチグマ王国や国連の偉い人たちに相談して、ひとつでも困り事を減らせるようにするのがお仕事なのよ」
「ホント? スゴーい!」
「喉飴欲しいって言ったら、王様とかに分けてもらえるの?」
赤毛の亡命議員は僅かに眉を下げたが、微笑みを崩さずに答えた。
「必ずもらえるワケではないけれど、どこからか手に入るように頑張るわね」
次の患者が来て、二人は第一区画の呪歌処置室を後にした。
ファーキルは道々、丸木小屋や道、畑の状態を撮りながら歩いた。第八集会所に近付くにつれ、風に時折、焦げた臭いが混じる。
日が傾き、長く伸びる影を踏んで難民たちが畑から戻る。
件の小火は、第八集会所の手前らしい。丸木小屋の外壁に少し焦げ跡があった。焼けたと言う乾燥棚は既に撤去され、人々は何事もなかったように夕飯の支度をする。
第八集会所で、呪符作りの後片付けに残った者たちに辞書を預け、二人は夏の都へ跳んだ。
☆ランテルナ島の隠れ家で呪医セプテントリオーから教わり、命が掛かった状況で繰り返し練習……「348.詩の募集開始」「349.呪歌癒しの風」参照




