0165.固定イメージ
いじめの件を先生に伝えたところで「みんな」に口裏を合わせられれば、こちらが嘘吐きとして「悪者」にされてしまう。
判断基準が、証拠や事実関係ではなく、同じ意見を述べる人数の多寡では、少数派には対抗する手段がなかった。
いじめられっ子が面白半分に殺害され、それが事故や自殺扱いされる事件が後を絶たない。
いじめっ子自らが、犯行を撮った動画をネットにUPして発覚することも多い。その段階になってやっと警察が動き、法の裁きに掛けられる。
法廷では、数の論理は通用しない。
証拠に基づいて事実を確認し、本当に悪事を行った者が断罪される。
それでも世間の多数派は、事の是非善悪ではなく、言動の内容でもなく、その場の「空気」と「行為者が誰」であるかを、判断基準にすることを止めない。
彼らの中で、誰かに対する勝手な「イメージ」が固まれば、それを覆すことはほぼ不可能だ。
かつて、アーテル、ラクリマリス、ネモラリスは、ひとつの共和国だったが、半世紀の内乱を経て分裂した。
分離独立後に生まれたファーキルは、教科書でしか元のラキュス・ラクリマリス共和国時代を知らない。旧共和国時代と半世紀の内乱が、どんなに酷いものだったか、教科書を読んでもピンとこなかった。
……別に、戦争なんかしなくても、ランテルナ島の湖の民と自治区のキルクルス教徒を交換すりゃ丸く収まるのに。
何故そうしないのか。
開戦後、ファーキルはたくさんのサイトを巡り、様々な立場の意見を読んだが、しっくりくる答えはみつからなかった。
雰囲気に目を曇らせた人々は、教室でも、世間でも、極端に走りがちだ。
反対意見を「数の力」と「雰囲気」で封殺してどんどん先鋭化する。
聖戦に心酔する者たちは、世界のキルクルス教団が味方だから調子に乗るのかもしれない。
……信者の数なんか、正しさの証明になんないのに。
今は、隣のラクリマリス王国が湖上封鎖したから、ネモラリス水軍が反撃できないだけだ。
ネモラリスの魔法使いが本気を出せば、今度こそ、この地の力なき陸の民は滅ぼされるかもしれない。
ラクリマリス王国は中立を保ち、ネモラリス共和国には救援物資を送った。
フラクシヌス教の聖地を擁する王国は、ネモラリスに住む信者の為に動く。
外国のネット掲示板では、この戦争を議論するスレッドが乱立した。
ニュースのコピペを基に様々な意見が書き込まれる。
掲示板の意見は、この地方で話される湖南語ではなく、世界で広く使われる共通語で書かれた。
ファーキルは共通語が得意だ。短文なら、辞書なしで大意くらいは読みとれる。
現在と近い将来について、「ラクリマリス王国は、時機を見て両国に停戦合意を促し、終戦に向けて働きかけるつもりだろう」と言う意見が多かった。
立場的にも、そう考えるのが自然だ。
フラクシヌス教の聖地があるから、ネモラリスに対しては働き掛けやすい。
キルクルス教国のアーテルをどうやって説得するか、今はその手段を協議中かもしれない。
掲示板では、どんな手段を講じるべきか熱く語るスレッドもある。
周辺国の動向、終戦後の王国の動き、王国の目的などについては、憶測や希望的観測、陰謀論など様々でまとまりがない。
……元はひとつの国なのに、戦争なんてバカげてる。
年寄りたちはやっと内戦が終わったと喜んで、事ある毎に半世紀の内乱時代の辛さを引き合いに出した。
……大体、なんでこの国の連中は、こんなに魔法使いを見下して、バカにするんだ?
確かに、キルクルス教の教義では魔術を旧時代の悪しき業と位置付ける。
だが、アーテルやラニスタに魔物が少ないのは、西隣のスクートゥム王国が守ってくれるからだ。
スクートゥム王国は、スヴェート河を境にラキュス湖西地方と接する。
湖西地方は、魔物や魔獣の勢力が強く人の住めない土地が広がり、かつてあった国々は印暦紀元前に全て滅びた。
遺跡探索に行く者や彼ら相手の商売人が、時に小さな集落を作ることもあるらしいが、それらはすぐ消えてなくなる。
スクートゥムは、防人たちが建国した古い魔法文明国だ。
スヴェート河に結界を巡らせ、二千年以上もの長きに亘って魔物の侵入を防ぐ。
王国が結界を維持するお蔭で強いモノが河を越えられず、湖南地方がついでに守られるのだ。




