1605.自習できない
「ネモラリスって、本を買うのにいちいち身分証がいるんですか?」
エレクトラが、クラピーフニク議員に疑わしげな目を向けた。
リストヴァー自治区出身のアミエーラとサロートカは勿論、魔法の本など見たことがない。
アミエーラは、ラクエウス議員を見たが、半世紀の内乱前に生まれた彼も知らないらしく、若手議員を見詰めて答えを待つ顔だ。
魔法使いのクラピーフニク議員は、当たり前だと言いたげに頷いた。
「僕は国会議員だけど、魔法使いとしては、家事とかで使う【霊性の鳩】学派をちょっと齧っただけの素人なんで、身分証なしだと売ってもらえません」
「万引きしたってページが開かないからね」
運び屋フィアールカは、エレクトラに意地の悪い笑みを向けた。金髪の少女が、困った顔で隣の同僚を見る。
タイゲタは、眼鏡を掛け直して、代わりに聞いた。
「ページが開かない? ネモラリスって、紙の本しかないんですよね?」
「そんなチャイルドロックみたいなコト」
アルキオーネも、信じられないと言いたげに緑髪の運び屋を見た。
「紙の本だからできるのよ。【渡る白鳥】学派の【禁止】の術」
「禁止……? それで、どうなるんです?」
「本屋さんが合言葉で解除しない限り、ページが開かないの」
「購入時だけじゃありません。もうひとつ【制約】の術で条件付けしてあって、十八歳未満の子供だけで読もうとしても、ページが開かないんです」
キルクルス教社会出身者たちは、魔法使いの二人の説明に言葉もなく頷いた。
アルキオーネが気を取り直して聞く。
「つまり、教科書だけ手に入っても、自習できないってコトですか?」
「保護者か、免許を持てるような魔法使いが傍に居れば、自習でも読めるんですけどね」
「どうしてそんな面倒なコトを?」
エレクトラが訝る。
「魔力の扱いを誤れば、大変なコトになるからよ。それこそ、キルクルス教徒が悪しき業って呼ぶ通り」
「指導者の居ない所で練習すると、危ないからね」
アミエーラの魔法の練習には、歌手オラトリックス、ピアノ奏者スニェーグ、呪医セプテントリオー、それに【編む葦切】学派の縫製職人の誰かが、必ずついてくれる。
魔法の刺繍は、まだ力なき民でもできる作業しかさせてもらえないが、呪歌は、自前の魔力で実際に術を行使するところまで進んだ。
力なき民でも【魔力の水晶】があれば、【癒しの風】や【道守り】などは行使できる。
……あれって、そんな危ない魔法とは思えないけど?
難しくもない。小学生のアマナとエランティスも、少しの練習で【癒しの風】を使えるようになったくらいだ。
アミエーラが疑問を口にすると、フィアールカはタブレット端末を置いて、若者たちを見回した。
「そこから説明が必要だとは思わなかったわ」
「だって、こっちは知る機会がなかったのに」
アステローペが可愛くむくれてみせる。
「力なき民が【水晶】で魔法の練習をする時、魔法使いが身体に触れて、魔力の流れ……【水晶】から引き出す誘導をするでしょ?」
運び屋フィアールカに聞かれ、ファーキルとアルキオーネが頷く。
アミエーラも、呪医セプテントリオーと繋いだ手から魔力の風を感じたのを思い出した。
「殆ど制御が必要ない【癒しの風】とかでも、【水晶】から魔力を引き出すのに失敗して割れたり、火傷することがあるの」
「えぇッ? そんなの聞いてないんだけど?」
アルキオーネが、会議用長机に両手をついて腰を浮かした。
運び屋フィアールカは、鋭い視線を涼しい顔で受け留める。
「言って無闇に怖がらせるのもどうかと思うし、【癒しの風】や【道守り】くらいなら、大抵の人が一回の誘導で、何も考えずに感覚を掴めるようになるからよ」
「あ、あの、自分の魔力の時は……」
アミエーラが恐る恐る聞くと、クラピーフニク議員が教えてくれた。
「例えば【炉】の術で魔力の制御に失敗したら、円の中じゃなくて、自分の指先とかを燃やしたり、【癒しの風】みたいな広範囲の術だと、術者の毛細血管が切」
「えぇッ?」
力なき民の驚きが、説明を掻き消す。
アミエーラは恐ろしさに声も出ない。
「落ち着いて聞いてくれる? 少なくとも、僕が知ってる人で、そんな魔力の暴発事故を起こした人は居ません」
「魔法使いの指導を受けて練習する分には大丈夫だし、簡単な術で魔力の制御に慣れてきたら、初めてでも【灯】とか単純な術は、指導がなくても使えるようになるから、そこまで心配する程のものではないわ」
アルキオーネが大きく息を吐いて座り直した。
ラクエウス議員が難しい顔で、壁に投影された難民キャンプの地図を見る。
「しかし、迂闊に練習もできんとなると、なかなか大変だな」
難民キャンプ在住の魔法使いたちは、力なき民の暮らしを支える為、連日連夜、目が回る程の忙しさだ。
パテンス神殿信徒会のボランティアや、休日にはアミトスチグマ王国各地の学生などが来てくれるが、全く人手が足りず、勉強までは手が回らない。
「ねぇ、今度のライブで勉強教えてくれる人、募集してみない?」
アルキオーネがタイゲタ、エレクトラ、アステローペ、そしてアミエーラを順繰りに見て言う。
プロの四人には遠く及ばないが、アミエーラも、歌い手がだんだん板についてきた。それでも、こうして不意に話を振られると、動揺してしまう。
「今もオラトリックスさんたちが、呪歌の指導に通ってますよね?」
ファーキルが、ノートパソコンで議事録を作る手を止め、首を傾げる。
クラピーフニク議員が申し訳なさそうに答えた。
「あれは、中学生以上が対象で“すぐ使える人を育成する指導”だからね。小さい子にイチから教えるのとは、また別なんだよ」
「あー、もう! 魔法って面倒臭いのね」
アルキオーネが机に拳を叩きつけた。
エレクトラが、その震える肩に手を置いて宥める。
「インターネットだって、端末にペアレンタルコントロールや、チャイルドロックを掛けて制限してるし、似たようなもんじゃない?」
「そんなようなものね」
二年も放置された理由がよくわかった。
「幼年者への魔術指導の件、ジュバーメン議員に相談するんで、一旦保留でお願いします」
クラピーフニク議員に反対する者はなく、報告会はお開きになった。
☆アミエーラの魔法の練習/繋いだ手から魔力の風を感じた……「872.流れを感じる」「927.捨てた故郷が」参照
☆呪歌は、自前の魔力を遣って実際に術を行使……「928.呪歌に加わる」「929.慕われた人物」参照
☆小学生のアマナとエランティスも、少しの練習で【癒しの風】を使える……「348.詩の募集開始」「349.呪歌癒しの風」→「741.双方の警戒心」参照




