1601.視点を変える
アミエーラは、ファーキルが印刷してくれたお礼状の写しを読み返し、胸の奥にあたたかな灯が点った。
……お元気でよかった。
仕立屋のクフシーンカ店長は、もう百歳近いが、懐かしい筆跡はアミエーラが知る当時と同じだった。
内容は、アミトスチグマ王国の慈善団体「みんなの食堂」に対する形式的なお礼の言葉に過ぎない。リストヴァー自治区の罹災者支援事業を企画運営する責任者としてのものだが、健在ぶりがよくわかって安心できた。
お礼状は、区長、東教区のウェンツス司祭、飲食業組合長、金属加工業組合長からの分もある。ウェンツス司祭が、星の標から危害を加えられずにいるとわかったのも嬉しかった。
力ある民だとわかり、魔術を学ぶと決心したアミエーラは、リストヴァー自治区には二度と帰れない。
報告書などで懐かしい人の消息を知る度、胸がいっぱいになった。
今回の事業は、一方的な援助ではない。
みんなの食堂が中古の調理器具をリストヴァー自治区へ送り、自治区からは、持て余した生の小麦粉を送った。
小麦粉は、二十キロ入りの大袋が千袋。
自国民と共にネモラリス難民も支援する三団体で分配する。
五百袋は、発送の名義を貸したみんなの食堂。主な活動が貧困家庭の子供への食事支援の為、取り分が一番多い。
一人親家庭の育児を支援する団体「大樹の枝」には三百袋、湖の女神パニセア・ユニ・フローラの信徒会「ラキュスの岸辺」には二百袋だ。
「この件に関して、まぁ……余談だが、ちょっと耳に入れておいてくれ給え」
ラクエウス議員の声で、アミエーラは手紙の写しから顔を上げた。隣で後輩の針子サロートカも、リストヴァー自治区唯一の国会議員に注目する。
支援者マリャーナ宅の会議室に集まったファーキル、平和の花束の四人、運び屋フィアールカ、クラピーフニク議員も、話を中断して老議員を見詰めた。
「今から言うことは他言無用に願うが、以前、イーニー大使から、星界の使者の代表者、リゴル社長に関する情報を得たのだが……」
リゴル代表が、リストヴァー自治区へ大量の小麦粉を送ったのは、自治区民の飢えを満たす為だけではなかった。
代表は、インターネットで可能な限り、情報を集める。
だが、ネモラリス共和国にはインターネットの設備が全くない。情報源は、ラクリマリス王国とアーテル共和国を中心とする周辺国からの二次情報に限られた。
なかなか情報が集まらず、悩んだらしい。
バルバツム連邦に潜入したネモラリス軍の間諜が、リゴル代表に近付いて、それとなく入れ知恵した。
リゴル代表は、ネモラリス共和国の経済は物々交換が中心で、貨幣は補助的にしか使わないと知る。
インターネット上には、立入制限区域の情報がない。
恐らく、リゴル代表は、力なき民だけが暮らすリストヴァー自治区に人が居るなら、周辺都市にも居ると判断したのだろう。
魔法使いと取引できるよう、誰もが必要とする汎用性の高い食材として、生の小麦粉を大量に送ったのだ。
「え……じゃあ、お鍋の件って、リゴル代表が思った通りの動きってコト?」
エレクトラが口許に手を当てて息を呑み、アミエーラを見る。
アミエーラも、言われてやっと気付いた。
「自治区の事情を調べようともしないで、もらっても困る物を大量に押しつけられたって思ってたけど……」
「よく考えたら、仕方ないわよね。アーテルと戦争中で、テロとか放火とかあって、ヤバいとこだもん。スタッフに現地調査させるなんて、とんでもないわ」
エレクトラは両手を頬に当てたが、細い指の間からは、恥ずかしさで赤くなった顔が見えた。
アルキオーネが視線を尖らせて、ラクエウス議員に聞く。
「でも、食器は……」
「食器の寄付が目的ではなかったのだよ」
「は?」
質問者が、拍子抜けした声を出して固まる。
タイゲタがずり下がった眼鏡を指で押し上げ、老議員からファーキルに視線を移した。
「どうしてだか、知ってる?」
「えぇ、まぁ、一応……」
「その情報をクラウドに上げないでって、私が止めたの」
運び屋フィアールカが先回りして、批難の鉾を出させない。
クラピーフニク議員が、不満げなアルキオーネたちを見回して言った。
「だって、ネモラリスの諜報員がバルバツムに居るって、軍事機密だよ?」
「あっ……!」
「星の標に情報が渡る可能性のあるとこには置けないの、わかりますよね?」
「……ですよね」
アステローペが溜め息と共に頷く。
ラクエウス議員は、ひとつ咳払いして続けた。
「ネモラリスでは開戦後、検閲と情報統制が始まっただろう」
アーテルが大々的に喧伝し、ネモラリスを報道の自由のない非人道的な国家として、国際社会に印象付けるプロパガンダを展開した為、バルバツム連邦在住のリゴル代表の知るところとなった。
正規の経路で手紙を送ったところで、ネモラリス政府の検閲で握り潰され、自治区側に伝わらないかもしれない。それどころか、内容によっては、不利益な扱いをされる惧れもあった。
そこで、バルバツム連邦で発行された星光新聞を梱包材にすることを思いつく。
新聞をそのまま送ったのでは、検閲で没収されるかもしれない。
だが、敢えて皺くちゃにして食器を包むことで、検閲の目を誤魔化した。いちいち全て外して検閲する可能性もあるが、単なる緩衝材として、見過ごされる可能性に賭けたのだ。
アルキオーネが棘のある声を出す。
「じゃあ、食器が割れてもどうでもよかったってコト?」
「そうみたい」
ファーキルが頷き、サロートカが恐る恐る聞く。
「でも、バルバツムって、共通語ですよね? 読めなくて捨てられたりとか、考えなかったんですか?」
「リゴル代表にそこまでの考えがあったか定かではないがね。現に姉さんが中心になって、学生さんと翻訳作業をしておるのだろう?」
「今は小説の翻訳作業があるから、そっちは滞ってるけど」
ラクエウス議員が視線を送ると、運び屋フィアールカは頷いた。
「大聖堂のフェレトルム司祭も、共通語の学習会名目で手伝って、翻訳が終わった新聞は、きっちり保管してるそうよ」
初めて事情を知らされた少女たちが、溜め息を吐く。
「親切の押売りでヤな奴って思ってたけど」
「情報が限られる中で、最善を尽くしてくれてたなんてね」
アルキオーネとタイゲタが顔を見合わせる。
「一方的なイメージだけで決めつけちゃダメね」
「今度からは、気を付けないと……」
エレクトラが言うと、アステローペが申し訳なさそうに肩を落とした。
☆みんなの食堂が(中略)生の小麦粉を送った/お鍋の件……「1395.対価が不可欠」「1441.家出少年の姿」「1450.置かれた手紙」~「1452.頭の痛い支払」「1489.小麦を詰める」参照
☆バルバツム連邦に潜入したネモラリス軍の間諜……「1479.間諜の植付け」参照
☆食器/星光新聞を梱包材……「1358.積まれる善意」「1480.寄付品の理由」参照
☆姉さんが中心になって、学生さんと翻訳作業……「1394.得られた情報」「1571.内緒のお勉強」参照
☆今は小説の翻訳作業……「1491.連鎖する幸せ」「1571.内緒のお勉強」「1572.今は菓子の為」参照
☆大聖堂のフェレトルム司祭も、共通語の学習会名目で手伝って……「1394.得られた情報」「1585.識字教室の案」参照




