0164.世間の空気感
彼らは「多数決で民主的に」ターゲットを断罪する。
恰も正当な行為であるかのような顔で、何の権限も証拠もなしに、気に入らない者を言葉で袋叩きにして楽しむのだ。
何の生産性もない無意味な行いだが、標的にされることを恐れ、彼らに従う者も多い。
ファーキルのクラスに限らず、アーテルの教育界では、いじめが普遍的な問題として議論される。
ニュースでも、いじめによる自殺が大きく報じられた。
ファーキルは証拠の保存を終え、タブレット端末の電源を切った。
冬の朝の冷たい空気をゆっくり吸い、大きく吐き出す。吐息は小さな雲になり、風に乗って消えた。
……同じキルクルス教徒で、陸の民でもこうなんだ。ランテルナ島の人たちって?
ファーキルは、ラキュス湖に目を向けた。
遠く霞み、ランテルナ島までは見えない。
アーテル共和国領ランテルナ島には、少数ながら魔法使いが住む。
湖の民と力ある陸の民。魔法使いは全員が、フラクシヌス教徒だ。
ファーキルはつい最近、ネットの情報で知った。
アーテルでは多数派の意見だけが正しく、その枠からはみ出す者は全て「悪」と看做される。
同級生のような輩は、それが正しいかどうかではなく、「みんなが、それについて、どう言うか」を判断基準にする。
気に入らなければ、答えがひとつしかない数学の問題でさえ、いちゃもんをつけて悪し様に罵った。
子供だけでなく、大人たちも、多数派に溶け込んで周りから浮かないことに腐心する。
……半世紀の内乱は辛かったって、あんなに教科書に書いといて、たった三十年で戦争吹っ掛けるとか、ねぇよ。
「ネモラリスの弾圧から、同朋を助けよう」
「自分にできることで、聖戦に参加しよう」
「信仰の力で、リストヴァーの民を救おう」
今、アーテル共和国には戦争を正当化し、賛美する空気が満ちる。
デモやネットで「戦争反対」を唱える者は次々と逮捕され、或いは白い目で見られた。
半世紀の内乱後、独立したアーテルは、急速に復興を成し遂げて発展した。
旧ラキュス・ラクリマリス共和国時代の国庫の分配金だけでなく、隣のラニスタ共和国や世界各地のキルクルス教団から支援を受けられた。その資金を元に旧時代の「悪しき業」……魔術の影響を排除し、科学の力だけで国を建て直したのだ。
復興特需で各業種が好景気に沸いた。
三十年経って流石に少し落ち着いたが、国は潤った。
魔力を持つ人々が減り、捕食で強くなれないからか、この国の魔物は弱い。
時々ラキュス湖や西と南の隣国から強い魔物が迷い込むことはあるが、軍の特殊部隊や専門の駆除業者が倒してくれる。
アーテルの国民は平和に浮かれていた。
授業で教わった三十年前までの時代とは、全く異なる幸せな時代になった筈だ。
この国には、魔法使いがほぼ居ない。
ファーキルの身近な人は、みんな力なき陸の民でキルクルス教徒だ。
学校の授業にはお祈りの時間もある。
直接の知り合いに魔法使いは居ない。
話に聞くのも、友達の友達の遠縁の親戚など、知らない人ばかりだ。
髪が緑色で魔法が使える湖の民は、外国の映画でしか見たことがない。
ネットで見た高校の教科書で、このアーテル共和国にも、力ある陸の民や湖の民も居ると知っただけだ。
魔法使いは、南ヴィエートフィ大橋の向こうに浮かぶランテルナ島に住む。
大橋の大陸側の端はイグニカーンス市にあるが、島に渡る市民はほぼ居ない。島民も、本土には滅多に来ないらしい。
教科書には、魔法使い用の自治区で半独立状態だからだと書いてあった。
島内の様子には全く触れない。
ヴィエートフィ大橋は、ランテルナ島から更に北のネーニア島にも繋がる。
大橋の北半分は封鎖中だ。
ラクリマリス王国が魔道偏重政策を発表した為、キルクルス教国のアーテルは国交を断絶した。
……自国の湖の民とかを平気で迫害して、それは放置するクセに何が聖戦だよ。
自らの行いを棚に上げ、他者による同種の行為は戦争の口実にする。
ファーキルは、そんな世間の空気に反吐が出そうだった。




