1598.届かない教育
「そう言えば、移動放送局のみんなも、古本屋さんで教科書を一通り揃えたって言ってましたね」
ファーキル少年が微笑んだ。
本は、読んでも使い減りしない。
何人居ようと、回し読みできる。
一冊から書き写して広められる。
「国内でも、彼らのように住所が定まらぬ者や、仮設住宅がいっぱいで、車中泊や安宿を転々とせざるを得ん罹災者も、教育の機会が失われておるからな」
「そうですね」
ファーキル少年が神妙な顔で頷く。
「本来ならば、難民キャンプだけでなく、国内で支援の網から漏れる子供らも、なんとかせねばならんのだが」
「その辺の情報は、あんまり入ってきませんね」
ピアノ奏者スニェーグら、リャビーナ市民楽団も情報収集してくれる。
星の標リャビーナ支部であるオースト倉庫株式会社が、力なき民を中心に就学援助を行うとは、皮肉なものだ。
車中泊の人々も、正式な月極駐車場に限り、住民登録が可能になった。これにより、通学可能になった子供は居るが、ほんの一握りだ。
駐車料金を払えず、店舗などの無料駐車場と路上駐車で凌ぐ者や、時間貸しの駐車場を転々とする者も居る。
それでも、車があればまだいい方だ。
自家用車がなく、貯金が底をつき、働き口もみつからない力なき民は、神殿に泊まれなければ、公園などで野宿せざるを得ない。
仮設住宅を建てられない小さな公園で、地元の魔法使いが【簡易結界】を掛け、テントなどを貸すこともあるそうだが、全体像は把握しきれなかった。
フラクシヌス教団は可能な限り、集会室や敷地内に張ったテントで、行き場のない罹災者を受け容れるが、神殿へ身を寄せる者に対する臨時政府の公的扶助は、ないに等しかった。
「仮設住宅の建設は、開戦直後の計画通り、今期で終了だそうです」
「何故だね?」
情報を取りまとめるファーキル少年は、申し訳なさそうに答えた。
「予算と用地がもうないからです。空襲を受けた都市のインフラ復旧工事に公費を注ぎ込んで、雇用を確保しつつ、恒久住宅を建てられるようにして、帰還を促す計画ですから」
「しかし、仕事のある都市に人が偏り、神殿すら溢れるようでは……」
ラクエウス議員が思わず嘆息すると、ファーキル少年も溜息を吐いた。
「立入制限区域は、まだ一般市民は立入禁止ですから、どの途、人の住めるとこが偏ってるんですよね」
「大統領選挙の行方如何によっては、空襲を再開するやもしれんしなぁ」
二人は何となく、窓の外を眺めた。
春霞のぼんやりとした空は穏やかで、マリャーナ宅の庭木の花は、満開に咲き誇る。四月のアミトスチグマ王国は、あまりにも平和で、まるで別世界だ。
ラクエウス議員は、ラキュス湖を挟んだ隣国に身を置くが、戦火に見舞われた祖国を忘れたことなど一瞬たりともない。
リストヴァー自治区は勿論、国会のある首都クレーヴェルで知り合った湖の民や力ある陸の民……フラクシヌス教徒たちの身も心配だ。
祖国に残してきた者たちは、この空をどんな思いで見上げるのか。
近頃はすっかり足腰が弱り、杖に縋っても、足場の悪い難民キャンプの視察に行けなくなった。
他の亡命議員や同志たちが情報収集し、ファーキル少年が報告書をまとめてくれる。写真や映像を交えた報告書は、大変わかりやすい。
だが、現地へ行ける者の大半が、魔法使いだ。
湖の民と力ある陸の民には、実感を伴って「力なき民の苦境」を理解するのが難しい。
どうせ言ってもわからない。
その諦めが、身動き取れぬ程の苦境に立つ者の口を重くすることもある。
事実、現地へ行った力なき民の針子サロートカと、歌手アルキオーネは、他の同志が聞き出せなかった悩みを度々聞き取って来た。
「ファーキル君、イーニー大使と同じ手で、大人向けの教科書の寄付を呼び掛けてもらえんかね?」
「大人向けの教科書って、何の教科ですか?」
「難民キャンプの暮らしに役立つ……力なき民でもできる応急処置や、木工、家庭菜園、手芸……他にも、労働者の安全教育の教本などがあれば、負傷者を減らせてよかろう」
「そう言えば、まだ十区画くらいしかなかった頃、何冊かそう言う本の寄付がありましたね」
少年の声は暗い。
最初に完成した数区画には、実用書の類を配布したが、活用状況は不明だ。
「専門家は忙しくて、素人にきちんと教える時間がないからな」
「自分で勉強できそうな本があっても、生活に追われて勉強する時間や、気力がないかもしれませんよ?」
「だが、オラトリックスさんたちが行った時には、呪歌の稽古はしっかりできるのだろう?」
「そっちは割と順調そうですね。何せ、命懸かってますし」
「伐採や工事の事故を防ぐのも、同じことだと思うがね?」
「呪歌みたいに先生が行って、勉強の時間を作れば、後で空き時間に教科書も読んでもらえるかもしれませんけど」
「ふむ……まずは勉強の勘を取り戻すところからか……」
難民キャンプ開設から二年近く経って、ようやくそこに思い到り、ラクエウス議員は、キルクルス教徒として悲しくなった。
「建設事故防止の教育ならば、作業のない日にネモラリス建設業協会の彼らに頼めば、何とかなるのではないかね?」
「雨の日とかは休みですけど、それなりに忙しいみたいですよ?」
「聞くだけ聞いてみてもらえんかね?」
「今、ジェルヌィさんが来てるんで、ちょっと聞いてみますね」
ファーキル少年は、小走りに部屋を出て行った。
一人になり、我知らず太い息が漏れる。
……今更、安全教育などと、腹を立てる者が居るやもしれんな。
住居は概ね完成し、間もなくテント村が解消される。だが、倉庫や病棟などはこれからだ。
気を取り直し、報告書を書いて待つ。
ファーキル少年は、ジェルヌィを連れて戻った。
ペコリと頭を下げる青年の胸で、土木の専門家の証【穿つ啄木鳥】学派の徽章が揺れる。
「毎日、作業前に注意点は伝えてたんですけどね。やっぱり素人さんだと、それだけじゃピンとこなかったみたいで」
「うむ。焦りもあったろうからな」
魔獣から身を守るには、平野部のテントでは心許なかった。
丸木小屋ならば、テントのように引き裂かれる心配はない。
「安全教育の手引き、ネモラリスから取寄せられたらいいんですけど、あっちはあっちで事故多いみたいなんで、どうかなって」
「その……安全教育の手引きって言うの、アミトスチグマのじゃダメですか?」
ファーキル少年がタブレット端末をつつきながら聞く。
「あー……内容、多分そんな変わんないと思うし、いンじゃない?」
少年が、専門家に画面を向けた。
☆移動放送局のみんなも、古本屋さんで教科書を一通り揃えた……「1021.古本屋で調達」参照
☆国内でも(中略)転々とせざるを得ん罹災者……「1469.追加する伝言」参照
☆星の標リャビーナ支部であるオースト倉庫株式会社が、力なき民を中心に就学援助を行う……「1458.催しの来場者」「1459.付け込む布教」参照
☆車中泊の人々も(中略)住民登録が可能……「1518.刺客と移住者」参照
☆あっちはあっちで事故多いみたい……「1330.連載中の手記」「1474.軍医の苛立ち」参照




