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すべて ひとしい ひとつの花  作者: 髙津 央
第五十一章 人作

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1598.届かない教育

 「そう言えば、移動放送局のみんなも、古本屋さんで教科書を一通り揃えたって言ってましたね」

 ファーキル少年が微笑んだ。


 本は、読んでも使い減りしない。

 何人居ようと、回し読みできる。

 一冊から書き写して広められる。


 「国内でも、彼らのように住所が定まらぬ者や、仮設住宅がいっぱいで、車中泊や安宿を転々とせざるを得ん罹災者(りさいしゃ)も、教育の機会が失われておるからな」

 「そうですね」

 ファーキル少年が神妙な顔で頷く。

 「本来ならば、難民キャンプだけでなく、国内で支援の網から漏れる子供らも、なんとかせねばならんのだが」

 「その辺の情報は、あんまり入ってきませんね」



 ピアノ奏者スニェーグら、リャビーナ市民楽団も情報収集してくれる。

 星の(しるべ)リャビーナ支部であるオースト倉庫株式会社が、力なき民を中心に就学援助を行うとは、皮肉なものだ。


 車中泊の人々も、正式な月極駐車場に限り、住民登録が可能になった。これにより、通学可能になった子供は居るが、ほんの一握りだ。

 駐車料金を払えず、店舗などの無料駐車場と路上駐車で凌ぐ者や、時間貸しの駐車場を転々とする者も居る。


 それでも、車があればまだいい方だ。


 自家用車がなく、貯金が底をつき、働き口もみつからない力なき民は、神殿に泊まれなければ、公園などで野宿せざるを得ない。

 仮設住宅を建てられない小さな公園で、地元の魔法使いが【簡易結界】を掛け、テントなどを貸すこともあるそうだが、全体像は把握しきれなかった。


 フラクシヌス教団は可能な限り、集会室や敷地内に張ったテントで、行き場のない罹災者(りさいしゃ)を受け容れるが、神殿へ身を寄せる者に対する臨時政府の公的扶助は、ないに等しかった。



 「仮設住宅の建設は、開戦直後の計画通り、今期で終了だそうです」

 「何故だね?」

 情報を取りまとめるファーキル少年は、申し訳なさそうに答えた。

 「予算と用地がもうないからです。空襲を受けた都市のインフラ復旧工事に公費を注ぎ込んで、雇用を確保しつつ、恒久住宅を建てられるようにして、帰還を促す計画ですから」

 「しかし、仕事のある都市に人が偏り、神殿すら溢れるようでは……」

 ラクエウス議員が思わず嘆息すると、ファーキル少年も溜息を()いた。

 「立入制限区域は、まだ一般市民は立入禁止ですから、どの(みち)、人の住めるとこが偏ってるんですよね」

 「大統領選挙の行方如何によっては、空襲を再開するやもしれんしなぁ」



 二人は何となく、窓の外を眺めた。

 春霞のぼんやりとした空は穏やかで、マリャーナ宅の庭木の花は、満開に咲き誇る。四月のアミトスチグマ王国は、あまりにも平和で、まるで別世界だ。

 ラクエウス議員は、ラキュス湖を挟んだ隣国に身を置くが、戦火に見舞われた祖国を忘れたことなど一瞬たりともない。

 リストヴァー自治区は勿論(もちろん)、国会のある首都クレーヴェルで知り合った湖の民や力ある陸の民……フラクシヌス教徒たちの身も心配だ。


 祖国に残してきた者たちは、この空をどんな思いで見上げるのか。


 近頃はすっかり足腰が弱り、杖に縋っても、足場の悪い難民キャンプの視察に行けなくなった。

 他の亡命議員や同志たちが情報収集し、ファーキル少年が報告書をまとめてくれる。写真や映像を交えた報告書は、大変わかりやすい。


 だが、現地へ行ける者の大半が、魔法使いだ。

 湖の民と力ある陸の民には、実感を伴って「力なき民の苦境」を理解するのが難しい。


 どうせ言ってもわからない。


 その諦めが、身動き取れぬ程の苦境に立つ者の口を重くすることもある。

 事実、現地へ行った力なき民の針子サロートカと、歌手アルキオーネは、他の同志が聞き出せなかった悩みを度々聞き取って来た。



 「ファーキル君、イーニー大使と同じ手で、大人向けの教科書の寄付を呼び掛けてもらえんかね?」

 「大人向けの教科書って、何の教科ですか?」

 「難民キャンプの暮らしに役立つ……力なき民でもできる応急処置や、木工、家庭菜園、手芸……他にも、労働者の安全教育の教本などがあれば、負傷者を減らせてよかろう」

 「そう言えば、まだ十区画くらいしかなかった頃、何冊かそう言う本の寄付がありましたね」


 少年の声は暗い。

 最初に完成した数区画には、実用書の類を配布したが、活用状況は不明だ。


 「専門家は忙しくて、素人にきちんと教える時間がないからな」

 「自分で勉強できそうな本があっても、生活に追われて勉強する時間や、気力がないかもしれませんよ?」


 「だが、オラトリックスさんたちが行った時には、呪歌の稽古はしっかりできるのだろう?」

 「そっちは割と順調そうですね。何せ、命懸かってますし」

 「伐採や工事の事故を防ぐのも、同じことだと思うがね?」

 「呪歌みたいに先生が行って、勉強の時間を作れば、後で空き時間に教科書も読んでもらえるかもしれませんけど」

 「ふむ……まずは勉強の勘を取り戻すところからか……」


 難民キャンプ開設から二年近く経って、ようやくそこに思い到り、ラクエウス議員は、キルクルス教徒として悲しくなった。


 「建設事故防止の教育ならば、作業のない日にネモラリス建設業協会の彼らに頼めば、何とかなるのではないかね?」

 「雨の日とかは休みですけど、それなりに忙しいみたいですよ?」

 「聞くだけ聞いてみてもらえんかね?」

 「今、ジェルヌィさんが来てるんで、ちょっと聞いてみますね」

 ファーキル少年は、小走りに部屋を出て行った。


 一人になり、我知らず太い息が漏れる。


 ……今更、安全教育などと、腹を立てる者が居るやもしれんな。


 住居は(おおむ)ね完成し、間もなくテント村が解消される。だが、倉庫や病棟などはこれからだ。

 気を取り直し、報告書を書いて待つ。



 ファーキル少年は、ジェルヌィを連れて戻った。

 ペコリと頭を下げる青年の胸で、土木の専門家の証【穿(うが)啄木鳥(キツツキ)】学派の徽章(きしょう)が揺れる。

 「毎日、作業前に注意点は伝えてたんですけどね。やっぱり素人さんだと、それだけじゃピンとこなかったみたいで」

 「うむ。焦りもあったろうからな」


 魔獣から身を守るには、平野部のテントでは心許なかった。

 丸木小屋ならば、テントのように引き裂かれる心配はない。


 「安全教育の手引き、ネモラリスから取寄せられたらいいんですけど、あっちはあっちで事故多いみたいなんで、どうかなって」

 「その……安全教育の手引きって言うの、アミトスチグマのじゃダメですか?」

 ファーキル少年がタブレット端末をつつきながら聞く。

 「あー……内容、多分そんな変わんないと思うし、いンじゃない?」


 少年が、専門家に画面を向けた。

☆移動放送局のみんなも、古本屋さんで教科書を一通り揃えた……「1021.古本屋で調達」参照

☆国内でも(中略)転々とせざるを得ん罹災者……「1469.追加する伝言」参照

☆星の標リャビーナ支部であるオースト倉庫株式会社が、力なき民を中心に就学援助を行う……「1458.催しの来場者」「1459.付け込む布教」参照

☆車中泊の人々も(中略)住民登録が可能……「1518.刺客と移住者」参照

☆あっちはあっちで事故多いみたい……「1330.連載中の手記」「1474.軍医の苛立ち」参照

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野茨の環シリーズ 設定資料
シリーズ共通設定の用語解説から「すべて ひとしい ひとつの花」関連の部分を抜粋。
用語解説01.基本☆人種など、この世界の基本
用語解説02.魔物魔物の種類など
用語解説05.魔法☆この世界での魔法の仕組みなど
用語解説06.組合魔法使いの互助組織の説明
用語解説07.学派【思考する梟】など、術の系統の説明
用語解説15.呪歌魔法の歌の仕組みなど
用語解説11.呪符呪符の説明など
用語解説10.薬品魔法薬の説明など
用語解説08.道具道具の説明など
用語解説09.武具武具の説明など
用語解説12.地方 ラキュス湖☆ラキュス湖周辺の地理など
用語解説13.地方 ラキュス湖南 印暦2191年☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の地図と説明
用語解説19.地方 ラキュス湖南 都市☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の都市と説明
地名の確認はここが便利
用語解説14.地方 ラキュス湖南 地理☆湖南地方の宗教や科学技術など
用語解説18.国々 アルトン・ガザ大陸☆アルトン・ガザ大陸の歴史など
用語解説20.宗教 フラクシヌス教ラキュス湖地方の土着宗教の説明。
用語解説21.宗教 キルクルス教世界中で信仰されるキルクルス教の説明。
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