1597.不平等を生む
「翻って、この国はどうでしょう」
イーニー大使は、長く駐在する友好国について語り始めた。
アミトスチグマ王国は、国王を統治の最高責任者に戴き、その下に国会を置く。
国会議員は、選挙を通じて、国民から広く公平・平等に決定される。
議席は、政党ではなく属性によって同数の枠が用意された。
陸の民と湖の民、長命人種と常命人種、力ある民と力なき民、男性と女性の属性を組合わせた十種に「その他」を加えた合計十一種の枠だ。
アミトスチグマ王国の信仰は、フラクシヌス教徒が圧倒的多数を占めるが、主神派や女神派などの宗派は、政の世界に持ち込まなかった。
ラキュス・ラクリマリス共和国に於ける半世紀の内乱を反面教師にしたのだ。
少数派の席は少ないが、ネモラリス共和国を顧みれば、陸の民と湖の民の二分類しかない。
落とし所をどこへ持ってくるかが難しい。
……分類が大雑把に過ぎれば、少数派の声が届かず、細分化すればキリがない。
半世紀の内乱を生き延びた「力なき陸の民のキルクルス教徒」であるラクエウス議員は、嘆息した。
旧ラキュス・ラクリマリス共和国は、議会に属性別の枠を設定しなかった。単純に得票数の多い者順で割り当てた為、人口比と主張する力の強さがそのまま反映された。
湖の民の多い選挙区からは湖の民が、キルクルス教徒の多い選挙区からはキルクルス教徒が選ばれ、複数の属性が、近い比率で混在する選挙区では、熾烈な得票争いが繰り広げられた。
当時、最もモノを言ったのは、経済力だ。
大量のビラやポスターを印刷し、会場を借りて何度も講演会を行い、新聞広告でも知名度を上げた。
候補者の経済力の差が、得票数に露骨な差をつける。
だが、当時は「平等な自由競争」を是とした為、選挙区内に於ける各民族や人種の人口比や、経済格差の埋め合わせはなかった。
「アミトスチグマ王国に駐在して思い知らされましたよ」
「何をですかな?」
「民族自決の思想が蔓延するまでもなく、旧ラキュス・ラクリマリス共和国の民主主義は、制度の欠陥によって、却って不平等を生み出していたのです」
アルトン・ガザ大陸からもたらされた新しい制度と思想は、二百年足らずで、七千年近く存続した古い国を引き裂いた。
――王国時代にはこんなこと、一度もなかったんですけどね
――民主主義なんて言っても、こんな風に見捨てられるんなら、ネーニア家の治世に戻して欲しいですよ
――神様のお血筋の方々にお任せしていた頃は、間違いなかったんですからね
報告書で読んだ言葉が脳裡を過る。
ネモラリス島北部の農民が、医療政策にこぼした不満だ。
単純な多数決では、住民の少ない地域が等閑にされがちで、ラクリマリス王家とラキュス・ネーニア家の采配を懐かしむ声が出ても、不思議はない。
選挙区は近隣の都市に含まれ、都会に住む政治家は、なかなか農村部まで足を運べなかった。
住民側も、陳情制度自体をよく知らない者が多い。投票所で候補者の呼称を書くだけでは、小さな村の民意を国政に届けるのは、難しかった。
「共和制を維持した我が国は、その不平等をも維持したのです」
「ネミュス解放軍が現れて当然と言うことですかな?」
「星の標の残存と、星の道義勇軍の武装蜂起も、そうです」
イーニー大使は、リストヴァー自治区選出の国会議員を見詰め返した。
――政治やら統治やら、難しくて何のこっちゃわからんのに、これまたよく知らん人に投票して任せようったって、誰に頼みゃいいやら、ちっともわからんだろ
――王様と当主様にお任せすれば、何も問題なかったのか
――これまでそれで間違いなく何千年も続いたんだからな
ラクエウス議員は、報告書で目にした難民キャンプで暮らすネモラリス人の言葉を思い出し、胸が痛んだ。
「学校で、制度の概要だけでなく、具体的な手続きなども教えておれば、クーデターを防げたやもしれませんな」
「今からでも、臨時政府が教育制度を改めると思いますか?」
外交官の目に皮肉な笑みが宿る。老議員は肩を竦めた。
「陳情制度が広く知れ渡れば、政治家は今以上に忙しくなりますからな。抵抗する者は多いでしょう」
学校教育などを通じ、社会保障制度の具体的な使い方を周知徹底できたなら、アミエーラの知人のような貧困に陥る子供を減らせただろう。
「今は、戦争で忙しいでしょうから、教育改革は終戦後となりましょうが」
「無論、一朝一夕に成るものではありません。ですが……」
言葉を切った老議員に外交官が気遣う目を向ける。
「言い難いようでしたら、無理にとは……」
「この戦争が終わった時、それでも主権が民の手に在るなら、今度こそ、その権利と義務を正しく行使できるよう、教育が必要なのです」
「かつて、ラクリマリス王家とラキュス・ネーニア家は、それぞれ、幼少期より英才教育が施されたそうですが、全ての民にそこまでする必要があるのですか?」
イーニー大使が、不可能を承知で確認する。
「民一人一人の権力は、ささやかなものです。権力の小ささと、それを持つ人数の多さは、かつてとは全く違い、権力の構造も、行使する制度も異なります」
「帝王学ではなく、民に合わせた多人数による共同統治教育が必要だと仰せなのですね」
「左様。老い先短い儂には、終戦を見届けられんでしょう。大使閣下から、本国へお伝えいただけましたら、幸いに存じます」
イーニー大使は寸の間、言葉に詰まったが、深く頷いた。
「……承知しました。政府が動く保証は致しかねますが、必ずお伝え致します」
「恐れ入ります。……それはそれとして、現在の教育です」
「難民キャンプの住民は、アミトスチグマ政府の公式記録によると、四十三万人余り。中堅都市並の規模です。そこへ行き渡らせるとなりますと……」
「せめて一区画に一揃いでもあれば、状況は変わるでしょう」
イーニー大使は、冷めたお茶をちびちび口に含みながら、黙考した。流石にインターネットでの呼掛けでは、ネモラリス共和国の教科書は手に入らない。
「数学と共通語ならば、どの国でも似たような内容ではありますまいか」
ラクエウス議員が思いつきを口にすると、イーニー大使はすぐさま、先程の辞書と同様、端末をつついた。
端末から顔を上げて言う。
「中古でよければ、古書店組合から買取れないか、教育省に相談してみます」
「恐れ入ります」
「結果はお約束できませんがね」
イーニー大使は、力なく笑った。
☆ネモラリス共和国を顧みれば、陸の民と湖の民の二分類……「0983.この国の現状」参照
☆民族自決の思想……「0059.仕立屋の店長」「370.時代の空気が」参照
☆ネモラリス島北部の農民が、医療政策にこぼした不満……「1051.買い出し部隊」参照
☆難民キャンプで暮らすネモラリス人の言葉……「1177.散らかる意見」参照
☆陳情制度……「0976.議員への陳情」参照
☆アミエーラの知人のような貧困に陥る子供……「1419.叶えたい願い」参照
☆先程の辞書……「1595.流出した人材」参照




