1593.意識的に視る
「その件は……恐らく、他の方々からも既に話が行ったかと思いますが、私からも一度、議員の先生方に相談してみます」
大人三人は、呪医セプテントリオーの申し出に礼を述べたが、何の期待も籠もらない形式的なものだ。
ラクエウス議員が、大使館に相談すると言うのを聞いた気がする。
陳情を受けても、生死に直結する支援策の優先順位が上で、教育などは後回しにされがちだ。
まずは、生き残らなければ、何もできない。
……だが、食糧や医療が不足する中で教育を求めることは、そんなにも「贅沢」なのか?
生きる為に必要な知恵や、平和を取り戻した後、自立した暮らしを送る為には、教育が必要だ。
学ぶ機会を得られなかった者が、職にありつけず、犯罪に手を染め、その暮らしから抜け出せなくなる。半世紀の内乱勃発後から魔哮砲戦争開戦まで、無数に見て来たことだ。
……悪事を働かない者も多いが……臨時政府は、低きへ流れる者を切り捨て、また、同じ過ちを繰り返すつもりなのか?
「要の木ってあるだろ?」
「ん? ……あぁ、あれ? 畑に一本だけ残ってる奴?」
中学生の兄に話を振られ、小学生の弟が自信なさそうに聞く。
「まさか、お前たち、柵の中に入ったんじゃないだろうな?」
父親の現役看護師が顔を険しくする。息子二人は勢いよく首を横に振った。
「入ってない入ってない」
「でも、畑の水遣りしてたら、何か声聞こえる時あるんだよな」
「何て言ってたか、わかる?」
力ある民の元看護師が、やや身を乗り出して聞く。
中学生の少年は首を捻り、丸木小屋の壁と天井の境辺りを見て、ポツリポツリと言葉を発した。
「聞こえるって言うか……声……? じゃないっぽいんだよな」
「声ではない?」
セプテントリオーも気になった。
「声として聞こえる……んー……何て言うか、感じる? 淋しいとか、羨ましいとか、気持ち? みたいのが、声聞こえるみたいな感じで」
「精神汚染……」
元看護師の隣で、彼女の妹が呆然と呟く。
高校生の姪が、不安げに聞いた。
「叔母さん、それって……?」
「木や岩にも精霊が宿るのよ」
「岩? 木は生きてるからわかるけど……」
高校生の少女と一緒に小中学生の少年も首を傾げる。
「山に住んでる少数民族とかは、あらゆる自然物に精霊が宿るって考え方で、私たちとは違う信仰を持ってるの」
「えぇッ? ホントにせーれーが居るんじゃなくて?」
小学生の少年が、近所のおばちゃんに疑わしげな目を向ける。
「居るわ。私たちは普段あんまり意識しないから、視界に入らないだけ。その信仰の人たちは、ちゃんと視ようとするから、しっかり視えるのよ」
「居るんだ……」
少年が引き攣った顔で兄を見る。
中学生の兄は、無言で近所のおばちゃんを見た。
「ここからずっと東、チヌカルクル・ノチウ大陸の果てに浮かぶ島の住人は、すべての物に精霊が宿るって考えで、作って百年以上経つ道具にも」
「道具? 何で?」
「人の話は最後までちゃんと聞きなさい」
父親に叱られ、男子小学生が首を竦めた。
現役看護師が太い眉を下げ、若い母親に会釈する。彼女は会釈を返して続けた。
「実際、先祖代々使ってる生活道具と話をしたとか、空家の古い照明器具を持って帰ったら精霊に呪われたとかって記録がたくさんあるわ」
「おばちゃん、そんなのどこで聞いてくんの?」
小学生が、純粋な好奇心を向ける。
若い母親が腕の中で眠る幼児に視線を向け、睫毛の影が瞳に落ちた。
「この子が産まれるまで、大学で研究してたの。湖南語と共通語に翻訳された文献しか読んでないけど、現地語がわかれば、もっと詳しくわかったと思う」
「大学? そんなの勉強して何か役に立つの?」
中学生の兄が軽いノリで聞く。
「あの柵、私が【編む葦切】学派の職人さんに頼んで作ってもらったのよ」
「えッ? ……えーっと、おばちゃんは何学派?」
「私は【渡る雁金】学派」
短い答えに兄弟が顔を見合わせる。
「兄ちゃん知ってる?」
「いや、初めて聞いた」
若い母親が襟元から銀の鎖を手繰り寄せると、水鳥を象った徽章が現れた。
男子小学生が瞳を輝かせ、初めて目にする徽章を見詰めて聞く。
「カリガネって鳥なんだ? 何する奴?」
「雁金は、季節毎に遠くを旅する渡り鳥。異界の住民と交流したり、こっちに迷い出たモノを追い返したりするのよ」
「スッゲー! おばちゃん、魔獣と戦えるんだ?」
「受肉しちゃったら、もう無理ね。相手にできるのは魔物や精霊だけ。それも、専用の呪具がないと」
少年二人が露骨にがっかりする。
高校生の姪が話を戻した。
「さっきの精神汚染って?」
「木の精霊は、最初からこの世の肉体として自分の樹木を持ってるけど、精霊自身はこの世と幽界を自由に行き来できるの」
「この世と幽界って……死なないの?」
姪が眉を顰める。
「扉の敷居に立って、あっちとこっち半分ずつ居るみたいな……で、わかる?」
「あー……うん。何となく」
力ある民の姪は頷いたが、魔力を持たない他人の少年二人は、難しい顔で二人を見た。
「精霊が幽界側に居る時間が長ければ、こっちには居ないみたいに思えるけど、居るには居るの」
「こっちに居る時間が長いのも居るの?」
「勿論、居るわ」
呪医セプテントリオーも、初めて耳にした内容が多い。口を挟まず【渡る雁金】学派の専門家の話に耳を傾けた。
「魔力の強い人や弱い人、持ってない人が居るみたいな感じで、精霊も、周囲の生き物とかに働き掛ける力が強いのと弱いの、何もできないのが居るわ」
「大抵は何もできないか、力があっても弱いから、居ないっぽく見えるだけ?」
「そうそう。そう言うコト。それで、残ってるのは、命乞いした木だけなのよ」
若い母親が、利発な姪に微笑む。
「パテンス市の樵さんや狩人さんは、強い精霊が宿る樹木を“要の木”って呼んで大事にしてるけど、特に交流とかはないみたいね。敬して遠ざける感じ」
「近付かない方が無難?」
「そうね。昔からあちこちで、樵さんが力の強い木や、その木と仲良しの木を伐採して呪い殺されたりとか」
「えぇッ……怖ッ!」
姪が自分の両肩を抱く。
「逆に、伐ろうとした木に気に入られるコトもあるわ」
「それはまぁ、別に……」
中学生の少年が、ホッと肩の力を抜いて呟く。
だが、【渡る雁金】学派の術者は、首を横に振った。




