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すべて ひとしい ひとつの花  作者: 髙津 央
第五十一章 人作

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1590.話す暇もなく

 「せ、呪医(せんせい)! こ、この間、あ、有難うございました!」

 男性が声を裏返らせて駆け寄った。見覚えはあるが、今はそれどころではない。


 難民キャンプ内で魔獣による咬傷事故が発生し、呪医セプテントリオーは現場での対応を終えて診療所に戻った直後、声を掛けられたのだ。

 自警団の若者らが、即死を免れた三人の患者を【跳躍】で運んで戻る。傷は術で癒せたが、失血による衰弱と感染症への警戒で、当面は入院が必要だ。


 「こちらこそ、頑張っていただけて助かりました」

 慌ただしく、話す(いとま)もない。どうにか一言だけ返し、患者らと共に駆け込んだ。



 彼の妻は先週、出産したばかりで、新生児と共にまだ入院中だ。

 夫婦揃って力なき民。住居に割り当てられた丸木小屋に帰れば、家事の全てが重労働だ。複数の世帯が共同生活を送る為、助け合える半面、ゆっくりできる環境ではない。


「ちろちろと 白き鱗の触れる者 ちろちろと 白き鱗の舐める者

 白き翼を水に乗せ 明かせ傷 知らせよ(やまい)

 命の(ほつ)れ (つまび)らか (ほころ)(ふさ)ぐ その為に」


 第二十八区画を担当する薬師(くすし)が【白き片翼】学派の【見診】を掛け、新規患者三人の状態を確認する。

 呪医セプテントリオーはその間、カルテに事故発生状況と、受傷時の状態、実施済の処置を書込んだ。


 剣呑な空気に()てられたのか、赤ん坊が泣きだし、若い母親がおろおろあやす。

 先程の男性の妻だ。

 育児支援の名乗りを上げた難民のベテラン主婦が、あやし方のコツを教え、まだ名前の決まらない子を受取って実演する。

 「あらぁー、びっくりしちゃったねー、よしよし」



 産科の呪医は、他の区画へ巡回中だ。

 一人のお産に時間が掛かる場合が多く、当分の間、この第二十八区画へは来られない。

 セプテントリオーは外科領域なので、軽傷患者が多い日は数区画回れる日もあるが、流石に一日で全ての区画は一巡できない。


 各区画が更に拡張し、現在は一区画に約八千人から一万四千人余りが暮らす。


 この第二十八区画に常駐するのは、【思考する(フクロウ)】学派の薬師(くすし)だ。家族とともに逃れて来た年配の女性で、子育ての経験があった。

 薬師(くすし)が、同じく常駐する科学の看護師に新規患者の受け容れを頼み、薬品棚を開ける。在庫を指差呼称して確認し、呪医セプテントリオーに向き直った。

 「まだ感染の兆候は出ていませんが、抗生物質の点滴は在庫が充分ありますし、ここは点滴できる看護師さんも居ますから、何とかなりますよ」

 「それでは、経過観察、よろしくお願いします」

 患者らに聞かせる為、呪医セプテントリオーは、殊更に安心した声を出してみせた。薬師(くすし)もそのつもりで、把握済みの在庫を確認したのだろう。


 診療所の空気が緩み、赤ん坊が泣き止んだ。


 そうこうする間にも、魔法薬の処方を待つ行列が伸びてゆく。

 【青き片翼】学派の巡回呪医が来たとの知らせが走り、自力で歩ける怪我人が二本目の行列を作った。


 一万人前後の難民に対して、診療所は一箇所しかない。

 人手不足は当然で、常駐する医療者は専門外の分野も診なければならず、負担は相当なものだ。


 セプテントリオーら、ネモラリス人医療者の有志が十数人でシフトを組んで巡回し、アミトスチグマ王国医師会と、最寄りのパテンス市医師会も、健診車や巡回診療車で来てくれるが、充分とは言えなかった。


 保健師も不足し、健康指導が充分行き渡らず、防げた筈の怪我や病気も多い。また、指導を受けたところで、電気、ガス、水道などのない難民キャンプでは、力なき民には実行できない対策が多かった。


 産科は、難民キャンプ全体で呪医一人、科学の医師三人、引退した高齢の元医師二人、助産師は五人しか居ない。

 彼らの住居は定められたが、お産のある所へ駆けつけてもらう為、留守がちだ。

 一ケ所に集約して妊産婦が来院する方式にすれば、体制を手厚くできる。だが、力なき民には交通手段が徒歩しかなく、力ある民も知らない場所には【跳躍】できない。


 それでも、難民キャンプの出生数はじわじわ上昇中だ。

 流入減少と死者を差し引いても、人口は増えつつある。



 「呪医(せんせい)、テント、いっぱいになりました」

 「有難うございます。すぐ行きます」

 元看護師の難民に呼ばれ、呪医セプテントリオーは、材木で挟まれた男性の手を【骨繕(かわらつくろ)う糸】で癒し、外に出た。


 一区画当たりの人口は増えたが、診療所を中心に丸木小屋を増やしていった為、近くには入院病棟などを建増しできない。

 急性期を脱し、安静だけが必要な患者専用の入院病棟が、畑の近くに作られた。

 こちらは、結婚や家庭の事情などで退職した元看護師たちが看てくれる。何かあれば、診療所の現役医療者に連絡する決まりだ。


 その安静病棟の隣には、呪歌用のテントがある。

 重症患者の表面だけが癒えて、傷がわからなくなるのを防ぐ為の【防音】、それに【魔除け】と【耐暑】【耐寒】が刺繍された頑丈なものだ。


 難民も、力なき民を含め、呪歌【癒しの風】の使い手が増えた。

 だが、魔力の弱い者や【魔力の水晶】で行使する力なき民でも治せるのは、ほんの軽い火傷や擦り傷など、何もしなくてもよさそうな極軽い外傷だけだ。

 割れた爪を復元できるそれなりの使い手は、思ったより多くないらしい。


 まず、元看護師が診て、ここと診療所に振り分ける。

 テントに集められるのは、軽傷だが、難民自身では癒せない患者だ。傷の洗滌(せんでき)など前処置は、力ある民の元看護師たちが済ませてくれる。

 今日、最初の【癒しの風】対象の患者は二十人くらいだ。


 「お待たせしました」

 「あー、いえいえ、とんでもない」

 挨拶もそこそこに【癒しの風】を(うた)い、体表の外傷をまとめて治した。

 再び【跳躍】して診療所に戻り、骨折などの重傷患者の治療に当たる。


 診療所で重傷患者を五、六人癒す間にも、離れた呪歌用テントでは、元看護師たちが、患者を重症度に応じて選別し、前処置を済ませて、また呪医を呼びに来る。

 その間も、重症度の高い患者は、次々と診療所に運び込まれる。



 日没近くまで、息つく暇もなかった。

 日が傾く頃には安全の為、余程の重傷でない限り、帰宅する。

 最後の患者を送り出した後、薬師(くすし)宅に診療所と安静病棟の担当者が集まって報告会をする。


 「パルンビナ株式会社のマリャーナさんから、みなさんに差し入れです」

 「いつも有難うございます」

 「いえ、私は運ぶだけですから。今回の分は晩ごはんにどうぞとのことです」

 セプテントリオーは夏の都に戻らねばならず、【無尽袋】を渡して引き揚げた。

☆見覚えはある/先程の男性の妻……「1589.最初から難民」参照

☆彼らの住居は定められた……「858.正しい教えを」「863.武器を手放す」参照

☆【骨繕う糸】……「872.流れを感じる」参照

☆畑の近く……「929.慕われた人物」「0986.失業した難民」「1133.人・物・カネ」「1178.売上げの寄付」参照

☆難民も(中略)【癒しの風】の使い手が増えた……「805.巡回する薬師(くすし)」参照


 挿絵(By みてみん)

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野茨の環シリーズ 設定資料
シリーズ共通設定の用語解説から「すべて ひとしい ひとつの花」関連の部分を抜粋。
用語解説01.基本☆人種など、この世界の基本
用語解説02.魔物魔物の種類など
用語解説05.魔法☆この世界での魔法の仕組みなど
用語解説06.組合魔法使いの互助組織の説明
用語解説07.学派【思考する梟】など、術の系統の説明
用語解説15.呪歌魔法の歌の仕組みなど
用語解説11.呪符呪符の説明など
用語解説10.薬品魔法薬の説明など
用語解説08.道具道具の説明など
用語解説09.武具武具の説明など
用語解説12.地方 ラキュス湖☆ラキュス湖周辺の地理など
用語解説13.地方 ラキュス湖南 印暦2191年☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の地図と説明
用語解説19.地方 ラキュス湖南 都市☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の都市と説明
地名の確認はここが便利
用語解説14.地方 ラキュス湖南 地理☆湖南地方の宗教や科学技術など
用語解説18.国々 アルトン・ガザ大陸☆アルトン・ガザ大陸の歴史など
用語解説20.宗教 フラクシヌス教ラキュス湖地方の土着宗教の説明。
用語解説21.宗教 キルクルス教世界中で信仰されるキルクルス教の説明。
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