1588.能動的な要望
呪医セプテントリオーは、休日を丸一日潰して知恵を絞った。
乾いた雑巾を絞るような時間を独りで過ごし、どうにか箇条書きにまとめられたのは、難民キャンプでの診療時に各分野の専門家や、難民自身がぼやいたことばかりだ。
いずれも、一朝一夕に実現できるものではなかった。
今日、マリャーナ宅の会議室には、ネモラリス共和国の亡命議員四人と、情報収集であちこち飛び回るラゾールニク、呪歌の指導で難民キャンプに通う歌手オラトリックス、情報をとりまとめるファーキル少年が顔を揃えた。
「現地で聞き取ったことの受け売りばかりですみません」
「いえ、これこそが、我々が求めるものです。有難うございます」
「しかし、医学的な見地ではなく、現地の診療所などで患者さんや付き添いの方から聞いた話ばかりですよ」
アサコール党首に労われ、呪医セプテントリオーは困惑した。
紙に手書きでまとめたものは、どれも【青き片翼】学派をはじめとする医療系の魔法や、科学の医療には手も足も出ない領域の話しかない。
赤毛のモルコーヴ議員が、配布された写しから顔を上げて言う。
「私共が難民キャンプで聞き取り調査する際、回答者は大抵、受身です」
「受身?」
予想外のコトを言われ、セプテントリオーは戸惑った。
「私共が質問して、それにきちんと答えて下さる場合、困り事の内容は、想定の範囲を出ません」
呪医が頷いて、言葉の意味だけは了解できた旨を示すと、ベテラン議員は早口で付け加えた。
「勿論、具体的に何が、どう、どの程度、どんな人が、何人くらい困るのかは、酌み取れますから、別方向では有効ですよ」
「アンケートもそうなんですよね」
ファーキル少年が同意同意する。
「大抵の人は、選択肢に丸を付けてくれます。“その他”欄に詳しく書いてくれる人とか、裏まで使って、設問にあった問題点への解決案とか、設問にない困り事を書く人って、滅多に居ないんですよ」
アンケートを取りまとめた少年に言われ、呪医セプテントリオーも、アサコール党首の言わんと欲するところが、うっすらわかった。
「診察室で、私が聞かないことを患者さんや付き添いの方が語るのは、自発的な訴えで、聞き取り調査やアンケートでは、拾えない……と言うことですか?」
「そうです。それから、呪医方は、怪我をした時の状況も問診されますよね?」
両輪の軸党の当主が、満足げに頷いて聞く。
「えぇ。私は病気を診られませんが、【白き片翼】学派の呪医や、科学の内科医、薬師のみなさんも、いつから、どんな症状が出たか、ご家族や同じ小屋で暮らす方々も含めて聞いておられますね」
アサコール党首が頷く。
「内科系など、他の医療職の方々からも随時、情報をいただいております」
「それがきっかけで、有毒生物について初の分布調査計画が進行してます」
「大学や、製薬会社との協議の結果、産官学の合同調査が決まったのです」
クラピーフニク議員の一言にモルコーヴ議員が付け足した。
意外さに問いがこぼれる。
「これまで……難民キャンプ開設以前は、全くなかったのですか?」
「そのようですね。長らく魔物や魔獣の勢力が強く、一部の狩人しか近付かない地だったそうですので」
アサコール党首が大学関係者から聞いた話は、ラゾールニクの知識とほぼ同じだ。
森の主が退治された後も、アミトスチグマ人の大森林に対する忌避感は拭えず、六百年以上に亘って開発どころか、調査すら行われなかったらしい。
王国政府が魔哮砲戦争開戦から一カ月余り経った頃、ネモラリス難民に大森林を貸与すると発表した際も、批判が起きた。
曰く、突然の空襲で全てを失い、他に行き場のない弱い立場の人々を死地に追いやるとは何事か――と。
実際、難民キャンプで命を落としたネモラリス人は少なくなかった。だが、被害はアミトスチグマの「良識ある人々」の想定より遙かに軽微だったらしい。
現在は、王国政府に対するそのような批難の声はなく、国庫と一般国民の生活負担を最低限に抑えたと、評価する声さえあった。
「では、学生さんや、パテンス神殿信徒会など、難民キャンプの奥地まで来て下さる方々は、かなり勇敢なのですね」
セプテントリオーが言うと、歌手オラトリックスが深く頷いた。彼女は、アミトスチグマ人の大学生らと共に難民キャンプ内で【道守り】の呪歌を謳って守りを固めることが多い。
呪医セプテントリオーがよく顔を合わせるのは、診療所を手伝う信徒会の者だ。
「ネットでは、古い習慣とか気にしないで、もっと資源を有効活用した方がいいのにって意見がちょくちょくありますね」
ファーキル少年が、インターネット上の調査概要を語る。
大森林は手付かずだった為、薬や魔法道具の素材が豊富にある筈だ。木材より、それらの方が高値で取引される。
前人未到の領域では、新種発見の可能性もあった。
難民キャンプを基地にすれば、魔獣由来の素材も採集しやすくなる。上手くゆけば、難民の安全確保にも貢献でき、一石二鳥だ。
難民が集めた素材を適正価格で買取れば、自立支援にもなる。一方的に与える援助ではなく、自力で暮らしを成り立たせる可能性が広がり、精神的な安定にも寄与できる。
対して、野生動物や稀少な植物の楽園を荒らすなとの反論もあった。
アサコール党首が話を戻す。
「能動的に出てくる言葉は、単なる愚痴や不満も多いのですが、そこから、対策が必要な問題点がみつかる場合もあるのですよ」
誰もが、問題の存在に自覚があるとは限らない。
寧ろ、不満を感じてもその原因が何か、渦中にある人自身には、言語化できない場合が多い。
「対策を考えてくれる人も居ますけど、大抵、難民自身だけでは実現できないんですよ」
クラピーフニク議員が、困った顔でラゾールニクを見る。情報ゲリラは、無言でラクエウス議員に視線を投げた。
「何と言っても一番の解決方法は、戦争を終わらせることだが……当面は生活の改善を目指すしかあるまい」
いつこの世から旅立ってもおかしくない老議員は、疲れた声で言った。
後でファーキル少年がこの情報をまとめ、ラクエウス議員が、アミトスチグマ王国に駐在する祖国ネモラリスの大使館に持参する。
大使らもまた、限られた権限の中で、能う限りの努力を続ける。
アーテル人への恨み言を口にする暇などなかった。




