1583.政策的な棄民
「あなた方は、二年以上前……魔哮砲戦争以前のリストヴァー自治区がどんな状態だったか、ご存知ですか?」
地元のウェンツス司祭が顔を上げ、魔装兵二人に共通語で聞く。
フラクシヌス教徒の魔法使いは、訝りながらも首を横に振った。
「半世紀の内乱は、望む政体と信仰によって、国を分けることで和平合意が成立しました」
アーテル共和国は、国教をキルクルス教と定めた民主主義国家。
ラクリマリス王国は、国教をフラクシヌス教と定め、神政復古したが、旧ラキュス・ラクリマリス共和国時代の議会も残した。
どちらの国も、異教徒の居住を認めない。
アーテル共和国は、力ある民とフラクシヌス教徒を国外に追放し、残った者はランテルナ島に隔離して、行政から切り離した。
ランテルナ島民には選挙権がなく、完全な棄民だが、本土との商取引には高い税を課される。
ラクリマリス王国は半世紀の内乱終結後、荒廃した諸都市の復興より、南北ヴィエートフィ大橋の再建を優先した。
並行して、領内に残る共和派や、政体を気にしない力なき民のみの世帯などを魔道機船で、ネーニア島北部のゼルノー市やマスリーナ市、北ザカート市などに移送する。
ネモラリス政府がリストヴァー自治区を開設してからは、ラクリマリス領内に残るキルクルス教徒の内、希望者を自治区へ送り届けた。
先に北ヴィエートフィ大橋が完成し、残りのキルクルス教徒をランテルナ島に強制移住させた。
また、アーテル側も、南ヴィエートフィ大橋の完成後、土地勘がなく、魔法で移住できなかった力ある民をランテルナ島経由で、ラクリマリス領、または、その先のネモラリス領へ追放した。
ランテルナ島は、古くから交通の要衝として栄えた土地だ。
半世紀の内乱で地上の街や村が幾つも壊滅する中、腥風樹との戦いによって要塞化された地下街チェルノクニージニクは無傷、その上に広がるカルダフストヴォー市も残った。
独立の気風が強く、都市の構造的に力なき民だけでは維持できないが、有力者の話し合いによって、アーテル共和国領に組込まれた。
現在は、アーテル本土で暮らす力なき民の夫婦から産まれた「隔世遺伝の力ある民」を隔離する場としても機能する。
ネモラリス共和国には、能動的に共和政体を選んだ者ではなく、住み慣れた土地を離れ難かった者――湖の民や、湖の女神パニセア・ユニ・フローラを篤く信仰する陸の民が、大多数を占める。
力ある陸の民の内、主神フラクシヌスの信仰が篤い者や、ラクリマリス王家による神政を望む者たちは、ラクリマリス領へ移住した。
代わりにネモラリス共和国へ移住したのは、政体を重視しない力なき陸の民のフラクシヌス教徒、リストヴァー自治区への移住を希望した力なき陸の民のキルクルス教徒だ。
アーテル共和国には、キルクルス教団や世界のキルクルス教系慈善団体から多額の寄付が集まり、急速に復興が進んだ。
ラクリマリス王国も、内乱の終結によってフナリス群島への巡礼が再開し、観光収入などを得られた。また、魔術偏重政策を採り、魔法による復興が進む一方で、インターネットなど、最先端の科学も取り入れる。
ネモラリス共和国は、ラクリマリスよりも力なき陸の民を多く抱え、魔法使いの人材が少ない。
アーテル程の科学力はなく、外国からの寄付や観光などの収入源も乏しい。産業の大半は、半世紀の内乱による荒廃で、事業再建から始めなければならない。
資金と人材の不足で、国土全体の復興が他の二カ国程には捗らず、リストヴァー自治区は復興事業からほぼ置き去りにされた。
ラクリマリス領から命からがら移住した者の多くは、復興特需をアテにしたが、でき上がったのは湖岸に近い東教区のバラック街だ。
「なんだか……ネモラリスが、余りモノの寄せ集めに聞こえるんですが……」
「まぁ、でもホントのコトだよな」
魔装兵が、共通語で呟いて眉を顰めた同僚の肩をポンと叩く。
二人とも外見通りの若者なのか、当時を知る長命人種かわからない。
二人揃って何とも言えない顔をして、地元のウェンツス司祭から、バンクシア共和国出身のフェレトルム司祭に視線を移した。
春の陽がステンドグラス越しに降り注ぎ、司祭の肩と床を複雑な模様で染める。
若きエリート司祭は、特に驚いた風もなく、年配の司祭に頷いてみせ、続きを促した。
クフシーンカは、フェレトルム司祭が大聖堂を発つ前にどの程度、ラキュス湖南地方の歴史を勉強してきたか、確認したことがない。
「ネモラリス共和国のリストヴァー自治区以外と、ラクリマリス王国領内のキルクルス教会は、半世紀の内乱時代に全て破壊され、再建されませんでした」
「アーテル領のフラクシヌス教神殿も、同じ扱いを受けたんですから、おあいこですよ」
魔装兵の一人が、ムッとしてウェンツス司祭に向き直る。
「いえ、異教徒を咎めているのではなく……自治区の外には、取り残され、あるいは、自らの意思で信仰を偽って留まる人々が、存在する可能性があるのです」
「あぁ、クレーヴェルやレーチカ、他にもあちこちで爆弾テロを起こしたのは、抜け出した自治区民ではなく、元から潜伏していた不穏分子だったと?」
魔装兵が真意を確認すると、ウェンツス司祭は頷いた。
クフシーンカは、ウェンツス司祭による歴史の説明以降、共通語の会話を湖南語に訳さなかった。礼拝堂で手仕事をする信徒は、身を固くして、ぎこちなく作業を進める。
「半世紀の内乱中、旧ラキュス・ラクリマリス共和国内と、ラニスタ共和国の一部地域では、星の標によって信仰が歪められました」
「でも、キルクルス教徒全員が、過激思想に染まったのではありませんよね?」
魔装兵の一人が、手仕事をする者たちを横目に聞く。
「はい。しかし、教会や神学校が失われた国や地域では、それを正す機会が失われました」
ウェンツス司祭は婉曲に言うが、フェレトルム司祭が頷きながら付け加えた。
「社会に隠れ住む少数派は、多数派を敵視しやすく、極論に飛びつきがちです」
「つまり、自治区外にも教会があれば、テロを未然に防げた可能性があると?」
ウェンツス司祭は、魔装兵の一足飛びの言葉には、首を横に振った。




