1581.枷となる信仰
老いた足は、杖に縋らねば立つことさえままならない。
到底、全ての仮設住宅を視察できるものではなかった。
それでも、リストヴァー自治区東教会付近の八棟を回り、礼拝や各種教室に参加する余裕すらない人々の困難が、幾つも明らかになった。
各仮設住宅に設置が決まった共同炊事場の建設も、建築職人の手が足りず、着工の順番待ちの棟が多い。
住民らの話によると、役人も状況の視察には来るが、予算の都合ですぐにどうこうできるものではないらしい。炊事場の建増し費用の内、大工への工賃が税金で賄われるだけでも有難い。感謝の言葉は、公的支援への期待の薄さから出たものだ。
教会の敷地には、車が一台もなかった。新聞屋は、まだ集金が忙しいらしい。
……司祭様への報告がてら、少し休憩させてもらいしょう。
礼拝堂に入ると、説教壇の傍でウェンツス司祭とフェレトルム司祭、ネモラリス政府軍の魔装兵二人が、立ち話するのが見えた。
四人とも共通語で話すせいで、会衆席で裁縫や編み物をする信徒らには、内容がわからない。手を動かしつつ、時折、説教壇の方へ不安げな眼差しを向け、彼らの顔色を窺うだけで精一杯だ。
……共通語の勉強までは、流石に手が回らないわね。
湖南語の読み書きさえ覚束ず、就労の妨げになる。
リストヴァー自治区全体の教育水準を底上げし、自治区外との貧富の差を少しでも縮めなければ、治安が乱れ、不満の矛先を外へ向ける第二、第三の星の道義勇軍が現れる懸念があった。
だが、貧困故に学ぶ時間さえない者が大部分を占める。
クフシーンカの弟ハルパトールは亡命した。現在は、アミトスチグマ王国に身を寄せる。九十を越える年齢を考えれば、ラクエウスと呼ばれる国会議員として、再びリストヴァー自治区の土を踏める日は、来ない可能性が高い。
現在のリストヴァー自治区では、区議選すらままならなかった。
アーテル・ラニスタ連合軍による空襲、魔物や魔獣による捕食、議員宿舎襲撃事件などで落命、あるいは行方不明になった国会議員は多い。
魔哮砲の使用に反対して亡命した国会議員は、身の安全の為、リストヴァー自治区代表のラクエウスと、両輪の軸党のアサコール党首以外、所在どころか、生存の事実さえも明かせないでいる。
だが、ネモラリス共和国の中央政府は、魔哮砲戦争でそれどころではなく、国政選挙を行えなかった。
開戦後、一度も欠員補充されないまま、二年以上が経つ。
「司祭様、兵隊さんも、こんにちは」
「こんにちは」
「コンにちハ」
クフシーンカが流暢な共通語で声を掛けると、ウェンツス司祭がホッとした笑顔を向け、フェレトルム司祭はたどたどしい湖南語で応じた。
すっかり顔馴染みになった魔装兵の二人も、星道の職人クフシーンカに穏やかな微笑で会釈する。
「司祭様、後でお時間よろしいかしら?」
「ちょっと世間話してただけなんで、我々のコトはお気になさらず、どうぞ」
魔装兵の一人が、気さくな笑顔でクフシーンカに場所を譲る。彼の共通語も流暢で、フェレトルム司祭が頷いた。
……世間話で情報収集してたのね。
仮設住宅の困り事は、魔装兵に知られて困る件ではない。寧ろ、盗難防止に巡邏を増やしてもらいたいくらいだ。
「今日は仮設住宅を回って、共同のお台所を見せていただきましたの」
「台所?」
魔装兵二人が首を傾げて先を促す。
「アミトスチグマ王国からの寄付で、お鍋や小麦粉をいただきましたでしょ? あれを活用できるように各棟で一箇所ずつ、拵えていただいてるところなんですけれど」
クフシーンカは手帳を見ながら、住民から聞き取った困り事の訴えや、気付いた問題点を並べた。
聖職者二人が表情を曇らせ、魔装兵二人は溜め息を吐いて、礼拝堂内で手仕事に勤しむキルクルス教徒を見遣る。
「どの件も、魔法が使えれば、割と簡単に解決できるんですけどね」
「例えば、どのような?」
フェレトルム司祭に興味を示され、魔法使いの二人は面食らって、キルクルス教の聖職者を見た。
「参考までに教えていただけませんか? 何の魔法をどのように使えば、みなさんの困難を解決できるのか」
促された二人は顔を見合わせ、一人がひとつ咳払いして説明を始めた。
「力なき民でも、道具の力を借りれば、使える術が結構あるんですよ」
例えば、【炉盤】と【魔力の水晶】を使えば、力ある言葉の呪文を知らない力なき民でも、個別に設定された合言葉ひとつで、ガスコンロ程度の火を得られ、煮炊きが楽になる。
山中のクブルム街道へ薪採りに登る危険と労力、時間を節約できるのだ。
高価な【炉盤】に手が届かない者でも、作用力を補う【魔力の水晶】を握って、力ある民が描いた円に対して、力ある言葉で【炉】の呪文を唱えれば、術を発動させられる。
「火と熱と煙は円の外に出ないから、火事の心配もないし、いいと思うんですけどね」
「キルクルス教は魔法ダメだから、危なくても、山へ薪拾いに行かせるんですよね?」
魔装兵たちが言うと、大聖堂から派遣されたフェレトルム司祭は、小さく首を横に振った。
「一切の魔術を認めないのは、星の標など、聖典を極端に解釈する一部の異端者です」
「あぁ、そう言えば、礼拝で言ってましたね」
「聖者様の教えが盛んなアルトン・ガザ大陸北部では、力なき民が多い為、結果的に魔法が使えない信徒の割合が高いだけなのです」
「でも、自治区の住民はみんな、魔法の援助を頑なに断るんですけど?」
相槌を打たなかった魔装兵が、大袈裟に困った顔をしてみせる。
それには、地元のウェンツス司祭が湖南語で応じた。
「自治区が作られて三十年余り、星の標の暴力によって縛られた心からは、あれから一年経った今も、その縄の痕が消えないのです」
「司祭様たちが、礼拝で何回も言ってるのに、それでもダメなんですか?」
魔装兵の疑問は尤もだ。
「彼らが、正しい教義を説く者を亡き者にし続けた結果、聖職者の育成がままならないのです」
この自治区には、正式な司祭が、東教区と西教区に一人ずつしか居なかった。
☆クフシーンカの弟ハルパトール……「0214.老いた姉と弟」参照
☆自治区では、区議選すらままならなかった……「1577.大人への教育」参照
☆議員宿舎襲撃事件
計画……「273.調理に紛れて」参照
実行……「277.深夜の脱出行」参照
行方不明……「378.この歌を作る」「425.政治ニュース」「429.諜報員に託す」「440.経済的な攻撃」「529.引継ぎがない」参照
☆顔馴染みになった魔装兵……「1287.医師団の派遣」「1326.街道の警備兵」「1327.話せばわかる」参照
☆アミトスチグマ王国からの寄付で、お鍋や小麦粉をいただきました……「1450.置かれた手紙」「1452.頭の痛い支払」→「1489.小麦を詰める」参照
☆共同のお台所/各棟で一箇所ずつ、拵えていただいてる……「1451.台所を作ろう」参照
☆作用力を補う【魔力の水晶】を握って(中略)術を発動させられる。……「0170.天気予報の歌」「1189.動きだす状況」参照
☆あれから一年……あれ「893.動きだす作戦」~「906.魔獣の犠牲者」「916.解放軍の将軍」~「918.主戦場の被害」「919.区長との対面」~「921.一致する利害」「0937.帰れない理由」~「0939.諜報員の報告」「0941.双方向の風を」~「0943.これから大変」参照




