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すべて ひとしい ひとつの花  作者: 髙津 央
第五十一章 人作

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1580.衣食足りても

 「ま、まぁ、今は毎日、寄付の堅パンとか配給あるし、学校行ってるチビ共は給食あるし、こんな立派な部屋でちゃんとした毛布で寝れるし、文句とかそう言うんじゃねぇんスよ。全然」

 失業中の青年は明るい声で言うが、その笑顔には(かげ)があった。


 ……保育所の整備と、傷病者や児童家庭の保護と……あぁ、何てことかしら。


 クフシーンカは後で役所に掛け合うと決め、共同炊事場の棚を指差した。

 「調理器具が少ないのだけれど、足りているかしら?」

 「鍋とかもあったんスけどね。盗られちまったんスよ」

 青年が(うつむ)いて拳を握る。


 「でも、この台所には窓も煙突もないから、ぴったり閉まる戸を付けるのは、危ないわね」

 「戸が危ねぇ? 何でっスか?」


 青年は、貧しさ故に学校へ通えなかった。不完全燃焼による一酸化炭素中毒に関する知識がなく、危険を予測できないのだ。

 星道の職人クフシーンカは、彼にもわかるよう、簡単な言葉で丁寧に説明した。



 「じゃ、盗られるしかねぇんスか?」

 「何とかならないか、大工さんたちに相談するわね。取敢えず、足りないお鍋とかは、予備がないか司祭様に聞くわ。他に困ったコトはない?」

 青年は、共同のゴミ捨て場に顔を向けた。

 「配給で出た缶詰の空缶も盗られたんスよ」

 「まぁ……そんな物まで?」

 「ゴミっちゃゴミなんスけどね。そこそこまとめて工場へ持ってったら、便所紙とか食いモンとか交換してくれるんで、なけりゃないで困るっつーか」

 青年の声に悔しさと諦めが満ちる。

 クフシーンカも、どうしたものかと頭が痛い。

 「部屋に置くと、虫が涌いたりしてよくないし……困ったわね」

 「それは司祭様や役所の人に何回も言われたんで、ちゃんと守ってるっスよ。なのに何でこんな……クソッ!」


 東教区で計画された仮設住宅が全て完成してからは、バラック街だった頃より体感治安が向上した。

 それでも相変わらず、窃盗は日常茶飯事で、平等に行き渡った筈の肌着や毛布でさえ、外に干せば行方不明になりがちだ。


 正直者が馬鹿を見る状況が続けば、再び治安と衛生状態の悪化を招いてしまう。


 だが、警察は星の(しるべ)が活動を再開せぬよう、また、被害者や遺族が彼らに報復して手を汚さぬよう、監視するだけで手一杯だ。

 被害者の生活への悪影響が大きくとも、野菜泥棒や下着泥棒など、バラック街の頃から頻発した「被害額が軽微な事件」には、取り合う余裕がなかった。


 処罰されないなら、やった者勝ちな思考が蔓延しかねない。


 ……罰が発動しない法律や倫理が、こんなにも無力だなんて……知の(ともしび)だけでは、心の隅までは照らせないのかしらね。


 それとも、他人(ひと)を蹴落とし傷付けてでも、自分だけが得する為に捻り出す悪知恵も、知の灯に含まれるのだろうか。

 星道の職人クフシーンカは、()()ない思いで、青年の震える肩を見詰めた。



 今の東教区には、バラック小屋が一軒もない。

 全員が社宅か恒久的な集合住宅、あるいはプレハブの仮設住宅に入居し、雨漏りも隙間風もない清潔な部屋に住む。

 手入れの仕方を知らない為、入居以来、全く掃除できない者も居るらしい。

 だが、区画整理でアスファルト舗装の道路が整備され、排水溝も隅々まで行き渡り、トイレの数も各段に増えた為、以前のように部屋が泥や排泄物で汚れることがなくなった。


 世界中のキルクルス教徒が、報道でリストヴァー自治区の状況を知り、様々な団体を通じてたくさんの寄付を継続的に届けてくれる。

 直近の一年は毎日、最低でも一食は口に入り、学校給食の頻度も上がった。

 衣類も、充分とは言い(がた)いものの、東教区在住者の身形(みなり)は、バラック街だった頃とは比べ物にならない程よくなったのだ。



 クフシーンカは、解雇を言い渡した針子見習いアシーナを思い出し、溜め息を()いた。



 「ここ……俺が就職したら、(たきぎ)採りとかの用事できる奴、居ないっぽいんスよ」

 「今はあなたが全部、引受けているのね?」

 「そっス。でも、俺にできねぇコトはできる人がやってくれてンで、別に……」

 「小学生の子たちは何年生かしら?」

 「聞いてねぇっス」

 「そう。でも、その子たちでも、学校の帰りに水汲みを手伝えると思わない?」


 青年は共同の炊事場を振り返り、棚の下に置かれた二十リットル入りのポリタンクを見た。

 「でも、今はあれしかねぇし、ガキ共にゃ無理っスよ」

 「そうね。持てる大きさの容れ物があれば、少しでもできるんじゃないかしら。お掃除も、教えてあげればできるようになるでしょう」

 「あるんスか? 水汲み用の小さい容れモン?」

 「司祭様たちに相談するわ」


 共同の家事が就労の足枷になっては、いつまで経っても貧困から抜け出せず、仮設での家事担当の役割が固定化してしまう。


 「双子のお父さんも、誰かが少しの間でも、お子さんの面倒をみれば、水汲みや炊事、お掃除はできるんじゃないかしら?」

 「あー……いや、でも、俺、チビガキの面倒なんてみたコトねぇっスよ?」

 青年が、泣き声の止んだ戸に困った目を向ける。

 「いいえ。あなたではなくて、他の誰かよ」

 「他の誰かって? みんな無理なんスよ?」

 「そうかしら? あなたが就職活動、双子のお父さんが共同の家事をするほんの少しの時間、それすらできないんなら、あなたたちはこの先、何年も働きに出られなくなってしまうわ」


 青年は無言で自分の足下を見詰めた。

 ブロック塀で囲まれた仮設住宅の敷地は、モルタルで舗装され、雨が降ってもかつてのようにぬかるまない。歩きやすく、掃除が楽にできるようになり、排泄物や嘔吐物が落ちておらず、雑妖の発生源ではなくなった。


 空間的には、かつてのバラック街から生まれ変わり、明るく清潔、安全で住みやすくなった筈だ。


 ……どうしてこんなにも、生き辛いままなのかしら?


 明るい春の陽を浴びて立つ青年の顔は暗い。

 彼自身、生き辛さの原因がわからず、それ自体を言語化できないらしい。



 以前より暮らし向きがよくなったのに何故――



 「もし、俺や双子の親父に仕事が決まったら、誰が(たきぎ)採りと水汲みと掃除とチビ共の世話すりゃいいんスか?」

 「一度にみんな解決するのは無理だから、できるコトからひとつずつ、話し合いましょう。私も、何とかできそうな人に声を掛けるわ」

 「話し合いったって、そんな……」

 諦めと期待が()()ぜになった目が、老いた星道の職人に向けられる。


 「取敢えず、お鍋の件は任せてね」

 星道の職人クフシーンカは、責任感の強さ故に共同の家事に縛られ、自分の就職活動すらままならなくなった青年に何度も礼を言われ、隣の棟へ移動した。

☆空缶も盗られた/工場へ持ってったら、便所紙とか食いモンとか交換……「1451.台所を作ろう」参照

☆窃盗は日常茶飯事で、平等に行き渡った筈の肌着や毛布さえ、外に干せば行方不明になりがち……「276.区画整理事業」参照

☆解雇を言い渡した針子見習いアシーナ……「480.最終日の豪雨」~「485.半視力の視界」「904.逆恨みの告口」「905.対話を試みる」「918.主戦場の被害」「0940.事後処理開始」参照

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野茨の環シリーズ 設定資料
シリーズ共通設定の用語解説から「すべて ひとしい ひとつの花」関連の部分を抜粋。
用語解説01.基本☆人種など、この世界の基本
用語解説02.魔物魔物の種類など
用語解説05.魔法☆この世界での魔法の仕組みなど
用語解説06.組合魔法使いの互助組織の説明
用語解説07.学派【思考する梟】など、術の系統の説明
用語解説15.呪歌魔法の歌の仕組みなど
用語解説11.呪符呪符の説明など
用語解説10.薬品魔法薬の説明など
用語解説08.道具道具の説明など
用語解説09.武具武具の説明など
用語解説12.地方 ラキュス湖☆ラキュス湖周辺の地理など
用語解説13.地方 ラキュス湖南 印暦2191年☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の地図と説明
用語解説19.地方 ラキュス湖南 都市☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の都市と説明
地名の確認はここが便利
用語解説14.地方 ラキュス湖南 地理☆湖南地方の宗教や科学技術など
用語解説18.国々 アルトン・ガザ大陸☆アルトン・ガザ大陸の歴史など
用語解説20.宗教 フラクシヌス教ラキュス湖地方の土着宗教の説明。
用語解説21.宗教 キルクルス教世界中で信仰されるキルクルス教の説明。
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