1579.役割の固定化
仮設住宅の隣の棟は、新聞代の集金はすんなり済んだ。
新聞を読める者が複数居住し、その件については特に問題ない。
共同設備の配置は隣とほぼ同じだが、調理器具がやけに少なかった。調理台の下にあるのは、フライパンとお玉がひとつずつで、何ともちぐはぐな組合せだ。
調理担当者は、料理教室へ通う青年だった。
「ウチの棟、女の人はみんな工場で働いてっから、失業中のモンで料理と薪拾い当番回してるんス」
「役割分担は上手くいってるかしら?」
クフシーンカが聞くと、失業中の若者は複雑な顔で黙った。
沈黙を幼児の泣き声と、父親がおろおろあやす声が満たす。
「うま……うーん……何て言うか、できる奴ができるコトやるしかないんで」
ようやく言葉を捻り出したが、本人も納得ゆかないらしく、頻りに首を傾げる。
新聞屋の店主が一歩前へ出た。
「何かあンなら言ってくれよ。俺らで解決できなくても、なんとかできそうな奴に繋ぎをつけるくらい、できるかもしんねぇんだしよ」
「ん? うん。まぁ、前よりイイ暮らしさしてもらってるし、特に困ってるって程じゃねぇんだけどよ」
「何だ? 遠慮しねぇで言ってみろ」
「今は、できる奴ができるコトしてんだ」
「そりゃおめぇ、できねぇ奴にゃ無理なんだから、当たり前じゃねぇか」
新聞屋が首を傾げる。
仮設住宅のこの棟で調理を担当する青年は、もどかしげに頭を掻いた。
「あー……えーっと、そう言うんじゃなくって、何つーか、こう……」
再び言葉が途切れた。
クフシーンカは特に急がないが、新聞屋は銀行の窓口が閉まる前に集金を終えたいようだ。次の棟へそわそわ視線を投げる。
「台所の件は私の用事ですし、後で……そうね、東教会で落合いましょう」
「店長さん、お一人で大丈夫ですかい?」
新聞屋が高齢のクフシーンカを気遣う。
「無理そうなら、この辺りのどなたかにお願いしますから、お仕事を続けて下さいな」
かなり時間を食ってしまい、新聞屋は恐縮しながらも、ワゴン車を動かした。
星道の職人と二人きりになった青年が、クフシーンカから気マズそうに視線を逸らす。
「話の腰を折ってしまってごめんなさいね」
「あ、いえ、そんな……」
「仮設住宅の役割分担で、困り事と言う程ではないけれど、何か引っ掛かるのですね?」
「えぇ、まぁ、何つーか、うーん……」
「遠慮なさらないで聞かせてくれるかしら?」
「新聞は、仮設のこの建物一個で、一個だけ買ってて、字が読める人たちが交代で読んでくれるんだ」
青年は、なけなしの語彙を掻き集めてポツリポツリと語り始めた。
全ての記事ではなく、一面トップと生活面のすぐ役に立ちそうな情報、役所のお知らせや寄贈品の配布、食糧などの配給告知などを主に読む。
経済面の記事下に求人広告があれば、それも読むが、「新聞程度の文章が読める層」向けの仕事には、彼にも手が届く条件のものがなかった。
「こないだ、よさげな仕事があったんスけど、フォークリフトの免許がねぇとダメだったんス」
「そうね。お給金のいいお仕事は、何がしか専門知識や技術が要りますものね」
「だろ? 三軒向こうのおばちゃんが、アレの免許は一日か二日でイケるからって、それ用の本、会社の人に借りて来てくれたんスけど、俺、全然読めなくて」
「そう……もし、大人向けの読み書き教室があったら、そこで勉強できそう?」
俯いた青年が顔を上げた。
「あ……でも、今は料理教室なんで、いっぱい習うの、アタマ追いつくかな?」
「勿論、校長先生たちに掛け合ってからですから、すぐには無理よ」
「パン屋の先生たちが、工場始まったら料理教室終わりっつってたんで、その後だったら余裕でイケそうっス」
俯き掛けた青年の顔が、やや明るくなった。
クフシーンカには、彼が何に期待するのかわからない。
「箒作りやお裁縫の教室と違って、実用品を作る練習ではありませんから、買取りはないのだけれど」
「免許取れたら工場とかで働けるんで、仕事ねぇ内は勉強しかねぇっスよ」
青年は星道の職人に笑ってみせた。
「そうね。この教室は、ホントに字を習うだけなのだけれど……」
「あの本の読み方、教えてもらえンなら、毎日だってイケるっス」
「その本は今、手許にあるの?」
「ねぇっス。おばちゃんが借りたの、ちょっと見してもらっただけなんス」
「そう。教材は新聞にしようと思うのよ。同じのがたくさんあるから」
「新聞もいいっスね。自分で求人読めるようンなったら、いちいちアタマ下げまくって読んでもらわなくていいし」
この棟の住民は、フォークリフトの教本を借りて来るなど、就労支援の努力をするようだ。しかし、職にありつけない者たちが、その親切の届かない所に居るのでは、如何ともし難い。
穴に落ちた者を救いにロープを垂らしても、長さが全く足りないような状況だ。
「学のある人が新聞読んで、役所のお知らせとか就職情報とか教えてくれて、それは助かンだけど、ずっとおんぶにだっこってのも気マズいっつーか」
「そうよねぇ」
「わかってくれるっスか? 働いてカネ持ってる奴が新聞とか便所紙とか共同のモン買ってくれんスけど、無職でスカンピンの俺らは働いて返すしかねぇ」
クフシーンカが相槌を打つと、青年はここぞとばかりに捲し立てた。
「あっちに水汲み行って、台所と便所とゴミ捨て場掃除して、山へ薪採りン行って、メシ作ったらそれで一日終わって、料理教室は山へ行かねぇ日だけ行ってるんスよ」
「それじゃ、お仕事を探しに行く暇がないわね?」
「前は農家が忙しい時、あっち手伝いに行って野菜もらったりしてたんスけど、今は団地の人が手伝うから俺らいらねぇっつわれたんで」
ネミュス解放軍の襲撃で、団地地区も戦闘に巻き込まれ、個人商店やその雇い人を中心に失業者が出た。菓子屋の夫婦も店の再建費用を稼ぐ為、料理教室の講師などをする。
「ホントに大変ねぇ。あなたの他は、みなさん、お仕事なさってるの?」
「いや……隣のおっさんは火事で膝悪くなって、教会で針仕事して袋とかもらって来るっス。俺、おっさんの袋で薪運んだりとかして、それはそれで助かってんスけどね」
「あぁ、あの彼ね。縫製技術者として手縫いの腕前が随分上がったわ」
思いがけず、星道の職人の後継候補者に選んだ彼の住まいがわかり、クフシーンカは微笑んだ。
「後は病気のおっさんと、双子のチビがまだまだ手が掛かって他のコトできねぇおっさんちと、小学生のガキだけンちも二部屋あるっス」
「まぁ……」
予想以上に深刻な状況で、クフシーンカの胃が痛む。この棟にはもっと行政の支援が必要だが、住民自身には、その発想すらないようだ。
「それでは、この仮設で共同の家事ができるのは、あなた一人なのね? それは大変だわ」
青年は涙を溜めて唇を噛んだ。
☆菓子屋の夫婦も店の再建費用を稼ぐ為、料理教室の講師など……「1453.仮設工場計画」「1454.職場環境整備」「1573.中級の技術者」参照
☆隣のおっさんは火事で膝悪く/あの彼……「1573.中級の技術者」参照




