1578.炊事場の視察
戦乱や貧困によって、学習の機会を奪われて育った大人にとっては、教育や知識の価値すら、理解の範疇から出てしまう。
クフシーンカは、その格差に悲しみと憤りを覚えた。ひとつ深呼吸し、気持ちを落ち着かせて言う。
「知識と技術は、忘れない限りどこへでも持って行ける嵩張らない財産ですわ」
「財産? そんなの、考えたコトもなかったッスけど」
仮設住宅のこの棟の代表者が、驚きと困惑の入り混じる目で、老いた星道の職人を見る。
「半世紀の内乱やその後の混乱期で、学校へ行きそびれたみなさんは、その財産を手に入れる機会さえなかったのですよ。学校では無料で教えてもらえるけれど、その知識を理解し、覚え、きちんと活用できるかは、その人次第……」
「それと、もう色々持ってる学生連中にカネ払うのと、どう関係あるんです?」
学びそびれた中年男性が、持たざる者が持つ者に支払う理不尽を批難する。
「学ぶ努力と教える技術への対価ですわ」
「何ですかい? そいつぁ?」
「学ぶ機会は、無料で与えられますけれど、与えられた知識を自分の財産として身につけるには、努力が必要ですの」
「努力……まぁ、俺もちったぁ学校へ行った身だ。試験のあれこれがそうなんでしょうなってなぁ、わかりやすがね」
代表者が上目遣いに新聞屋を窺う。新聞屋は何事か手帳に書きつけ、気付かぬフリだ。星道の職人クフシーンカは話を続ける。
「それから、学校の先生が独立した職業として存在して、役所がお給金を払うのは、自分が持つ知識や技術を他人に教えるには、自分自身が覚えるのとは別の技術が必要だからなのですよ」
「別の技術……?」
ピンとこない顔で、星道の職人を見詰める。
「例えば、新聞を読み聞かせてもらったあなたが、その記事を読んだことのない人へ、きちんとわかるように伝えるだけでも、案外難しいものなのですよ」
「う~ん……まぁ、司祭様が学生さんに出して下さるんでしたら、俺はまぁ」
今はまだ、実感を伴った理解には及ばずとも、やむを得まい。
「では、大人向けの読み書き教室の話がまとまりましたら、お知らせしますね」
「へぇ、こりゃどうも、わざわざご丁寧に有難うございやす」
仮設住宅のこの棟の代表者は、神妙な顔で小さく頭を下げた。
クフシーンカは、忘れない内に手帳へ控える。
「それから、炊事場を少し見せていただいてもよろしいかしら?」
「見て、どうすンです?」
代表者の顔にありありと警戒の色が浮かぶ。また、支払いの話が出ると思ったらしい。
「使い勝手の良し悪しや、何か不足する物はないかとか……それも、色々な人に相談しようと思うのだけれど」
「こりゃどうも、ありがとうございやす。ちょっと、女の人呼んで来やす」
中年男性は三軒隣の戸を叩いた。
「何だい? ごはんはまだだよ!」
「違うんだ。星道の職人さんが用があるっつってんだ」
年配の女性が手櫛で髪を整えながら出て来た。
「店長さん! 箒の件ではお世話になりまして」
「困った時はお互い様ですよ。いつも道のお掃除、有難うございます」
彼女は乱視で、裁縫はできなかった。
箒作りを覚えてからは毎日、この仮設住宅の共同ゴミ捨て場と周辺の歩道、東教会周辺を掃除するようになった。
物理的に清潔を保つだけではなく、霊的にも清められ、雑妖が発生し難くなる。キルクルス教の信仰上も「心掛けの護り」として推奨される活動だ。
年配の女性は誇らしげに胸を張り、クフシーンカたちを仮設住宅の共同炊事場へ案内した。代表者の中年男性もついて来る。
各仮設住宅の敷地は、低いブロック塀で囲まれる。
最も日当たりのいい場所には、物干し台が置かれ、洗濯物がはためく。その傍には、発泡スチロールの箱をプランター代わりにした家庭菜園もあるが、黒々とした土が見えるだけで、まだ作物はない。
日当たりの悪い隅にゴミ捨て場と、共同トイレが男女別で並び、共同台所はその反対側の隅にあった。
コンクリートブロックで囲んだ上にトタン板を乗せ、ブロックで重しをしただけの簡素な小屋で、戸はない。両手を広げた大人が二人並んだくらいの幅だ。
左手には、ブロックを積んだ上に板を渡した調理台。その下はちょっとした棚で、上段には鍋やフライパン、俎板などの調理器具が置かれ、下段には水汲み用の二十リットル入りポリタンクがきちんと片付けてある。
右手側は、ブロックを積んで金属の棒を渡した簡易式の竈だ。
金属棒は横に五本並べ、左右の端を縦に渡した棒に針金で括りつけてある。針金の端は、重し用のコンクリートブロックに括ってあった。鍋などを比較的安定して置けそうだ。
竈部分はコンクリートブロックを積んだ上に粘土を塗ってあり、その下は薪置き場だった。
「私ゃ、山へ行くなんてもう怖くって懲り懲りなんで、薪採りは男の人に任せて料理だけしてるんですよ」
「この棟は、役割分担が上手くいってるんですのね?」
「う~ん……まぁ、不平を言い出せば、お互いキリがないんで、言いっこなしってコトに決まったんですよ」
年配の女性が代表者をチラリと見る。彼は肩を竦めてクフシーンカを見た。
「まぁ、今はあったかいスープとか何とか、そこらで採った草やら虫やら生で食うよりよっぽどイイモン食えるようになったんで、文句言っちゃ罰が当たるってモンです」
「虫もね、イナゴの翅と脚を毟って、炒って、塩漬けにすれば、安全に長持ちさせられるって、料理教室で教えていただいたんですよ。それで、この冬はそれで備えようってハナシになって」
調理担当の女性が、期待に瞳を輝かせる。
代表者の男性は、狭い簡易台所を見回して言った。
「まぁ、ここは鍵も何もねぇから、どこに置いとくかってのが、まだ決まンねぇんスけどね」
「一家にひとつ、保存用の容器と塩が行き渡るか、相談してみますね」
「いいんですかい? そんなコトまで?」
代表者が恐縮する。
「叶うかどうか、わからないけれど、役所や工場に相談はしてみますね」
仮設住宅の住民は、期待半分、諦め半分の顔で頷いた。
☆箒の件……「294.弱者救済事業」参照
☆いつも道のお掃除……「895.逃げ惑う群衆」参照
☆キルクルス教の信仰上も「心掛けの護り」……「0069.心掛けの護り」「764.ルフスの街並」参照
☆山へ行くなんてもう怖くって懲り懲り……「906.魔獣の犠牲者」参照




