1576.消息を明かす
「それでは明後日、今頃の時間、ここへお集まりください」
ウェンツス司祭が応接室の扉を開ける。
星道の職人の後継候補として呼ばれた者たちは、普通の縫製技術書を抱え、神妙な顔で礼拝堂に戻った。
新聞屋の店主が戸を閉め、袋から大判の紙束を取り出す。
「例の人たちに必要な部分を複写していただきましたの」
星道の職人クフシーンカが新聞屋を視線で促す。
司祭は、新聞屋が差し出す紙束を受取った。星道の職人用の聖典の内、聖職者の衣と祭衣裳の型紙、刺繍の図柄とその意味が記されたページだ。
「では、あなたの聖典は今……」
「サロートカが、アミトスチグマの夏の都で持っております」
「無事なのですね? 急に姿を見なくなったものですから、てっきり……」
尼僧が皺を一層深くして、顔を綻ばせる。
リストヴァー自治区では、行方不明者の発生が日常茶飯事だ。
後で遺体が一部でもみつかれば葬儀を行い、聖職者の知るところとなる。だが、そうでなければ、いつまでも行方不明扱い。東教区では、警察の行方不明者捜索が、滅多に行われなかった。
「お知らせが遅くなりましてすみません。サロートカは、アミエーラと一緒に難民キャンプの支援活動に携わっているそうです」
「アミエーラも無事だったのですか」
尼僧が喜びと驚きで顔をくしゃくしゃにする。
「はい。あの娘は大火の後、食べ物などを持たせて山へ逃がしました」
「何故、そのような危険を……」
司祭が訝る。彼には行方を知らせてあったが、詳しい話はしなかった。
当時のクブルム街道は土砂と落葉で埋もれ、女子供の足で安全に行くのは極めて困難だ。また、山地には、湖岸沿いより多くの雑妖や魔物、魔獣が棲息する。
ウェンツス司祭の眼には、何故、あんな危険な場所へ若い娘をたった一人で行かせたのかと、批難の色がありありと浮かぶ。
「あの娘の祖母フリザンテーマは、【歌う鷦鷯】学派の術者でした」
尼僧が息を呑む。
「大火の後、フリザンテーマから預かっていた魔法の品をアミエーラに渡しましたら、あの娘も、力ある民だとわかったのです」
尼僧と新聞屋の目が驚きに見開かれる。
「遺された品は、【魔除け】の護符など、すべて身を守るものでした。フリザンテーマの姉は長命人種なので、私の知る限り最新の住所を渡して、大伯母を訪ねなさいと」
「その方は、ご存命なのですか?」
尼僧の緊張は解けない。
「私がここへ移住する直前までは知っておりますが、その後は……」
「何と無謀な……今は……アミトスチグマ、ですか? 何故そんな遠くへ?」
隣国とは言え、ラキュス湖を隔て、ラクリマリス王国による湖上封鎖もある。
「市民病院のセンセイが教えて下さいました。王都ラクリマリスで無事に大伯母と会えたそうです」
「あの呪医が、わざわざあなたにアミエーラの消息を知らせに来たのですか?」
「まさか。例の撮影のついでに手紙も届けて下さったのです。ゾーラタ区で山を降りたら、親切な人が助けて下さったそうで、その後、トラックで避難する方々と一緒にラクリマリス領へ移動したとありました」
「あ……あぁ……そうでしたか」
撮影の件は、ウェンツス司祭から聞いたらしい。尼僧は数度、深呼吸を繰り返して動揺を鎮めた。
「では、サロートカはいつ、自治区を出たのですか?」
「ネミュス解放軍が来る何カ月も前、冬仕度の頃です」
「古新聞くれって奴らが教会へ来た日なんですけどね」
新聞屋に言われ、尼僧はすぐに頷いて彼を見詰める。ウェンツス司祭は一呼吸置いて、こくりと頷いた。
「薪採りの連中が、歩きでラクリマリス領へ降りるセンセイと鉢合わせして、怪我人を治してくれって頼み込んだんですよ」
尼僧は新聞屋をまじまじと見て、クフシーンカに視線を移す。
「魔法でも、知らない所へは行けないそうで……その時は、本当に偶然だったのです」
「聞きつけた怪我人がどんどん街道へ上がって来て、センセイはみんな治してくれたんですがね、日が暮れちまったんで、店長さんがお礼にって泊めたんですよ」
「星の標に知られると、何をされるかわかりませんので」
「え、えぇ、それは仕方がありませんので、秘密にされたコトをとやかく言うつもりはありませんが、それで何故、サロートカがあなたの聖典を持ってアミトスチグマに行くのです?」
尼僧の疑問は尤もだ。
針子見習いの少女は、大火で天涯孤独の身となった。リストヴァー自治区で生まれ育って他を知らず、そもそも、アミトスチグマ王国の存在さえ知らなかったかもしれない。
しかも、ネモラリス共和国の法律では、自治区民が区外へ出ることも、他地域の者が自治区へ立入ることも、当局の許可なしでは処罰の対象だ。
「センセイから聖典のこの箇所の説明を聞いて、本当の信仰を知る旅に出たいと言って、お願いして連れ出していただいたのです。聖典は、私が持たせました」
尼僧は問わず、静かに頷いて、胸の前で聖なる星の道を表す楕円を描いた。
アミエーラは力ある民であるとわかり、リストヴァー自治区には戻れない。
サロートカも、魔哮砲戦争の行方次第では、二度とネーニア島の土を踏めないかもしれない。アミトスチグマ王国でいい人と出会い、信仰を捨てて異国の地に根を下ろすかもしれないが、どんな選択をしようとも、彼女の自由だ。
「教えて下さってありがとうございます。アミエーラとサロートカの行く道を知の灯が明るく照らしますように」
尼僧はもう一度、聖印を切った。
ウェンツス司祭には、断片的に伝えてあったが、彼も納得した顔で頷く。
「では、二人とも、聖典のこの部分が魔法であることを知ったのですね」
「はい。アミエーラは【編む葦切】学派と【歌う鷦鷯】学派、両方を勉強中で、どちらを正式に修行するか決め兼ねているそうです」
「喩え信仰が変わっても、元気でいてくれれば、充分です」
一歩間違えれば、二人の人生を奪った可能性のある決断だ。
クフシーンカは、二人の無事を祈る尼僧の姿に己の罪深さを噛みしめた。
☆あの娘は大火の後、食べ物などを持たせて山へ……「0081.製品引き渡し」「0099.山中の魔除け」「0100.慣れない山道」参照
☆あの娘の祖母フリザンテーマ/預かっていた魔法の品……「0090.恵まれた境遇」「0091.魔除けの護符」参照
☆例の撮影……「887.自治区に跳ぶ」~「891.久し振りの人」参照
☆手紙も届けて下さった……「889.失われた平和」参照
☆ゾーラタ区で山を降りたら、親切な人が助けて……「0149.坂を駆け下る」「0153.畑の道を行く」「0160.見知らぬ部屋」参照
☆トラックで避難する方々と一緒に……「0186.河越しの応答」「0187.知人との再会」参照
☆薪採りの連中が、歩きでラクリマリス領へ降りるセンセイと鉢合わせ……「550.山道の出会い」「552.古新聞を乞う」参照
☆聞きつけた怪我人がどんどん街道へ……「553.旧街道の行列」~「562.遠回りな連絡」参照
☆当局の許可なしでは処罰の対象……「0118.ひとりぼっち」「0168.図書館で勉強」参照
☆センセイから聖典のこの箇所の説明を聞いて(中略)聖典は、私が持たせました……「582.命懸けの決意」「583.二人の旅立ち」参照
☆アミエーラは【編む葦切】学派と【歌う鷦鷯】学派、両方を勉強中……「871.魔法の修行中」「1450.置かれた手紙」参照




