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すべて ひとしい ひとつの花  作者: 髙津 央
第五十一章 人作

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1614/3514

1573.中級の技術者

 菓子屋には、学生に対する報酬用の製菓材料を先渡しした。手間賃の支払いは、学生からの訳文が出揃った後と取り決め済みだ。

 〆切を三月末までと言ったが、遅くなるようなら、彼が催促してくれるだろう。


 東教区に新設された仮設の食品工場は今日、設置済み機械の整備が始まった。

 菓子屋とパン屋、製麺所の合同工場は、幾つか販路を開拓したが、まだ始まってもいない。実際、どの程度の利益を手にできるか、先が読めない状態だ。

 それでも、戦闘で店舗を失った彼らは、再び仕事ができるようになり、毎日、活き活きと料理教室の講師などとして働いて、本格稼働の日を待つ。


 ……若ければ、まだまだ何度でも、やり直しがきくのよ。


 そろそろ百に手が届く高齢の身となっては、もう自分自身の為だけに何かをする気力が湧かなかった。

 だが、不思議なもので、若者たちがよりよい明日を作れるよう、手助けするのは苦にならず、幾らでも動ける気さえする。

 実際の我が身は、老いに削られ、誰かの手を借りねば、歩くことさえままならない。それにも拘らず、彼らの行く末を見守りたいなどと欲まで出てくるのだ。


 ……私も、子供たちや……孫が一人でも生き残っていれば、違ったのかしらね。



 翌日は、新聞屋の車で東教会へ行った。

 こちらのウェンツス司祭には、大学生に「冒険者カクタケア」シリーズの共通語訳を依頼した件を知らせてある。


 クフシーンカは、いつこの世を去ってもいいよう、たくさんの引継書を用意し、適任と思われる人物に頼んで回った。

 小説の翻訳は、菓子屋の亭主とウェンツス司祭に引継いだ。菓子屋と新聞屋の一家は、緑髪の運び屋フィアールカと面識がある。クフシーンカが居なくなったとしても、何とかしてくれるだろう。



 教会や小中学校の空き教室で開講した裁縫と編み物の教室は、受講生の中から何人も上達者が現れ、今では初心者に教えられる程だ。

 先週、尼僧から、指導役を買って出た中級者の名簿を受取った。

 まだ、自力で型紙を起こせず、複雑な刺繍もできないが、それでも、この中程度の上達者たちのお陰で、クフシーンカが不在の日も教室が上手く回る。翻訳など、他のことに時間を割けるようになったのが、有難かった。



 今日は祝日で、いつもより人が多い。

 教わる者の中には、中学生や、小学校高学年くらいの子供の姿もあった。

 「あッ! 店長さん!」

 「お久し振りです」

 「先生、おはようございます」

 気付いた者たちが次々と声を掛け、他の者たちも顔を上げた。


 「おはようございます。お休みの日にもよく頑張ってらして、みなさん素晴らしいですわ」

 星道の職人クフシーンカに褒められ、三分の一くらいがはにかんだが、残りはすぐ自分の作業に戻り、数人が応えた。

 「学校がお休みの日じゃないと、習いに来られないんで……」

 「早いとこ手に職つけて、ちょっとでも生活費を稼ぎたいんだよ」

 「入試なしでイチから教えてもらえるのって、ホント助かってます」



 東教区の失業率は予想以上に深刻だ。だが、今のクフシーンカには、新しい支援事業を起ち上げる余力がない。少数の飲食店が営業を再開し、それに伴う雇用も生まれたが、自治区全体からしてみれば、微々たるものだ。


 菓子屋たちが運営する共同の食品工場が本格的に稼働すれば、新たな雇用の受け皿になる。菓子屋の夫婦は、料理教室の講師をする(かたわ)ら、見込みのありそうな受講生に声を掛けると言ったが、採用は進んだだろうか。



 「編み物とお裁縫は、直接のお仕事には結びつかなくても、技術さえしっかり身につければ、自分や家族の防寒具、袋や座布団と言った暮らしに役立つものが、作れるようになりますからね」

 「材料は寄付のを分けてもらえますし、買うより安くていいですよね」

 「毛糸は(ほど)けば作り直せるし」

 「司祭様たちは奥かい?」

 荷物を抱えた新聞屋の店主が、話をやんわり打ち切った。

 「うん。司祭様は奥に居るよ」

 「御寮人(おりょうにん)様は、倉庫に毛糸を取りに行ってて……」

 「おっ、噂をすれば何とやらだ」


 丁度、老いた尼僧と、段ボール箱を抱えた少年が、大扉から戻って来るのが見えた。

 「ありがとうね。はい、これはお駄賃」

 尼僧は、説教壇の隣に段ボール箱を置いた小さな手に飴玉を数個握らせた。少年は元気よく礼を言い、礼拝堂から駆けてゆく。


 「御寮人(おりょうにん)様、それから、いつも私の代わりに教えて下さっているみなさん、ごめんなさいだけれど、奥で少し話をさせて下さいな」

 クフシーンカが七人の名を呼ぶ。今日は七人全員が居合わせ、怪訝な顔をしながらも、作業を中断してついて来た。

 新聞屋の店主は、応接室の入口に重い荷物を置くと、奥の執務室へ司祭を呼びに行った。


 みんな何となくそわそわ落ち着かない顔で、質素な室内を見回し、誰もソファに腰を下ろそうとしない。

 聖職者用の分厚い聖典を抱えた司祭が姿を見せ、新聞屋の店主が応接室の戸を閉めると、託児所代わりの集会室から漏れる子供らの声が聞こえなくなった。



 ウェンツス司祭、高齢の尼僧とクフシーンカ、新聞屋、それに編み物や裁縫の中級者が七人。椅子が足りず、みんな遠慮して立ったままだ。

 尼僧が、一同を見回して話し始めた。

 「ご覧の通り、私と、こちらの縫製を(つかさど)る星道の職人クフシーンカさんは、高齢です」

 「自治区には、星道記の縫製分野を修めた者が、もう私たち二人しか居ないんですの」

 クフシーンカの説明に息を呑む音が重なった。


 「冬の大火と解放軍の襲撃で、夏祭りの衣裳が大分焼けてしまいました」

 「ですが、私たちに残された時間は、弟子を取る猶予が(ほとん)どないのです」


 尼僧が育てた弟子は、大火とネミュス解放軍の襲撃で亡くなり、クフシーンカの弟子アミエーラとサロートカは、密かに自治区から旅に出た。


 「あなた方は、私たちの跡を継ぐに相応しい方々だと思います」

 「もし、よろしければ、聖典の深い部分を学んで下さいませんか?」

 尼僧が問うと、七人の男女は、驚きと戸惑いに満ちた目で二人の老女を見詰め、東教区の司祭を見た。

☆東教区に新設された仮設の食品工場……「1453.仮設工場計画」参照

☆幾つか販路を開拓……「1454.職場環境整備」「1491.連鎖する幸せ」参照

☆菓子屋と新聞屋の一家は、緑髪の運び屋フィアールカと面識がある……「913.分配と心配と」「0940.事後処理開始」参照

☆少数の飲食店が営業を再開し、それに伴う雇用も生まれた……「1491.連鎖する幸せ」参照

☆菓子屋の夫婦は、料理教室の講師……「1452.頭の痛い支払」「1454.職場環境整備」参照

☆冬の大火……「0054.自治区の災厄」「0055.山積みの号外」「0212.自治区の様子」~「0214.老いた姉と弟」参照

☆解放軍の襲撃……「893.動きだす作戦」~「906.魔獣の犠牲者」「916.解放軍の将軍」~「918.主戦場の被害」参照


 挿絵(By みてみん)

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野茨の環シリーズ 設定資料
シリーズ共通設定の用語解説から「すべて ひとしい ひとつの花」関連の部分を抜粋。
用語解説01.基本☆人種など、この世界の基本
用語解説02.魔物魔物の種類など
用語解説05.魔法☆この世界での魔法の仕組みなど
用語解説06.組合魔法使いの互助組織の説明
用語解説07.学派【思考する梟】など、術の系統の説明
用語解説15.呪歌魔法の歌の仕組みなど
用語解説11.呪符呪符の説明など
用語解説10.薬品魔法薬の説明など
用語解説08.道具道具の説明など
用語解説09.武具武具の説明など
用語解説12.地方 ラキュス湖☆ラキュス湖周辺の地理など
用語解説13.地方 ラキュス湖南 印暦2191年☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の地図と説明
用語解説19.地方 ラキュス湖南 都市☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の都市と説明
地名の確認はここが便利
用語解説14.地方 ラキュス湖南 地理☆湖南地方の宗教や科学技術など
用語解説18.国々 アルトン・ガザ大陸☆アルトン・ガザ大陸の歴史など
用語解説20.宗教 フラクシヌス教ラキュス湖地方の土着宗教の説明。
用語解説21.宗教 キルクルス教世界中で信仰されるキルクルス教の説明。
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