1568.礼拝での問い
ジンクム教会は、ラニスタ共和国で最初に建立された最大の教会だ。
資金は、世界中の信徒から集めた寄付で、信仰を問わず、地元民を雇用して建築作業などに従事させた。
気前よく賃金を払い、ラキュス湖畔では全く異質な外来信仰の印象をよくする試みだ。
力ある民と湖の民に対しては、大して印象操作の効果が見られなかったが、力なき民からは次々と改宗者が現れた。
また、アルトン・ガザ大陸からもたらされた新しい建築技術なども学べた。
教会経由で技術書を入手する為に改宗する者や、販路拡大の為、教会へ共通語を学びに通う者も出る。教会では、昼休みの時間帯に十五分、休日は礼拝の後で一時間程度、信仰を問わない語学教室を開き、足を運ぶ者を増やした。
当時のラニスタ王家とフラクシヌス教団は、キルクルス教団の動きに反応を示さなかった。力なき民がどんなに祈りを捧げても、女神の【涙】である青琩の力にはならないからだ。
禁止すれば、却って、力なき民の反発を招く。
アルトン・ガザ大陸から来たキルクルス教の信仰は、燎原の火の如く、ラニスタ領内で暮らす力なき民に広がった。
昔も今も、ラニスタ人の大半は、力なき民だ。
伝来から二百数十年が経ち、すっかり暮らしに根を下ろした。
西隣の旧ラキュス・ラクリマリス共和国のような大きな争いはなく、比較的平和にフラクシヌス教との共存が続く。
ジンクム市は、段丘上に築かれたラニスタ共和国随一の大都市だ。
キルクルス教会の建立後、急速に繁栄し、首都アクシオーを凌ぐ大都市に発展した。ラキュス湖の畔にパニセア・ユニ・フローラ神殿、街全体を眺望できる丘の頂にジンクム教会が佇み、それぞれの信徒を静かに待つ。
動画は、丘から見下ろす風景と、湖畔から丘を見上げる街並で始まった。
カメラの視点が丘に近付き、ジンクム教会が大映しになる。開け放たれた大扉に「ジンクム教会」の文字が重なり、視点が内部に切替わる。
扉前から人が疎らな長椅子の列越しに説教壇を見る映像に、席が信徒で埋まった映像が重なり、司祭の説教が始まった。
別角度からの映像で、司祭の顔に視点が近付く。
顔立ちがハッキリわかる大きさで数秒停止し、「チェルニテース司祭」の文字が胸元に表示された。
画面が固定され、金髪の司祭の話が、当たり障りのない挨拶から、説教の本題に踏み込んだ。
「ラニスタ共和国は来年の五月、民主化二百周年を迎えるとお伺いしました」
バンクシア人のチェルニテース司祭は、ラニスタ共和国に派遣されて一年近く経つが、説教はまだ共通語だ。
ジンクム教会に集まった信徒は、語学が堪能なのだろう。会衆席は後ろ姿ばかりで、表情はわからないが、あちこちで首が縦に動いた。
「この地には、民主化の少し前、聖者様の教えが訪れました。歓迎はされなかったようですが、フラクシヌス教の聖職者や、魔法使いから迫害されず、受け容れられました。みなさん、これが何故か、お分かりでですか?」
一呼吸置いて、会衆席のあちこちでぱらぱら手が挙がった。
チェルニテース司祭はどうやら、一方的な説教ではなく、信徒に質問を投げ掛けて共に考える方針らしい。
司祭に回答を求められ、年配の女性が立ち上がって流暢な共通語で語る。
「フラクシヌス教が多神教で、他の信仰に寛容だからです」
「ご回答、有難うございます。そうですね。フラクシヌス教の教えでは、この世に生きる者は皆、仲間なのだそうです」
司祭に微笑を向けられ、答えた女性は、キルクルス教の祈りの詞を唱えて着席した。会衆席の者たちが頷き、拍手が起きる。
ラニスタでは国民の大部分がキルクルス教徒になり、何世代も重ねたが、ラキュス湖畔に暮らす者の常識として、フラクシヌス教の教義は押さえてあるらしい。
アーテル共和国と違い、身近に神殿があり、少数ながら、力ある民と交流があることも大きそうだ。
「翻って、私たちはどうでしょう? 異なる信仰や思想、国籍や出身地、社会階層、経済状況、年齢、性別、髪の色、そして、魔力の有無などで、私たちとは異なる人々を無意識に差別してはいないでしょうか?」
教養のある信徒たちは、誰一人として手を挙げない。
チェルニテース司祭は、もう一度、見回して続けた。
「差別と言う程ではなくても、個人の人格を無視した頭ごなしの拒絶や否定、負担の固定などを行ってはいないでしょうか?」
信徒たちが隣の者と囁きを交わし、礼拝堂に森の葉擦れのように広がった。
「先程、色々並べたものは、すべて、その人の一面を切り取った属性に過ぎません。例えば、貧富の差は、その人が善良であることや、人を思いやるあたたかな心を持つことには、関係ありません」
信徒たちは司祭に向き直って頷いた。
「貧しくとも、図書館などに通って自ら学ぶ人々は、知識と教養が豊かです。貧富の差と頭の善し悪しや、教養の有無も、無関係です」
パソコンの画面で、礼拝堂に詰め掛けた信徒が深く頷く。
ファーキルは、チェルニテース司祭に同意したラニスタ人に内心、首を傾げた。
頭に浮かんだのは、少年兵モーフの痩せて荒んだ顔だ。
リストヴァー自治区では、学費が全て無償だが、彼は事故で父を喪った後、生活費を稼ぐ為に働いて、小学校にもロクに通えなかった。
勿論、図書館に足を運ぶ機会などなかっただろう。
半世紀の内乱時代に生まれた親世代は、読み書きできない者が多い。彼の母親もそうで、労災事故の遺族に対する補償や、社会福祉制度の存在すら知らなかった。
救済制度があっても、知らなければ、利用できないのだ。
ジンクム教会に通う共通語に堪能な善男善女は、少年兵モーフのような極貧層の暮らしなど、想像もつかないだろう。
それとも、ラニスタ共和国には、リストヴァー自治区の東部バラック街のような極貧地区は、存在しないのだろうか。
バンクシア共和国の大聖堂から来た若きエリート司祭は、モーフのように貧困で学びの機会を奪われ、社会のどん底しか知らない者と、言葉を交わしたことがあるのだろうか。
ファーキルが疑問に思う間にも、動画は進む。
チェルニテース司祭は、会衆席をゆっくり見回して言った。
☆フラクシヌス教の教えでは、この世に生きる者は皆、仲間……「541.女神への祈り」参照
☆労災事故の遺族に対する補償や、社会福祉制度の存在……「1419.叶えたい願い」参照




