1560.複合的な視点
タイゲタが、ミニライブの告知などに使う印刷物の原稿を完成させ、出力見本を印刷する。
「アステローペちゃん、誤字とかないか見てくれる?」
「はーい!」
ファーキルの席を離れ、アステローペがプリンタに向かう。ネモラリス建設業協会の若者たちが、動画をDVDに焼きながら、鼻の下を伸ばして少女の動きを目で追った。
「ムリ言ってすみませーん。助かりましたー」
「いいよいいよ。パソコン、俺のじゃないし」
「ありがとうございます。場所決まったの先週で、大急ぎで案練ったんです」
「舞台で歌うだけじゃなくって、裏方の作業も自分でするって大変だよなぁ」
「大丈夫ですよ。みんな割と楽しんでるんで」
タイゲタに席を譲った若者は、もどかしげに曖昧な微笑を浮かべた。手伝える程には、まだパソコン操作が達者ではないらしい。
アステローペとサロートカが、予備の椅子に腰掛け、校正を始める。
ファーキルは、アステローペに言われた通り、まずBGMをラクエウス議員が弾く「すべて ひとしい ひとつの花」から、リャビーナ市民楽団が奏でる「神々の祝日の為の聖歌メドレー」に変更した。
三十分以上ある曲で、一周する前に動画が終わるかもしれない。
……そんな長いの、見てもらえるかな?
一分程度にまとめたダイジェスト版を作って、SNSではそちらを流した方がいいかもしれない。
フラクシヌス教の神話は是非、入れたい。ジェルヌィが折角、絵本の使用許諾を取りつけ、原画まで借りて来てくれたのだ。
テキストファイルに転記した絵本の文章は、後で改めて組み直すことにして、世界地図に入れた題字を変えた。
キルクルス教伝道の歴史
~アルトン・ガザ大陸からチヌカルクル・ノチウ大陸へ~
長いような気もするが、わかりやすさを優先した。
ラキュス湖畔地質学会の公式サイトを開き、フラクシヌス教の神話や伝承と関係ある部分をテキストにコピーする。
現在、世界最大の塩湖ラキュスがある場所は、印暦紀元前五千五百年頃までは、灌木が疎らに生える草原で、小さな泉が点在する乾燥地帯だった。
ラクリマリス考古学界の公式サイトによると、紀元前七千年頃の墳墓や住居跡などから、術で保護された粘土板が多数出土し、当時の暮らしや魔術の発展、信仰、出現した魔物や魔獣の種類が詳細にわかったらしい。
石板がないのは、加工が大変だからだろう。
……電子データは使ってる最中でも壊れるコトがあるのに。
当時の人々は、季節毎に農耕と遊牧を繰り返す半定住生活だった。
雨季には、周辺の山々から雨水が集まり、平野部に河川が幾条も出現するが、他の時期は、伏流水となって地表から姿を消す。
河川のある時期を挟む前後数カ月は定住し、ない時期には羊や牛馬と共に平野部から山裾の辺りまで、広大な地域を移動した。
印暦五千五百年頃、旱魃の龍と呼ばれるモノが出現し、草木が枯れ、雨季がなくなった。
地質学会によると、旧河道の堆積物などから、雨季の停止が数百年続いたと推測でき、古文書の記録を裏付けられると言う。
印暦五千年頃、唐突にこの一帯が水没した。
フラクシヌス教の成立は、ラキュス湖の出現直後だ。
ラキュス湖出現以降、季節は雨季乾季ではなく、春夏秋冬のはっきりした四季に変わり、植生や動物の分布も大きく変わる。
諸説ある各国の歴史を繙き、繋ぎ合せる。
印暦紀元前四千三百年頃、アルトン・ガザ大陸で大戦争が勃発した。戦いの中、魔法生物兵器として、三界の魔物が創り出される。
三界の魔物は早々に暴走し、開発した軍の手を離れた。
魔法文明を極め、大いに繁栄した国々があっけなく滅ぼされ、各国は戦争どころではなくなる。
三界の魔物に対抗する為、新しい術が次々と開発されたが、魔道士の殺傷を目的として開発された魔法生物には、歯が立たなかった。
新しい術と三界の魔物の衝突で、アルトン・ガザ大陸の地形が変わる程の力が加わっても、倒せない。
魔法生物であるが故、物理攻撃は無効。
三界の魔物最大の特徴は、存在の核を物質界・幽界・冥界の三界いずれかへと自在に移動させる能力だ。
物質界か幽界に置かれた存在の核を偶然、破壊できない限り、物質界にある肉体だけを破壊しても、数カ月で復元する。魔法の攻撃は、冥界までは届かない。
三界の魔物は増殖を繰り返し、各国が設置した結界を突破して、千年あまりで世界全域に拡散した。
開戦当時、中立だったディアファナンテ王国は、国民を総動員し、術で国土を隆起させた上、強力な結界を施した。
三界の魔物の侵入は阻止できたが、外界との交流も途絶。数千年もの間、世界史から姿を消し、現在まで存続する。
三界の魔物の群は、チヌカルクル・ノチウ大陸西部にも到達した。
当時、湖北地方で隆盛を極めたプラティフィラ帝国は、各家庭で主に口伝される術と、古代の粘土板に記された術を蒐集・調査・分類。分類毎に「学派」を立て、専門家を育成して深く研究する組織を創設した。
これが、現在も続く「霊性の翼団」の興りだ。
専門家の目印として徽章が作られ、わかりやすいよう、襟にピンで着けるなどの規則も作られた。
霊性の翼団の創設によって、粘土板の再調査や遺跡の発掘などが進み、魔術の研究が急速に発展する。組織は世界に広がり、三界の魔物の調査も進展した。
印暦紀元前千年頃、プラティフィラ帝国で、対三界の魔物兵器【退魔の魂】が開発された。
有効な武器を手にした人々が、三界の魔物を一体ずつ地道に仕留め、攻勢に転じる。最初に創造された最大の個体が、湖北地方に封印されるまで、千年の時を要した。
人間の戦争と、三界の魔物との戦いで、アルトン・ガザ大陸北部の魔法文明は潰え去り、土地の魔力も枯渇した。
発端となったアルトン・ガザ大陸北部で、生き残った人々の多くは、魔力を持たずに生まれた「力なき民」だ。
三界の魔物は、魔道士の殺傷を目的に開発された為、魔力を持たない人間は、攻撃対象から外された為だと推測される。
キルクルス教の成立後、アルトン・ガザ大陸北部の住民は、信仰に基づく「力ある民」への迫害によって、ほぼ「力なき民」一色に変わった。




