1559.気付かされる
ジェルヌィの本業は土木の専門家だ。
現在は難民キャンプ内で、住居や倉庫、診療所の入院病棟などを建てる為の整地作業で忙しい。動画の編集は、手隙の時にするオマケ作業なのだ。
気軽に聞くワケにもゆかず、ファーキルは慣れない作業で頭を悩ませる。
パソコンの部屋にタイゲタ、アステローペ、サロートカが姿を見せた。
「あ、パソコン全部、塞がってるんですね」
「あー、待って待って!」
「何? 何? 急ぎ?」
少女三人は出直そうと背を向けたが、ネモラリス建設業協会の若者たちが、腰を浮かせて呼び止める。
「七月のミニライブ用のフライヤーとパンフレットの原稿、今週中って言われたんです」
「あ、あの、私は、インターネットで、型紙を無料で印刷させていただけるって聞いて」
「でも、みなさん今、お忙しいですよね?」
タイゲタとサロートカが振り向いて答え、アステローペが上目遣いで聞く。
「君たちの動画、DVDに入れる作業なんだ」
「配布はまだ先だし、一台や二台代わったってすぐ追いつけるさ」
「検索して印刷すんのなんてすぐだろ?」
「やり方わかんなかったら、教えたげる」
扉前の人口密度が一気に上がる。むさ苦しい人垣の隙間から、針子の困惑した顔が見えた。
「サロートカさん、検索と印刷なら、タブレット端末でもできますよ」
ファーキルが声を掛けると、扉前の者たちが一斉にこちらを向いた。
「何の型紙ですか?」
青年たちの険しい顔を見なかったことにして聞くと、ホッとした答えが返る。
「マスクです」
「マスク? どんなのですか?」
「難民キャンプの診療所用です。医療用の使い捨てが全然足りなくて……」
「あっ……」
「布だったら洗濯してまた使えるし、ないよりマシかもって話が出たんです」
「キャンプ内のお仕事も、“マスク作り”って言うのが新しくできますし」
針子のサロートカがすらすら答え、アステローペが、縫い物の身振りを交えて言う。両腕の間で豊満な胸がたぷんと揺れ、建設業協会員たちの視線が釘付けになった。ファーキルは思いもよらなかったことを言われ、申し訳なさでそれどころではない。
……薬に気を取られて、そう言うの、全く考えもしなかった。
難民キャンプにマスクなどの衛生用品が充分あれば、防げた病気もあったかもしれない。
震える指で端末をつつき、「マスク 型紙 無料ダウンロード」で検索した。
「マスクって、こんないっぱい種類あったんですね。どれがいいのかな?」
人垣をするりと抜け出し、サロートカがファーキルの手許を覗く。建築家も一人来て指差した。
「この、フィルタポケット付きってのがよさそうだ」
「どうしてですか?」
針子のサロートカが見上げて聞くと、若い建築家は目尻を下げて答えた。
「ちょっとくらい布の目が粗くても、キッチンペーパーか何かをフィルタにすれば、布単体より守備力上がるからさ」
「安いから、大量に仕入れられますけど、そんなのでいいんですか?」
ファーキルが驚くと、建築家は力強く頷いた。
「ちょっと息苦しいけどな。勿論、手術室用の規格とか、現場用の防塵マスクには届かないけど、布だけよりはずっといい」
「手術って言っても、魔法だから大丈夫ですよね」
ファーキルと一緒にサロートカも頷く。
「何年か前、カイラーの工場地帯の現場に行った時、地元の大工さんに教えてもらったんだ」
「何があったんです?」
「防塵マスクが要る現場じゃなかったけど、工場の煙やら国道の排気ガスやら酷くてな。言われた通り、キッチンペーパー折り畳んでマスクに挟んだら、鼻かんだ時の黒さが大分マシになったから、間違いない」
……ネモラリスにも、そんな空気悪いとこあるのか。
大気汚染も、魔法で何とかできると思ったが、そうでもないらしいのが意外だ。
ファーキルは驚きを隠し、納得した顔で頷いた。ダウンロードしたマスクのデータをクラウドに上げ、型紙と作り方の説明書を印刷する。
タイゲタたちの方は、どの席を使うか男性陣がじゃんけんで勝負し、ファーキルの向かいに決まった。敗者が渋々作業に戻る。
「ありがとうございます。書くコト決まってるんで、すぐ済ませますね」
アステローペが愛想いい笑顔で言い、タイゲタはいつの間に練習したのか、かなりの速度でパソコンを操作し始めた。
印刷を待つサロートカが、ファーキルのパソコンを見て首を傾げる。
「歴史のお勉強ですか?」
「うん。共通語圏のキルクルス教徒って、ラキュス湖周辺地域のコト、何も知らないよね?」
「まぁ、そうでしょうね」
「なのに、アーテルが発表した一方的な情報だけ見て、ワーワー言う人が多いから、少しでも知ってもらえたらマシかなって」
アステローペが作業机を回り込み、サロートカの隣に並んで画面を覗く。
「あー、それでずっとラクエウス先生の竪琴……ん? 神話だったら、『神々の祝日の為の聖歌メドレー』の方がよくない?」
「えっ?」
「それと、キルクルス教徒向けだったら、フラクシヌス教の神話とか、見てもらえないかも」
「えっ?」
次々指摘され、思考が追いつかない。
「他所の神話とかに興味ある人は、とっくに見てたでしょうけど、そう言う人って少ないし」
「あっ……あぁ……どうすればいいと思います?」
難民キャンプの衛生用品も、閲覧者の想定も、一人では気付かなかった。
……プロの修行してた人や、若くてもその道のプロって、やっぱスゴいんだな。
「うーん……そうねぇ……」
アイドル歌手のアステローペが、眉間に皺を寄せて考える。
彼女ら平和の花束は、前身の瞬く星っ娘時代も含め、プロモーションビデオなどへの出演経験が豊富だ。
「ラキュス湖南地方への伝道の歴史! ……みたいな切り口って、どうかな?」
私は何年掛かっても
この地からキルクルス教を取り除く為に
ひとつの花の御紋を返上したのよ
そう言った運び屋フィアールカの顔が脳裡を過り、ファーキルは何も言えなかった。
アステローペは、ファーキルと針子のサロートカを見て続ける。
「お医者のセンセイって、何百年も生きてて、キルクルス教がこの辺に伝わった時のコト、憶えてるんでしょ?」
「前に少しだけ、教えてもらいました」
「当時のコトと内乱時代のコト、詳しく教えてもらって、聖典からズレて歪んだ教えのせいで、この辺の歴史が荒れましたー……みたいな?」
「ちゃんとした教えを受けた人たちの良心に訴え掛けるってコト?」
「そうそう。流石サロートカちゃん!」
褒められた針子がはにかむ。
ファーキルは目から鱗が落ちた心地で、アステローペを見た。
☆防げた病気もあったかもしれない……「1496.分かれる専門」参照
☆神々の祝日の為の聖歌メドレー……「295.潜伏する議員」「310.古い曲の記憶」参照
☆運び屋フィアールカの顔……「588.掌で踊る手駒」参照
☆前に少しだけ、教えてもらいました……「370.時代の空気が」「371.真の敵を探す」参照




