1556.少年兵の信仰
「た、隊長もおっさんも、それでいいのかよッ!」
少年兵モーフは、裏返った声が他人の声に聞こえた。
ソルニャーク隊長とメドヴェージは、難しい顔をするだけで答えてくれない。
「湖上に雲立ち雨注ぎ、大地を潤す。
木々は緑に麦実り、地を巡る河は湖へと還る。
すべて ひとしい ひとつの水よ。
身の内に水抱く者みな、日の輪の下にすべて ひとしい 水の同胞。
水の命、水の加護、水が結ぶ全ての縁。
我らすべて ひとしい ひとつの水の子。
水の縁巡り、守り給え、幸い給え」
薬師のねーちゃんが謳うように祈りの詞を唱え、モーフにやさしく声を掛けた。
「フラクシヌス教は、この世の生き物なら誰でも受け容れるから、異教徒でも、お参りを断られる心配はないのよ」
……いや、俺が心配してんの、そっちじゃなくて。
ポケットの中で、聖なる星の道の腕章を握りしめる。
父が健在だった頃、一度だけ、祖母も入れて一家五人揃って、教会へ行った。
歩けない姉を父がおんぶしてまで行ったのは、後にも先にも、あの時だけだ。
幼いモーフが、信仰の誓いをする日だった。何をしたかは忘れたが、司祭様がくれた星型の砂糖菓子の味は、うっすら思い出せた。
あの日、一般信者用の薄い聖典をもらったのだ。
リストヴァー自治区で生まれ、キルクルス教以外の信仰を知らずに生きて来た。
時々耳に入るフラクシヌス教は、得体のしれない異教で「魔法使いが信仰する邪教」だ。キルクルス教徒を狭い自治区に押し込む弾圧者で、倒すべき敵だった。
フラクシヌス教徒は、自治区のあらゆる不幸の源だ。
モーフは父を喪ってしばらく経ったある日、工場の下働きをやめた。星の道義勇軍の厳しい訓練に耐え、無力な貧者から、戦う力を持つ少年兵となった。
ゼルノー市襲撃作戦では、一人でも多くの邪悪な魔法使い、邪教徒を殺せば、自治区で苦しむみんなが、少しでも幸せに近付けると信じて戦った。
そこで、魔法使いも、フラクシヌス教徒も、自分たちと同じ血の通った人間だと知る。
自治区での教えが嘘だとわかり、足下が崩れ去るような感覚に襲われた。
モーフが聖なる星の道を見失いそうな時でも、ソルニャーク隊長は、いつも揺るぎなく導いてくれる。
隊長は、フラクシヌス教徒や魔法使いと行動を共にしても、魔法の道具を使っても、魔法使いの街で過ごしても、決して聖者キルクルスの教えを見失わない。
隊長について行けば、何もかも間違いなかったのだ。
少年兵モーフは、生まれて初めて入った本屋で「すべて ひとしい ひとつ花」の絵本を手にした。叱られると思ったが、ソルニャーク隊長は、咎めるどころか異教の神話が書かれた本を買ってくれた。
……まさか、隊長は俺たちを改宗させようとしてたってのか?
そう言えば、DJの兄貴が、モーフに神話の絵本を読み聞かせた時も、隊長は止めなかった。
メドヴェージのおっさんは、DJの兄貴に話を合わせて笑ったが、もう改宗済みだったのだろうか。
ピナたちと寝食を共にするようになって、フラクシヌス教が邪教ではないと理解できた。
だが、理解と改宗は別の話だ。
ラジオのおっちゃんたちに身元を明かした時も、モーフたちは「リストヴァー自治区のキルクルス教徒」で、「信仰を偽って自治区の外で暮らす隠れキルクルス教徒」ではなかった。
ピナが信仰するくらいだから、フラクシヌス教はきっとイイものなのだろう。
だが、それと改宗は別の話だ。
……大体、聖典もなんもなしで、何で木とか湖とか信心できンだ?
ランテルナ島の拠点に居た頃、ピナたちは力なき陸の民だから、アーテル本土へ渡ってキルクルス教に改宗すれば、安心して暮らせるようになると思った。
逆に、モーフたちがフラクシヌス教に改宗して、空襲被害の少ないネモラリス島へ渡ることなど、夢にも思わなかった。
……俺は魔力なんかねぇ。なのに何で、改宗しなきゃなんねぇンだよ。
自治区に居た頃、何かと親切にしてくれた近所のねーちゃんアミエーラは、力ある民だとわかって、今はアミトスチグマ王国で魔女になる修行中だ。
改宗したか、聞かなかった。
家に居た頃は、行ける日はなるべく教会に行って、礼拝に参加した。
聖典の話は難しくてよくわからなかったが、尼僧が皺くちゃの手でくれる飴玉が欲しくて通ったのだ。尼僧は、モーフの姉が足が不自由で来られないと知ってからは、みんなには内緒で、時々二個くれるようになった。
キルクルス教は、魔力を穢れた力と呼び、魔術を悪しき業と定める。全部の魔法がダメなワケではなく、聖典にはイイ魔法が載るらしいが、魔女になったねーちゃんは、大抵の教会から締め出されるだろう。
バンクシア共和国の大聖堂から自治区に来た司祭様は、「力ある民でも、キルクルス教を信仰できる」と言ったらしい。
ねーちゃんは、あの報告書を読んだだろうか。
モーフは、思考があちこちに飛んで、全くまとまらず、言葉が出なかった。
ゼルノー市襲撃作戦で検問所を破壊し、リストヴァー自治区から出た時、信仰の為なら死んでもいいと思った。
出撃前、隊長は「自爆攻撃をするな」と隊員みんなに釘を刺した。
……俺たちは、星の標なんかとは違うんだ。なのに、何で……隊長!
少年兵モーフは、溢れそうな涙を堪え、ソルニャーク隊長を見た。
「モーフ、交換品で【魔力の水晶】を渡された時、いつもどうしていた?」
「え? 物販っスか? えっと……受取って失くさねぇ内に袋へ片付けるっス」
「私はウーガリ山脈の南西端に近い村で生まれ、幼い頃は異教徒の子と遊んだ」
隊長の話が急に変わって、頭の中で繋がらない。
モーフの戸惑いに構わず、思い出話が続く。
「街から近かったが、森にも近かった為、村の外では遊べず、村の中……主に岩山の神スツラーシの神殿が遊び場だった」
「神殿……行ったコト、あるんスか」
呆然とするモーフの口から言葉が漏れたが、それだけだ。何も考えられない。
隊長の視線を受け、ラゾールニクが言う。
「俺とセプテントリオー呪医は、自治区の教会に入ったけど、司祭様に怒らンなかったよ」
……だから、何だってんだよ?
「俺はあの時、説教壇で聖職者用の聖典開いて、教会の建物を頑丈にするお祈りのページを読み上げたけど、別に改宗したワケじゃない」
その話は、前に聞いた気がする。あの時は、隊長とDJの兄貴が無事に戻ったのが嬉しくて、他はどうでもよかった。
ラゾールニクの顔には、いつものニヤけた笑いがなく、嘘や冗談を言うようには見えなかった。
「俺は、フラクシヌス教徒のまま聖典を読んだけど、ちゃんと自治区の人たちを守れたよ」
ラゾールニクが何を言いたいかわからず、答えを求めて隊長を見た。
「モーフ、まだ時間はある。明日の朝まで自分で考えてみろ」
「考える……?」
何について、どう考えればいいかわからず、頭を抱えた。
☆聖なる星の道の腕章……「0013.星の道義勇軍」「0076.星の道の腕章」参照
☆信仰の誓い……幼児「592.これからの事」、改宗時にもする「1100.議員への質問」参照
☆ゼルノー市襲撃作戦……「0013.星の道義勇軍」参照
☆自分たちと同じ血の通った人間だと知る……「0046.人心が荒れる」「0053.初めてのこと」参照
☆生まれて初めて入った本屋で「すべて ひとしい ひとつ花」の絵本……「647.初めての本屋」参照
☆モーフに神話の絵本を読み聞かせた時……「671.読み聞かせる」参照
☆ラジオのおっちゃんたちに身元を明かした時……「791.密やかな布教」~「793.信仰を明かす」参照
☆ランテルナ島の拠点に居た頃(中略)改宗すれば、安心して暮らせるようになると思った……「343.命を賭す願い」参照
☆アミトスチグマ王国で魔女になる修行中……「804.歌う心の準備」「871.魔法の修行中」「872.流れを感じる」参照
☆全部の魔法がダメなワケではなく、聖典にはイイ魔法が載る……「703.同じ光を宿す」「858.正しい教えを」~「861.動かぬ証拠群」参照
☆力ある民でも、キルクルス教を信仰できる……「1008.動かぬ大聖堂」「1009.自治区の司祭」参照
☆子供の頃は異教徒の子とも遊んだ……「888.信仰心を語る」参照
☆説教壇で聖職者用の聖典開いて(中略)ページを読み上げた……「896.聖者のご加護」「897.ふたつの道へ」参照
☆その話は、前に聞いた/あの時は、隊長とDJの兄貴が無事に戻った……「0937.帰れない理由」~「0939.諜報員の報告」参照
▼聖なる星の道の腕章




