1550.民主化の利点
村長と神官に案内され、国営放送アナウンサーのジョールチ、緑髪の葬儀屋アゴーニ、クルィーロの三人が、最初にお参りする。
この村の神殿も、昨日の村同様、立派な造りだ。
通路を歩きながら、中年の女性神官が言う。
「陸の民がここにお参りなさるのは、建立以来、初めてかもしれません」
「何せ、外から人が訪れるなど、滅多にない田舎ですのでな」
「村のみなさんが、街へ出られる機会はいかがですか?」
ジョールチが聞くと、村長は指折り数えながら答えた。
「豆や素材の出荷、買出し……昔は、領主様が他出される際、お供させていただくこともありましたな」
「今は、ないんですか?」
クルィーロが聞くと、緑髪の大部分が白くなった村長は、振り向かずに頷いた。
「今はもう、そんな時代ではありませんのでな」
祭壇の広間で祈りと魔力を捧げる。
昨日の神殿もそうだが、ここも、満々と湛えられた水が、どこかへ流れる音が聞こえた。
「ここって、泉の上に建ってるんですね」
「えぇ。水は用水路を通って畑を潤し、小川を伝ってラキュス湖に注がれます」
クルィーロが言うと、神官は誇らしげに微笑んで肯定した。
「神殿にも色々あるんですね。実家の近所は、逆にラキュス湖から水を引いたんですよ」
「この辺りの神殿は、女神ラクテア様をお助けする為のものですから」
「ラクテア様……」
昨日の村でも聞いたが、知らないフリをする。
神官が、通路の浮彫を手で示した。
岩山の麓に巨木が聳え、真下には青琩らしき結晶が浮かぶ泉がある。
水底には結晶が沈み、泉の畔で男女が一人ずつ跪いて祈りを捧げる。
「こちらの女性がラクテア様。パニセア・ユニ・フローラ様の妹君で、最初の神官です」
「男の人は誰ですか?」
「男性は、フラクシヌス様のご子息だと伝わっております」
クルィーロは、モーフが買ってもらった絵本の一場面を思い出した。
「パニセア・ユニ・フローラ様は呪医ですから、直系の子孫は一人もいらっしゃいませんが、ラクテア様は、お血筋に連なるお子様を大勢遺されました。その方々が、ラキュス・ネーニア家の一族なのです」
「そうだったんですね。てっきり、パニセア・ユニ・フローラ様の子孫だと思ってました」
「傍系ではありますが、パニセア・ユニ・フローラ様の血脈に連なる方々です。滅多なことは言わぬがよろしい」
「は、はい……すみません。気を付けます」
村長に厳しい声を掛けられ、クルィーロは恐縮した。
気分を害したのか、警告してくれたのか、前をゆく背中からは読み取れない。
ジョールチが、クルィーロの肩にそっと手を置いて、微かに苦笑を浮かべた。
……さっき、ラゾールニクさんにも言われたばっかなのに。
内心、冷や汗を拭う。
案内されたのは、神殿の傍に建つ小さな民家だ。
「私の家です。ここでなら、ゆっくりお話しできますよ」
「お邪魔します」
台所と食堂と居間を兼ねるらしい質素な部屋だが、真ん中には十人掛けの立派な食卓がある。
……村の寄り合いとかで、よく人が集まるのかな?
「私は元々【畑打つ雲雀】学派で、豆を育ててたんですよ」
中年の女性神官がお茶の用意をしながら言う。
「三百年くらい前、流行病で身内がみんな亡くなりましてね、その時に夫の【導く白蝶】学派の魔道書を受け継いで、それからずっと、お弔いをしてるんですよ」
「当時は、仕事を自由に選べませんでしたのでな」
村長が付け加え、神官と同じ徽章を持つアゴーニを見る。
「えぇ、まぁ、俺も家業を継ぎましたよ。当時はそれが普通でしたから」
五百年以上生きる葬儀屋は、首から提げた【導く白蝶】学派の徽章を手の中で捏ねくり回しながら、自分より百歳くらい若い同業者を見た。
「夫の仕事を継いだのも、聖職者になったのも、別に後悔はしていませんよ。ただ……」
「ただ、何でしょう?」
アナウンサーのジョールチが、声と視線に気遣いを籠めて先を促す。
神官は【操水】でお湯を沸かし、みんなの前に香草茶を置きながら言った。
「今みたいに仕事や住む所を自由に選べる時代だったら、別の人生もあったかもしれないって思うことは、時々ありますね」
最後に自分の席に茶器を置き、神官は椅子に腰を落ち着けた。
……何でこんな話を?
クルィーロは神官を見た。
初対面の他所者にするには重い身の上話だ。
呪医セプテントリオーと同年代らしき女性は、茶器の水面を見詰め、クルィーロの視線に気付かない。
村長は何も言わず、香草茶の湯気の行方を見守る。
「ここだけの話……あなた方は、ネミュス解放軍の神政復古運動に反対の立場なのですか?」
ジョールチが問うと、神官が顔を上げた。
「村のみんなも、近所の村の人たちも、考えは一枚岩ではありません」
「信仰に基づく思想の統一は、なさってらっしゃらない、と?」
緑髪の神官が、黒髪のアナウンサーに苦笑を返す。
「キルクルス教と違って、私たちの信仰はそんなアレではありませんよ」
「失礼しました」
「現当主のシェラタン様は二百年程前、民主化に賛成しておいででした。それでも、ラキュス・ネーニア家の中には、反対を表明する方々もおられました」
「当主様自ら、民主化に賛成を?」
ジョールチが眼鏡の奥で、ドングリ色の目を見開く。
「シェラタン様は、半世紀の内乱が始まって間もない頃、『どんなに乞われてもラキュス・ネーニア家に再び権力を握らせることはない』と仰せでした」
「理由をお聞かせいただいて、よろしいでしょうか?」
ジョールチが聞くと、村長と神官は同時に頷いた。
「民主化しておけば、弟君のマガン・サドウィス様のようなお方が、権力の座に就くことを防げるからです」
村長の答えを聞き、クルィーロは身震いした。




