1548.教会での祈り
朝食の仕度をする間、ジョールチ、ラゾールニク、アゴーニが、昨日の村へ跳んだ。水位グラフを渡し、他の村について聞く為だが、みんなは何とも言えない気持ちで待つ。
ファーキルが印刷してくれたグラフは、下の余白に情報源が書いてある。観測した国名と担当の省庁名、データが掲載されたウェブページのURLだ。
ネモラリス人の大多数は、インターネットの存在自体、知らない。
外国の役所名まではともかく、その横に書かれたワケのわからない暗号めいた共通語の文字列を説明するのは、かなり大変だろう。
ラキュス湖の水位を観測する官庁は、国によって違う。
アミトスチグマ王国は気象庁だが、西隣のステニア共和国は水産省、ガレアンドラ王国は国土省、マコデス共和国は水軍が湖水観測を担当する。
新聞社のサイトにも載るが、独自に測定したデータではなく、役所の発表を転記したものだ。
その他、大学などは独自に測るようだが、このグラフには記載がない。
クルィーロが、タブレット端末のグラフを眺めて溜め息を吐くと、アマナが震える声で言った。
「どうして神殿の人たちは、もっとお祈りに来て下さいって言わないの?」
「うーん……わかんない。でも、ラクリマリスの神殿は、お参りの人で、スゴくぎゅうぎゅう詰めだったからなぁ」
クルィーロは、スキーヌムが迷子になった件を思い出し、頭を掻いた。
父が助け船を出す。
「人手が少ない神殿に大勢詰め掛けたら、事故や盗難に対応できないからね」
「キルクルス教徒は毎週、礼拝に行くけどな」
メドヴェージが話に加わると、モーフもこちらを向いた。
教会を見たことのないアマナが、二人に向き直って聞く。
「毎週行って、何するの?」
「みんなで聖典読んで、司祭様のお説教聞いて、聖者様を讃える歌ぁ歌って、お祈りすンだ」
「毎週読んでたら、その内、読み終わるよね?」
「俺はあんまり熱心じゃなかったから、気が向いた時しか行ってねぇ。自治区の教会は、これまで見たどの神殿よりちっせぇけどよ、席が全部埋まったコトなんざありゃしねぇ」
「えっ? 自治区なのに?」
アマナが驚くと、メドヴェージは苦笑し、モーフは眉間に皺を刻んだ。
「貧乏ヒマなしって奴だ。それに、分厚い聖典を二行か三行ずつしか読まねぇ」
「それじゃ、読み終わるまで何年も掛かるね」
「あぁ。その頃にゃ、最初ら辺なんざ忘れてらぁ」
クルィーロは、メドヴェージの説明を聞いてもピンとこなかった。
はっきりわかったことは、キルクルス教の教会には、椅子がたくさん置いてあることくらいだ。
フラクシヌス教には、そもそも「聖典」と言うものがない。
ラキュス湖の神話も、地方によって異なる。神殿の通路には、神話の場面が浮き彫りされるが、これも神殿毎に違う。
熱心な者は毎週と言わず、毎日でも通うのだろうが、大抵の者は、ラキュス湖に直接、祈りを捧げる。
神殿にお参りするのは、新年やお祭、冠婚葬祭、何かお祝い事がある時くらいなものだ。
……毎週お説教されるって、どうなってんだ?
「どうしてそんなちょっとしか読まないの? おうちでも読めるよね?」
クルィーロが考え事をする間にも、アマナの好奇心は止まらない。
メドヴェージは、失礼な質問にもイヤな顔をせず、教えてくれた。
「昔の難しい言葉で書いてあっかンな。読み方教わりに行くようなモンだ」
「古文の勉強会みたいな感じなんですね」
クルィーロは、中学と高校の授業を思い出して納得した。
古文の授業も、一回で数行しか進まず、家で予習しようにも、どこから手を付ければいいかわからなかった。
まだ一度も古文の授業を受けたことのないアマナは、わかったようなわからないような顔で、メドヴェージを見る。
「司祭様の聖典は、古い共通語で書いてあって、見ても何もわかんねぇ」
「えっ? じゃあ、どうやって読んでたの?」
「俺らに配られてたのは湖南語だけどよ、何百年も前に訳された奴そのまんまだから、難しいんだ」
「どうして今の言葉にしないの?」
「翻訳を繰り返すと、伝言ゲームみたいにどんどん原文の意味から遠ざかってゆくからだよ」
父が穏やかな声で言い、目顔でメドヴェージに詫びる。彼は微笑を返した。
ソルニャーク隊長が話に加わる。
「その言語にはない概念や、文脈毎に異なる微妙な意味の違い、比喩表現で幾重にも含ませた意味や、その表現を用いた意図なども、時代背景や文化的な背景が異なれば、翻訳が困難であったり、そもそも訳出が不可能な場合すらある」
アマナは何度も頷きながら聞き、意味を噛みしめるのか、茶器を見詰めて何も言わない。
少年兵モーフが助けを求めるような目で、メドヴェージと、クルィーロたちの父パドールリクを見る。
「元から書いてある言葉でなきゃ、伝わんねぇコトが山程あっから、うんと勉強しろってこった」
メドヴェージがモーフの頭をわしゃわしゃ撫で回す。モーフは運転手のゴツい手を払い除けたが、何も言わず、考え込む顔をした。
村へ跳んだ三人が戻り、朝食が始まる。
「あの村の人たち、インターネット知ってたよ」
「えっ?」
ラゾールニクの報告で、留守番組は食事の手が止まった。
「クレーヴェルに行ったコトある人が、王都とか外国には、インターネットってモノがあるらしいって聞いて、王都の大神殿にお参りした人が、あっちの神官にタブレット端末、見せてもらったんだってさ」
「予想以上にすんなり受け入れて下さって、是非、他の村にも伝えて欲しいと、隣村の道順を教えて下さいました」
ジョールチが、地図をメモした手帳を開いてみせる。
次の行き先が決まった。
☆ファーキルが印刷してくれたグラフ……「821.ラキュスの水」「874.湖水減少の害」「1546.無邪気な競争」参照
☆ラクリマリスの神殿は、どこもお参りの人でぎゅうぎゅう……「1307.すべて等しい」~「1309.魔力を捧げる」参照
☆スキーヌムが迷子になった件……「1311.はぐれた少年」「1312.こっそり通信」参照
☆フラクシヌス教には、そもそも「聖典」と言うものがない……「0941.双方向の風を」参照
☆ラキュス湖の神話も、地方によって異なる……「0219.動画を載せる」「0230.組合長の屋敷」「0234.老議員の休日」「534.女神のご加護」「542.ふたつの宗教」「579.湖の女神の名」「671.読み聞かせる」「672.南の国の古語」参照
☆神殿の通路には、神話の場面が浮き彫りされるが、これも神殿毎に違う……「1308.水のはらから」「1309.魔力を捧げる」「1330.連載中の手記」「1391.二年目の舞台」「1486.ラクテア神殿」参照
☆ラキュス湖に直接、祈りを捧げる……「432.人集めの仕組」「541.女神への祈り」「593.収録の打合せ」「617.政府軍の保護」「669.預かった手紙」「821.ラキュスの水」「1274.業者が夜逃げ」「1306.自助の増強を」「1392.夜明けの祈り」参照
☆神殿にお参りするのは、新年やお祭、冠婚葬祭、何かお祝い事がある時くらい……「540.そっくりさん」「592.これからの事」参照




